H3ロケット失敗から復活へ|日本の宇宙開発に与えた影響と教訓

社会

H3ロケットの2回目の失敗とは、2023年3月7日に打ち上げられたH3ロケット試験機1号機が、第2段エンジンの着火に失敗し、指令破壊されたことを指します。この失敗は日本の宇宙開発に甚大な影響を与え、搭載されていた地球観測衛星「だいち3号」の喪失、火星衛星探査計画「MMX」の2年延期、さらには日本の宇宙政策そのものの大転換を引き起こしました。本記事では、H3ロケット失敗の技術的要因から、その後の復活劇、そして日本の宇宙産業に生じた構造改革まで、詳細に解説していきます。

「2回目の失敗」という表現には二つの文脈があります。一つは2022年10月の「イプシロン6号機」失敗に続くJAXAの基幹ロケットにおける連続失敗という意味合いであり、もう一つは2023年2月17日のH3ロケット打ち上げ中止を最初のつまずきと捉えた場合の「2回目」という見方です。いずれにしても、この事態は長らく「失敗しない」ことが当たり前とされてきた日本のロケット技術に対する信頼を大きく揺るがすものでした。

H3ロケット試験機1号機の失敗とは何だったのか

2023年3月7日午前10時37分、鹿児島県種子島宇宙センターからH3ロケット試験機1号機が打ち上げられました。日本の次世代主力ロケットとして期待を一身に集めていたH3は、リフトオフから約5分後に第1段エンジンと第2段エンジンの分離までは正常に行われたものの、本来点火されるはずだった第2段エンジン「LE-5B-3」への着火が確認されませんでした。午前10時52分、ミッションを達成する見込みがないと判断され、地上から指令破壊信号が送信されて機体は空中で爆破されました。

この打ち上げは「絶対に失敗できない」局面で行われたものでした。前年の2022年10月には小型ロケット「イプシロン6号機」の打ち上げ失敗があり、さらにH3ロケット自体も同年2月17日の打ち上げ試行時に主エンジンの電気系統異常を検知して寸前で中止となる経緯を経ていました。世論やメディアの一部ではこれらを連続したトラブルと捉える向きもあり、3月7日の再挑戦は日本のロケット技術の信頼性を賭けた背水の陣となっていたのです。

H3ロケット失敗の技術的原因

H3ロケット試験機1号機の失敗の直接的な原因は、第2段エンジンの着火信号を送る電気系統における「過電流」の発生でした。ロケットは第1段の燃焼と分離までは正常に飛行しましたが、第2段エンジンに点火するための「エキサイタ(点火装置)」へ電力を供給しようとした瞬間、電気系統に異常電流が流れ、電源制御装置が安全のために電力供給を遮断しました。これにより、エンジン自体は健全であったにもかかわらず、点火プラグに火花が飛ばず着火に至らなかったのです。

JAXAと三菱重工業による徹底的な原因究明の結果、過電流が発生した原因として3つのシナリオに絞り込まれました。第一のシナリオは点火装置内部での短絡です。このエキサイタはH-IIAロケットと共通の設計・部品を使用していましたが、H3ロケット特有の打ち上げ時の振動・衝撃環境が複合的に作用し、内部の構成部品が変形あるいは移動して絶縁破壊を起こした可能性が指摘されました。

第二のシナリオはエキサイタへ電流を供給する回路内のトランジスタの故障です。地上での点検や過去の試験において、このトランジスタに対して定格ギリギリ、あるいは過渡的に定格を超えるような電圧ストレスがかかっていた可能性が浮上しました。蓄積されたダメージによりトランジスタの耐性が低下しており、本番のフライトで着火信号が送られた際の電気的ストレスに耐えきれず破壊したというものです。

第三のシナリオはH3ロケットで新開発された電源制御装置「PSC2」内部での複雑な故障連鎖です。PSC2には冗長系としてA系とB系の二つの系統がありますが、A系内部の降圧チョッパ回路にあるダイオード等がフライト環境下で故障し、フィードバック制御が暴走して出力電圧が異常上昇した可能性があります。この過電圧により過電圧保護回路が作動して短絡状態となり、さらにその影響が共通のアースライン等を通じてB系にも波及し、両系ともに機能不全に陥ったというシナリオです。

