イケアは2026年1月、中国本土の7店舗を2月2日付で閉鎖すると発表しました。閉店の理由は、中国経済の減速、不動産市場の長期低迷、そして国内競合他社の急成長という複合的な要因が重なったためです。この大規模な店舗閉鎖は、1998年の上海進出以来28年間にわたり中国市場で事業を展開してきたイケアにとって前例のない規模となり、グローバル・リテール業界に大きな衝撃を与えています。
イケアは今回の決定を「オムニチャネル・エコシステムへの最適化」や「トランスフォーメーション(変革)」と位置づけていますが、その背景には中国の小売市場が直面している構造的な変化が存在します。本記事では、イケアが中国で7店舗を同時閉鎖するに至った理由、店舗数減少の経緯、そしてこの動きが中国市場や消費者に与える影響について詳しく解説します。

イケア中国の閉店発表と対象店舗の詳細
2026年1月7日、イケアを運営するIngka Groupは中国本土における7店舗の閉鎖を正式に発表しました。閉鎖対象となったのは、上海宝山店、広州番禺店、天津中北店、南通店、徐州店、寧波店、そしてハルビン店の7店舗です。これらの店舗は2026年2月2日をもって営業を終了する予定となっています。
閉鎖対象の店舗は単なる地方の小規模店ではなく、それぞれの地域経済において重要な役割を果たしてきた拠点でした。上海宝山店は上海北部の人口密集地帯をカバーする戦略的拠点として機能しており、上海というTier 1(一線)都市においてさえ、従来の大規模店舗モデルが維持困難になっていることを示唆しています。広州番禺店の閉鎖は、製造業の中心地であり経済的活力が高いとされる華南地域においても、競争環境が激化していることを浮き彫りにしました。
さらに注目すべきは、江蘇省の南通や徐州、浙江省の寧波といった長江デルタ地帯の豊かなTier 2(二線)都市からの撤退です。これらの都市は、かつてイケアが「次の成長フロンティア」として積極的に開拓を進めていた市場でした。東北地方のハルビン店については、地域経済の停滞と人口流出、そして寒冷地特有の住宅事情が影響していると考えられます。
イケアが中国で閉店を決断した理由
不動産市場の崩壊と家具需要の激減
イケアが中国で閉店を決断した最大の理由は、不動産市場の崩壊による家具需要の激減です。中国においてイケアの成長は不動産ブームと完全にリンクしていました。新しいマンションが次々と建設され、人々が競って住宅を購入していた時代、イケアは「新しい生活」の象徴として位置づけられていました。
中国の住宅は内装が施されていない「スケルトン渡し」が一般的であったため、住宅購入者は床材からキッチン、照明、家具に至るまですべてを自分たちで調達する必要がありました。イケアはこの莫大な「初期装備需要」を取り込むことで成長を続けてきました。
しかし、2021年の恒大集団(Evergrande)の経営危機を皮切りに、不動産バブルは崩壊しました。政府によるデレバレッジ(負債圧縮)政策と「共同富裕」のスローガンの下、投機的な住宅需要は厳しく制限されることになりました。その結果、2024年の新築住宅販売面積はピーク時の2021年と比較してほぼ半減するという壊滅的な落ち込みを見せています。新築住宅が売れないということは、イケアにとっての最も重要な顧客層が消滅することを意味します。
売上高の減少と店舗効率の悪化
イケアが公式に発表した「変革の旅」という説明の裏には、より切迫した経営実態が存在します。複数の業界レポートによると、イケア・チャイナの売上高は2019年をピークに停滞、あるいは減少傾向に転じています。2024会計年度の売上高はピーク時の2019年と比較して約30%近く減少したという推計もあります。
この間、イケアは店舗数を増やしていたにもかかわらず総売上が減少しているという事実は、「店舗あたりの売上高」が劇的に悪化していることを示しています。小売業において坪効率の低下は深刻な問題であり、特にイケアのような巨大な売り場面積を持つビジネスモデルでは、一定の客数と客単価が維持できなければ、空調、照明、人件費、そして地代家賃といった固定費が経営を圧迫します。7店舗の閉鎖は、戦略的な方向転換であると同時に、経営上の出血を止めるための緊急措置であったと考えられます。
