インターネット上での誹謗中傷やプライバシー侵害の問題が深刻化する中、被害者が取れる法的手段として「発信者情報開示請求」が注目されています。SNSや掲示板などでの匿名による権利侵害に対して、投稿者を特定し適切な対応を取るための重要な手続きです。
しかし、多くの方がこの開示請求の具体的な流れや必要な条件について十分な知識を持っていません。「開示請求をすれば簡単に相手が特定できる」と思われがちですが、実際には複数のステップを踏む必要があり、一定の要件を満たさなければ認められないという現実があります。
特に2022年10月に施行された改正プロバイダ責任制限法により、開示請求の手続きに新たな選択肢が加わったことで、従来の方法と新しい方法のどちらを選ぶべきか、その判断も難しくなっています。
この記事では、発信者情報開示請求の基本概念から具体的な手続きの流れ、認められるための要件、そして請求後の対応までを詳しく解説します。ネット上の権利侵害に悩む方々が、効果的に問題解決に向けて行動できるよう、必要な知識を分かりやすくお伝えします。

発信者情報開示請求とは?手続きの基本と法的根拠を解説
発信者情報開示請求とは、インターネット上で権利侵害を受けた被害者が、その投稿をした匿名の発信者を特定するために、プロバイダやサイト運営者に対して発信者の情報を開示するよう求める法的手続きです。
法的根拠と目的
この手続きの法的根拠は「プロバイダ責任制限法」(正式名称:特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)にあります。同法の第4条が発信者情報開示請求の根拠条文となっています。
開示請求の主な目的は以下の通りです:
- 発信者の特定: 匿名での誹謗中傷やプライバシー侵害などの加害者を特定する
- 損害賠償請求: 特定した発信者に対して民事上の損害賠償を請求する
- 刑事告訴: 名誉毀損罪や侮辱罪などで刑事告訴するため
- 投稿の削除要請: 発信者に直接削除を求める
開示される情報
発信者情報開示請求で開示される情報は主に以下のものです:
- IPアドレス
- タイムスタンプ(発信時間)
- 携帯端末のインターネット接続サービス利用者識別番号
- SIMカード識別番号
- 氏名・住所
- メールアドレス
2022年の法改正により、SNSのアカウント作成時やログイン時の通信情報なども「特定発信者情報」として開示対象に加わりました。
開示請求の主体と相手方
開示請求ができるのは「自己の権利を侵害された者」、つまり誹謗中傷などの被害者本人です。未成年者の場合は親権者、法人の場合は代表者が請求できます。また、弁護士などが代理人として開示請求を行うことも可能です。
開示請求の相手方は「開示関係役務提供者」と呼ばれ、主に以下の2種類があります:
- コンテンツプロバイダ:SNS運営企業(X社、Meta社など)や掲示板サイト(2ちゃんねる、爆サイなど)の運営者
- インターネットプロバイダ:通信会社(NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクなど)
多くの場合、この2つの事業者に対して順番に開示請求を行う「2段階手続き」が必要になります。
開示請求の具体的な流れはどうなっている?2段階手続きのステップバイステップガイド
発信者情報開示請求の手続きは、一般的に「2段階手続き」と呼ばれる流れで進みます。この2段階の手続きを具体的に解説します。
第1段階:コンテンツプロバイダへの開示請求
まず最初に、誹謗中傷が書き込まれたサイトやSNSの運営者(コンテンツプロバイダ)に対して、IPアドレスなどの開示を求めます。
1. 権利侵害投稿の証拠保全
- 誹謗中傷投稿のスクリーンショット
- 投稿のURL
- 投稿日時
- 投稿者のアカウント情報
2. コンテンツプロバイダへの任意開示請求
- 発信者情報開示請求書を作成して送付
- ただし、任意での開示はほとんど応じてもらえないのが現状
3. 裁判所への仮処分申立て