「実績の罠」という教訓

この失敗から得られた最大の教訓は、「枯れた技術(実績ある技術)」への過信に対する警鐘でした。シナリオAとBに関わる部品は、長年H-IIAロケットで使用され、一度もトラブルを起こしていない「信頼性の塊」のような部品でした。日本の宇宙開発は限られた予算の中で確実な成功を収めるために、新規開発のリスクを極力排除し、過去の成功事例(ヘリテージ)を流用することを是としてきました。

しかしH3ロケットにおいては、ロケット全体のシステム構成や振動環境、電気的なインターフェースがH-IIAとは異なります。にもかかわらず「H-IIAで問題なかったのだから、H3でも検証は簡略化できる」という正常性バイアスが働き、新たな環境下での詳細な適合性評価が不十分であった点が認められました。これを「実績の罠(Heritage Trap)」と呼びます。技術は常にシステム全体の文脈の中で評価されるべきものであり、部品単体の実績が必ずしも新システムでの安全を保証するものではないという、エンジニアリングの基本にして最も残酷な教訓をH3は突きつけられることになりました。

「だいち3号」喪失が日本の防災に与えた影響

H3試験機1号機の失敗が「単なるロケットの失敗」以上の衝撃を与えた最大の理由は、ペイロードとして搭載されていた先進光学衛星「だいち3号(ALOS-3)」の喪失にあります。「だいち3号」は2011年に運用を終了した初代「だいち」の光学観測ミッションを継承し、さらに発展させるために開発された大型地球観測衛星です。その開発費は約280億円から379億円に上り、10年以上の歳月をかけて準備されてきました。

この衛星の特異性は「広域観測」と「高分解能」の高度な両立にありました。「だいち3号」は地上分解能0.8メートル(直下視)を実現しており、地上の乗用車の車種や建物の損壊状況を詳細に判別できる精度を持っていました。観測幅は70キロメートルで、これは一般的な高解像度商業衛星の数倍の広さであり、東京から神奈川にまたがるような広範囲を一度の撮影でカバーできます。さらに災害発生時には衛星の姿勢を柔軟に変更することで、日本国内のどこであっても24時間以内に観測可能な能力を持っていました。

日本は南海トラフ地震や首都直下地震など、広域にわたる甚大な被害が予想される災害リスクを抱えています。「だいち3号」は発災直後に広範囲の被災状況を「面」として詳細かつ迅速に把握するための切り札でした。この衛星の喪失により、日本の防災体制には明確な「空白」が生じました。既存の「だいち2号」(レーダー衛星)や情報収集衛星、あるいは海外の民間衛星データで代替することは可能ですが、「だいち3号」のように広範囲を一気に高精細なカラー画像で提供できるアセットは世界的に見ても希少であり、完全な代替は困難です。

また地図作成や環境モニタリングの分野でも計画の大幅な遅延を余儀なくされました。精密な3D地図の作成に必要なステレオ観測データの取得が先送りになったことは、後のデジタルツイン整備計画にも影響を与えています。

「だいち3号」再製造断念と政策転換

「だいち3号」喪失後、政府とJAXAは難しい決断を迫られました。同じ衛星をもう一度作るためには、さらに数年の時間と数百億円の予算が必要です。その間に世界の宇宙技術は進化し、民間企業の小型衛星が台頭してきます。

結果として、文部科学省とJAXAは「だいち3号」の同型機を国費で再製造する計画を断念しました。その代わりに選択されたのが、「民間主導による小型衛星コンステレーションへの移行」という日本の宇宙政策の大転換です。H3の失敗は皮肉にも、日本の衛星開発を「官需依存の大型一点豪華主義」から「官民連携の分散型・即応型システム」へと進化させるトリガーとなったのです。

MMX(火星衛星探査計画)への影響

H3ロケットの失敗が引き起こした「ドミノ倒し」の中で、最も痛恨の遅延となったのが火星の衛星フォボスからのサンプルリターンを目指す「MMX(Martian Moons eXploration)」計画です。MMXは当初2024年9月の打ち上げを目指していました。

惑星探査において打ち上げ時期(ウィンドウ)は天体力学によって厳格に決まっており、地球と火星が適切な位置関係になるのは約2年2ヶ月(26ヶ月)に一度だけです。H3ロケットの失敗により、原因究明と対策、そして試験機2号機による実証が必要となったため、2024年のウィンドウに間に合わせることが物理的に不可能となりました。