中国消費者の行動変容と「防御的消費」
不動産価格の下落は中国家計のバランスシートを直撃しました。中国の都市部家庭において、資産の約7割は不動産が占めると言われています。不動産価格が上昇している間は、含み益によって人々の消費意欲が高まる「資産効果」が働いていましたが、現在起きているのはその逆回転である「逆資産効果」です。
マンションの価値が下がり、自分の資産が目減りしていると感じる消費者は財布の紐を固く締めるようになりました。将来への不安から貯蓄率が高まり、耐久消費財への支出は真っ先に削減されています。かつては週末のレジャーとしてイケアを訪れ、カートいっぱいに雑貨を詰め込んでいた中産階級は、拼多多(Pinduoduo)で最安値の日用品を探し、家具の買い替えを先送りする「防御的消費」へとシフトしています。
イケア中国の店舗数減少の背景
人口動態の変化と都市化の減速
長期的な視点で見ると、人口動態の変化もイケアにとっての逆風となっています。中国の人口は減少局面に突入しており、少子高齢化が急速に進んでいます。若年層の人口減少は新規世帯形成数の減少に直結し、家具需要の基盤を揺るがしています。
また、高齢化社会においては「郊外の巨大店舗を何キロも歩き回り、重い荷物を自分で運び、自分で組み立てる」というイケアのDIYモデルは物理的に困難を伴うものとして敬遠されがちです。デジタルネイティブである若者は利便性とスピードを最優先する傾向があり、イケアの「迷路のようなショールーム」は、ワクワクする体験ではなく時間を浪費するストレス源と映るようになっています。
国内競合他社の急成長と「全屋定制」の台頭
イケアがマクロ経済の波に翻弄されている間に、中国国内の競合他社は驚くべきスピードで進化し、イケアの市場シェアを侵食しました。特に脅威となっているのが「全屋定制(フルオーダーメイド家具)」というビジネスモデルです。
中国の住宅事情は複雑で、間取りが不規則であったり梁や柱が邪魔をしたりすることが多く、規格品の家具ではスペースを有効活用できないケースが多々あります。欧派家居(Oppein Home Group)やソフィア(Sophia Home Collection)といった中国企業は、顧客の自宅にデザイナーを派遣してミリ単位で採寸を行い、その部屋にぴったり収まる収納家具やキッチンを設計・製造・施工まで一貫して請け負うサービスを標準化しました。
イケアの家具は「規格品」であり部屋に合わせて家具を選ぶ必要がありますが、「全屋定制」は家具を部屋に合わせます。収納スペースへの渇望が強い中国の消費者にとって、壁一面を天井まで無駄なく収納にできるオーダーメイド家具は極めて魅力的です。これらの中国企業は「インダストリー4.0」技術を導入してマスカスタマイゼーション(大量生産の効率でオーダーメイド品を作る手法)を実現し、イケアの中高級ラインと変わらない価格帯でフルオーダーの家具を提供できるようになりました。
「国潮」トレンドによるブランド認識の変化
かつて「外国ブランド=高品質・高ステータス」「中国ブランド=安かろう悪かろう」という図式が存在しましたが、近年の「国潮(中国ブランドを愛好するトレンド)」ブームによりこの認識は大きく変化しました。
中国の消費者は自国のブランドがデザイン性においても品質においても海外ブランドに引けを取らない、あるいはそれ以上であることを認識するようになっています。家具製造において中国は「世界の工場」として長年イケアを含む欧米ブランドの製品を作り続けてきており、その技術とノウハウを蓄積した工場が自社ブランドや新興ブランドとして商品を供給し始めています。消費者は「イケアと同じ工場で作られた同等品質の家具」がブランド料が乗っていない分、半額以下でタオバオ(Taobao)で販売されていることを知っており、イケアのブランドプレミアムは急速に剥落しました。
デジタルプラットフォームとの競争激化