- 発信者情報開示の仮処分命令申立書を作成
- 裁判所に申立書と証拠を提出
- 申立手数料(収入印紙代1,000円程度)の納付
- 担保金の提供(数万円程度、事案により異なる)
4. 審尋手続き
- 裁判官との面談
- 必要に応じてコンテンツプロバイダも呼び出される
5. 仮処分命令の発令
- 裁判所が仮処分を認める場合、コンテンツプロバイダに発信者情報の開示を命じる
第1段階では仮処分を利用する理由は、本訴訟だと時間がかかりすぎて、その間にプロバイダが保有するログ(通信記録)が消去されてしまう恐れがあるためです。仮処分は迅速に判断されるため、ログが消える前に第2段階へ進むことができます。
第2段階:インターネットプロバイダへの開示請求
コンテンツプロバイダから開示されたIPアドレスをもとに、そのIPアドレスを割り当てたインターネットプロバイダ(接続プロバイダ)を特定し、そのプロバイダに対して発信者の氏名・住所などの情報開示を求めます。
1. IPアドレスからプロバイダの特定
- Whois検索などを利用して、IPアドレスの割当先プロバイダを特定
2. ログ保存の仮処分申立て
- プロバイダがログを消去しないよう、裁判所に仮処分を申し立てる
3. 発信者情報開示請求訴訟の提起
- プロバイダの本店所在地を管轄する裁判所に訴訟を提起
- 訴状と証拠の提出
- 訴訟手数料の納付
4. プロバイダによる発信者への意見照会
- 多くの場合、プロバイダは発信者に開示請求があったことを通知し、意見を求める
- 発信者は意見照会に対して回答する期間(通常2週間程度)が与えられる
5. 裁判所の判断と判決
- 判決で開示が認められれば、プロバイダは発信者の氏名・住所などを開示
第2段階では、第1段階とは異なり本訴訟による手続きが必要となります。これは緊急性(ログ消去の危険性)が第1段階ほど高くないためです。
手続き全体の所要期間
発信者情報開示請求の手続き全体にかかる期間は、一般的に以下のような目安となります:
- 第1段階(コンテンツプロバイダへの開示請求):1〜3ヶ月
- 第2段階(インターネットプロバイダへの開示請求):6〜9ヶ月
- 全体:約8〜12ヶ月
ただし、事案の複雑さやプロバイダの対応により、さらに時間がかかることもあります。
新旧開示請求制度の違いは?改正プロバイダ責任制限法で何が変わったのか
2022年10月に施行された改正プロバイダ責任制限法により、発信者情報開示請求の制度に重要な変更が加えられました。従来の方法(旧制度)と新しく追加された方法(新制度)の違いを理解することは、どちらの手続きを選択すべきかを判断する上で非常に重要です。
従来の方法(旧制度)
従来の方法では、先に説明した「2段階手続き」が必要でした:
- 第1段階:コンテンツプロバイダに対する仮処分手続き(IPアドレス等の開示)
- 第2段階:インターネットプロバイダに対する訴訟手続き(氏名・住所等の開示)
この方法の特徴は:
- 2回の別々の手続きが必要
- 各段階で個別に審理・判断
- 時間と手間がかかる
- ただし確立された手続きで予測可能性が高い
新たな方法(新制度「発信者情報開示命令」)
改正法によって導入された「発信者情報開示命令」は、以下の特徴があります:
- 一括請求:コンテンツプロバイダとインターネットプロバイダへの請求を一度の手続きで行える
- 非訟手続き:通常の訴訟より簡易・迅速に進行
- ログ保存命令:発信者情報開示命令と同時に発信者情報の消去禁止命令も発令できる
主な違いと比較
項目 | 従来の方法(旧制度) | 新しい方法(新制度) |
---|---|---|
手続き回数 | 2回(2段階) | 1回 |
手続きの種類 | 仮処分→訴訟 | 非訟手続き |
所要期間 | 8〜12ヶ月程度 | 理論上は短縮される可能性 |
ログ保存 | 別途申立てが必要 | 開示命令と同時に可能 |
異議申立て | 各段階で可能 | 異議申立てにより訴訟に移行 |
実績・予測可能性 | 豊富な実績あり | まだ実績が少ない |
どちらを選ぶべきか?
どちらの手続きを選ぶべきかは、ケースバイケースで判断する必要があります:
従来の方法(旧制度)が適している場合:
- 確実性を重視する場合
- 裁判実務の豊富な蓄積がある
- 相手方から強い反論が予想される複雑なケース
新しい方法(新制度)が適している場合:
- スピードを重視する場合
- 比較的単純な権利侵害ケース
- 手続きの一本化によるコスト削減を図りたい場合
ただし、新制度では相手方から異議申立てがあった場合に通常訴訟へ移行するため、かえって時間がかかるリスクもあります。どちらの方法が適しているかは、弁護士と相談して判断することをお勧めします。
開示請求が認められる要件とは?成功率を高めるポイント
発信者情報開示請求が認められるためには、法律で定められた要件を満たす必要があります。これらの要件を理解し、適切に対応することで開示請求の成功率を高めることができます。
法律上の要件
プロバイダ責任制限法第4条に基づく発信者情報開示請求が認められるためには、以下の要件を満たす必要があります:
- 権利侵害の明白性:投稿によって開示請求者の権利が侵害されたことが明らかであること
- 開示の正当理由:発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があること(損害賠償請求権の行使のためなど)
これらの要件を満たしていないと判断された場合、開示請求は棄却されてしまいます。
権利侵害に該当する典型的なケース
以下のようなケースは、権利侵害が認められやすい傾向があります:
- 名誉毀損:虚偽の事実を摘示して社会的評価を低下させるもの
- 例:「〇〇さんは前科がある」「△△会社は顧客から金をだまし取っている」など
- プライバシー侵害:私生活上の事実を無断で公開するもの
- 例:個人の住所や電話番号の無断公開、私的な写真の無断公開など
- 肖像権侵害:許可なく肖像を公開するもの
- 例:無断で撮影した写真をネットに掲載
開示請求が通らないケース
反対に、以下のようなケースでは開示請求が認められにくい傾向があります:
- 単なる意見や感想:「〇〇は使いにくい」「△△のサービスは悪い」など主観的評価
- 公共性・公益性のある表現:社会的に重要な問題を指摘する目的で行われた表現
- 真実の事実の摘示:摘示された事実が真実であり、かつ公益目的の場合(名誉毀損にならない)
- 被害が軽微なケース:社会通念上許容される範囲内の批判
- オブラートに包んだ表現:明確な権利侵害とは言えない婉曲的な表現
成功率を高めるポイント
開示請求の成功率を高めるために重要なポイントは以下の通りです:
1. 証拠の確実な保全
- スクリーンショットは日時やURLが分かるように撮影
- 複数のデバイスで証拠を保存
- 投稿の前後関係も含めて保存(会話のコンテキスト)
- 可能であればタイムスタンプ付きのPDFなど改ざんされにくい形式で保存
2. 権利侵害の具体的な説明
- 単に「誹謗中傷された」というだけでなく、どの文言がどのように権利を侵害しているか具体的に説明
- 虚偽の事実の摘示であれば、なぜその内容が虚偽であるかの説明
- 投稿による具体的な被害(精神的苦痛、業務への支障など)を詳細に説明
3. 開示を求める理由の明確化
- 損害賠償請求権の行使や刑事告訴など、発信者情報を開示してもらう目的を明確に
- 単なる好奇心や報復目的ではないことを示す
4. 迅速な対応
- 投稿を発見したらすぐに行動(ログの保存期間は3〜6ヶ月程度が多い)
- 弁護士への相談も速やかに
5. 専門家への相談
- 発信者情報開示請求に詳しい弁護士への相談
- 法的要件を満たす請求書・申立書の作成
- 過去の裁判例を踏まえた説得力のある主張
特に、権利侵害の明白性については、裁判所の判断が分かれることも多いため、専門家による適切な法的分析が重要になります。ケースによっては、開示請求の前に削除請求を行った方が良い場合もあるため、総合的な戦略を立てることが大切です。
開示請求後はどうなる?特定された相手への法的措置と対応
発信者情報開示請求によって投稿者が特定された後、被害者はどのような対応を取ることができるのでしょうか。ここでは、特定後の法的措置やその効果について解説します。
発信者特定後の主な選択肢
発信者を特定できた後の主な選択肢は以下の通りです:
1. 損害賠償請求
民事上の損害賠償請求は、発信者特定後の最も一般的な対応です。
手続きの流れ:
- 内容証明郵便による請求(示談交渉)
- 相手が応じない場合は訴訟提起
- 裁判(通常訴訟または少額訴訟)
- 判決・和解
- 必要に応じて強制執行
請求できる損害:
- 精神的苦痛に対する慰謝料
- 名誉・信用毀損による営業損害
- 投稿削除等の対応費用
- 弁護士費用(一部)
慰謝料の相場:
- 個人への誹謗中傷:10〜50万円程度
- 企業・団体への名誉毀損:50〜100万円程度
- 悪質なケース(長期間・大量投稿など):それ以上の金額
慰謝料の金額は、投稿内容の悪質性、投稿数、継続期間、拡散状況、被害の程度などによって変わります。
2. 刑事告訴
悪質なケースでは、刑事告訴も選択肢となります。
対象となる罪名:
- 名誉毀損罪(刑法230条):3年以下の懲役もしくは禁錮または50万円以下の罰金
- 侮辱罪(刑法231条):1年以下の懲役もしくは禁錮または30万円以下の罰金
- 信用毀損・業務妨害罪(刑法233条):3年以下の懲役または50万円以下の罰金
手続きの流れ:
- 警察署への告訴状提出
- 警察による捜査
- 検察による起訴判断
- 裁判(起訴された場合)
名誉毀損罪・侮辱罪は「親告罪」であり、被害者が告訴しなければ公訴を提起できません。また、告訴期間は犯人を知った日から6ヶ月以内と定められています。
3. 投稿削除要請
発信者が特定できたら、直接投稿の削除を要請することも可能です。
- 内容証明郵便などで削除を要請
- 今後同様の投稿をしないよう警告
- 必要に応じて損害賠償請求と組み合わせる
4. 謝罪要求
損害賠償とともに謝罪を求めることもあります。
- 書面による謝罪文
- Webサイトへの謝罪文掲載
- 謝罪広告の掲載
法的措置を取る際の注意点
発信者に対して法的措置を取る際は、以下の点に注意が必要です:
1. 相手の資力
発信者が未成年者や無職、資力の乏しい人物である場合、損害賠償金を回収できない可能性があります。そのような場合は、親権者への請求や刑事告訴を検討するなど、別の対応を考える必要があるかもしれません。
2. 反撃のリスク
法的措置を取ることで、相手が逆上してさらに攻撃的になるリスクもあります。場合によっては、相手に内容を知られないようにプロバイダに直接削除依頼するなど、より静かな解決策を選ぶこともあります。
3. 誰が発信者か
特定された発信者が、実は家族や知人、同僚などであった場合、法的措置以外の対応を検討することも必要かもしれません。特に身近な人物だった場合は、人間関係への影響も考慮すべきです。
4. 費用対効果
法的措置には時間とコストがかかります。被害の程度と対応コストのバランスを考慮して、最適な対応を選ぶことが重要です。
発信者特定後の対応事例
実際の対応事例をいくつか紹介します:
事例1:示談による解決 企業の従業員が匿名で自社を誹謗中傷する書き込みをしていたケース。発信者特定後、当該社員と話し合いの場を設け、謝罪と投稿削除を条件に、損害賠償請求を控えるという形で解決。再発防止のため社内研修も実施。
事例2:損害賠償請求 芸能人へのストーカー的な誹謗中傷を繰り返していたケース。発信者特定後、50万円の損害賠償と謝罪文の提出を求める訴訟を提起。最終的に裁判所の判断で40万円の支払いと謝罪が命じられた。
事例3:刑事告訴 企業の商品に関する虚偽の情報を拡散し、信用を毀損したケース。発信者特定後、業務妨害の疑いで刑事告訴。警察の捜査を経て書類送検され、最終的に略式命令で罰金刑。
開示請求から解決までの全体像
発信者情報開示請求から問題解決までの全体的な流れをまとめると:
- 権利侵害投稿の発見・証拠保全
- 発信者情報開示請求(2段階または新制度)
- 発信者の特定
- 対応方針の検討(損害賠償、刑事告訴、削除要請など)
- 法的措置の実行
- 問題の解決(賠償金受領、投稿削除、謝罪など)
全体で1年以上かかることも珍しくないため、根気強く対応する必要があります。また、一連の流れの中で弁護士のサポートを受けることで、より効果的かつ効率的な問題解決が期待できます。
インターネット上の誹謗中傷は、匿名性を盾に安易に行われがちですが、発信者情報開示請求によって投稿者の特定が可能であり、法的責任を問うことができることを多くの人に知ってもらうことが、健全なインターネット空間を維持するためにも重要です。
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