アリババのタオバオ(Taobao)、天猫(Tmall)、京東(JD.com)、そして拼多多(Pinduoduo)といったECプラットフォームは、イケアにとって強大な競合となっています。特に拼多多の台頭は「消費の二極化」の下層部を根こそぎ奪っていきました。
例えばイケアで99元で売られているようなプラスチック製の収納ボックスやキッチン小物は、拼多多では19元や9.9元で送料込みで販売されています。品質に大差がなければ消費者は圧倒的に安い方を選びます。また、京東(JD.com)の物流スピードは驚異的で、家具のような大型商品であっても翌日配送・設置サービスが当たり前になりつつあります。
一方、イケアの配送は外部委託が多く、配送費が別途かかる上にスピードでも劣るケースが少なくありません。「送料無料・即日配送」に慣れきった中国の消費者にとって、イケアの物流体験は「前時代的」に映るようになっています。イケアはデジタル化において中国市場のスピードに追いつけず、タオバオやWeChat(微信)のミニプログラムといった人々が日常的に使うプラットフォームへの本格参入は競合に比べて後手に回りました。
イケアのビジネスモデルと中国市場のミスマッチ
郊外型大型店舗モデルの限界
イケアの「ブルーボックス」と呼ばれる青い外観の大型店舗モデルは、20世紀の消費行動(自動車での来店、まとめ買い、DIY)に最適化されたものであり、21世紀の中国、特にデジタル化が極度に進んだ「ニューリテール」環境においては構造的なミスマッチを起こしています。
イケアの特徴であるショールームを一方通行で進ませる店舗レイアウト(通称「ロング・ナチュラル・パス」)は、顧客の滞在時間を延ばし衝動買いを誘発する優れた仕掛けでした。しかし、目的買いをしたい顧客にとっては苦痛でしかありません。中国の都市生活者は多忙であり、スマホ一つであらゆるものが数分で手配できる生活に慣れています。「スプーン1本を買うために広大な店舗を1周しなければならない」という体験は、かつては「発見の喜び」でしたが、今では「タイパ(タイムパフォーマンス)が悪い」と判断されるようになりました。
DIY文化の定着失敗
イケアの根幹思想である「あなたが運び、あなたが組み立てることで価格を下げる」というDIYモデルは、中国では最後まで定着しませんでした。中国の人件費は上昇したとはいえ欧米に比べればまだ低く、サービス業が発達しています。家具を買えば配送・設置まで業者がやってくれるのが「当たり前」の文化が根付いています。
イケアも配送・組立サービスを提供していますが、それはあくまで「追加料金」のかかるオプションです。中国の消費者は商品価格にサービス料が含まれている(ように見える)国内ブランドの「無料設置」を好みます。自分で重い板を運び複雑な説明書と格闘することは、中国の消費者心理において「賢い節約」ではなく「不必要な労働」と見なされる傾向が強いのです。
イケアの今後の戦略と中国市場への影響
小型店舗への戦略的シフト
7店舗の閉鎖はイケアが中国市場を諦めたことを意味するものではなく、生き残りをかけた新たな戦略「Growth+(グロース・プラス)」への資源集中を意味します。その核となるのが「小型店(プラン&オーダーポイント)」へのシフトです。
イケアは今後、北京や深センといった大都市の都心部に小規模な店舗(プラン&オーダーポイント)を集中的に出店する計画を発表しています。これらの店舗は従来の巨大な倉庫型店舗とは全く異なり、地下鉄駅直結のショッピングモールや人通りの多い商業エリアに立地します。商品在庫を持たず持ち帰りはできませんが、専門のスタッフが常駐しキッチンやワードローブの設計相談(プランニング)に特化するという形態です。高単価なシステム家具の受注拠点としての役割とブランドのタッチポイントとしての役割を担うことになります。
この戦略の意図は「遠くて不便な郊外店」から「近くて便利な都心店」へ、そして「モノを売る場所」から「ソリューションを売る場所」への転換です。在庫を持たないことで都心の高い家賃にも耐えうる収益モデルを構築しようとしています。
過去の失敗から学ぶ教訓
しかし、この小型店戦略が成功するという保証はありません。イケアは過去に上海の一等地である静安寺エリアに「イケア・シティショップ(静安城市店)」を出店しましたが、わずか3年で撤退に追い込まれました。
静安店の失敗要因は「中途半端さ」にありました。高額な家賃を支払って一等地に出店したものの、来店客の多くはミートボールを食べたり低単価の雑貨を買ったりするだけで、利益率の高い大型家具の購入には至りませんでした。客数は多くても客単価が低すぎて採算が合わなかったのです。今後の小型店(プラン&オーダーポイント)はこの教訓を活かし、飲食や雑貨販売の要素を極力削ぎ落として「設計・注文」という高付加価値業務に特化する必要があります。
店舗閉鎖が従業員と消費者に与える影響
雇用への影響と従業員の処遇
7店舗の閉鎖に伴い、数百人から千人規模の雇用に影響が出ると予想されています。イケアは「公平かつ透明性のあるプロセス」を通じて従業員を支援すると発表していますが、具体的な補償内容や再就職支援の詳細は明らかにされていません。
中国の労働市場、特に小売業界の雇用環境は厳しさを増しており、再就職は容易ではない状況です。イケアのような外資系企業はこれまで比較的良好な労働環境を提供してきたとされていますが、今回のリストラがスムーズに進むかどうかはブランドの評判にも関わる重要な問題となっています。SNS上での元従業員による不満の拡散は、残存する店舗のブランドイメージを毀損するリスクをはらんでいます。
消費者の反応とブランドイメージ
今回の閉鎖発表に対し、Weibo(微博)やXiaohongshu(小紅書)といった中国のSNSでは驚きと共に「やはり」という諦念の声が多く聞かれました。多くのユーザーはイケアでのショッピング体験、特にレストランやソフトクリームに愛着を持っていますが、家具の品質(特にパーティクルボードの耐久性)や組み立ての面倒さについては厳しい評価を下しています。
特に「イケアの家具は引越しの時に分解すると壊れてしまい、再組み立てができない」という不満は根強く、賃貸住宅を転々とする若者にとっては実質的に「使い捨て」に近い感覚で消費されている側面がありました。環境意識の高まりやより長く使える「良いもの」を求めるトレンドの中で、イケアの「ファストファニチャー」的な側面がネガティブに捉えられ始めていることも見逃せません。
中国小売市場の構造的変化とイケアの今後
今回の7店舗閉鎖は、イケアの中国ビジネスにおける一つの時代の終わりを告げるものです。「作れば売れる」「店を開ければ客が来る」という高度成長期のボーナスステージは完全に終了しました。
これからのイケア・チャイナは「縮小均衡」のリスクと戦いながら質的な転換を図らなければなりません。不動産市場の回復が見通せない中、新築需要に頼ることはできず、リノベーション需要やより細分化されたニッチなニーズ(例えば高齢者向けのリフォームやペット共生住宅など)を掘り起こす必要があります。
全屋定制のライバルたちに対抗するためには、デザイン力という本来の強みを活かしつつサービス面での抜本的な改革が必要です。単に家具を売るのではなく、「北欧の豊かな暮らし」という情緒的価値をデジタルの文脈で再定義し、若い世代に響く形で提案できるかが鍵となります。
もしこの戦略転換が失敗に終われば、今回の7店舗閉鎖はカルフールやテスコのように、かつて中国市場を席巻した外資小売巨人が静かに市場から姿を消していくプロセスの「始まり」として記憶されることになるでしょう。しかしイケアがこの危機を乗り越えて中国独自の新しい小売モデルを確立できれば、それはグローバル企業が成熟した中国市場で生き残るための新たな教科書となるはずです。
イケアの未来は「ブルーボックス」の外にあります。スマホの中、都心の小さな相談カウンター、そして他社プラットフォームとの連携の中に新しいイケアの姿を見出せるか、2026年はその答えが出る運命の年となりそうです。中国市場は価値のないものは淘汰され、進化するものだけが生き残る厳しい環境です。イケアという世界最大の家具小売企業がこの激流の中でどのような変革を遂げるのか、世界中の小売業界関係者がその行方を注視しています。


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