その結果、MMXの打ち上げは2026年度へと2年延期されました。この「2年」は科学競争において致命的になりかねません。現在、中国も「天問3号」による火星サンプルリターンを猛烈な勢いで進めており、米国・欧州も独自の計画を持っています。MMXは「世界初の火星圏からのサンプルリターン」という金字塔を打ち立てることを目指していましたが、この延期によりライバル国に追いつかれるリスクが高まっています。

HTV-X(新型宇宙ステーション補給機)の遅れ

国際宇宙ステーション(ISS)への物資輸送を担う新型補給機「HTV-X」もまた、H3ロケットの遅延の影響を直接受けました。旧型補給機「こうのとり(HTV)」が9号機ですべてのミッションを完遂して退役した後、日本は独自の輸送手段を持たない状態が続いています。

HTV-X初号機は当初もっと早い段階での打ち上げが想定されていましたが、ロケット側の事情に加えHTV-X自体の開発における技術的課題も重なり、スケジュールは度々後ろ倒しされました。この空白期間中、日本はISSにおける共有経費の負担を物資輸送という「現物出資」で果たすことができず、代替手段の確保やスケジュールの調整に追われることになりました。HTV-Xは将来の月周回基地「ゲートウェイ」への補給も視野に入れた戦略的機体であり、その運用開始の遅れは日本の有人宇宙探査戦略全体のタイムラインを圧迫しています。

H3ロケットの復活:試験機2号機の成功

絶望的な失敗から約1年、JAXAと三菱重工業の技術者たちは凄まじいプレッシャーの中で原因究明と対策を完了させ、H3ロケットを再び発射台へと戻しました。2024年2月17日、H3ロケット試験機2号機が打ち上げられました。この機体には1号機の教訓を反映し、エキサイタや電源制御装置に対して「考えられる全ての故障シナリオ」を網羅した対策が施されました。絶縁強化、部品選別、保護回路の冗長化などが実施され、万が一失敗しても実用衛星を失わないようメインペイロードには衛星の重さや重心を模した「ロケット性能確認用ペイロード(VEP-4)」が搭載されました。

打ち上げは完璧に成功しました。第2段エンジンは正常に着火し、所定の軌道に到達しました。副衛星として搭載された超小型衛星の分離にも成功しています。この瞬間、H3ロケットは「宇宙に行けるロケット」としての証明を果たし、日本の宇宙開発は首の皮一枚で繋がりました。

3号機・4号機の連続成功と信頼回復

信頼回復の次なるステップは実用衛星の打ち上げでした。2024年7月1日、H3ロケット3号機は先進レーダ衛星「だいち4号(ALOS-4)」を搭載して打ち上げられました。「だいち4号」は夜間や悪天候でも地表を観測できるSAR(合成開口レーダー)衛星であり、世界初の「デジタルビームフォーミング」技術を搭載した最新鋭機です。この打ち上げではロケットの推力を飛行中に調整する「スロットリング機能」の実証も行われ、衛星への加速度負担を軽減するこの高度な制御技術も正常に機能しました。打ち上げは「100点満点」の成功を収め、失われた「だいち3号」の光学観測能力は戻らないものの、「だいち4号」によるレーダー観測網の強化は災害監視能力の向上に大きく貢献することになります。

そして2024年11月4日、H3ロケット4号機は防衛省のXバンド防衛通信衛星「きらめき3号」を搭載して打ち上げられました。国家安全保障に関わる極めて重要な衛星を運用開始直後の新型ロケットに託すという決断は、防衛省がH3の信頼性を認めた証左でもあります。この打ち上げ成功により、自衛隊の指揮通信を支えるXバンド防衛通信衛星の3機体制が完成しました。H3ロケットが単なる科学技術の実験場ではなく、国家の安全保障インフラを支える実用的な輸送システムとして定着したことを示す象徴的なミッションとなりました。

H3失敗が生んだ構造改革:宇宙戦略基金と「Marble Visions」

H3試験機1号機の失敗と「だいち3号」の喪失は、怪我の功名とも言うべき日本の宇宙産業構造の大改革を引き起こしました。政府は失敗後の危機感をバネに、宇宙分野への支援を抜本的に強化しました。JAXAに設置された「宇宙戦略基金」は10年間で総額1兆円規模の支援を目指すかつてない規模のファンドです。この基金の目的は民間企業や大学による技術開発を支援し、自立した宇宙産業エコシステムを構築することにあります。

これまでのJAXAの委託研究とは異なり、企業の商業化を前提とした「補助金」形式での支援が含まれており、失敗のリスクを許容しながらイノベーションを加速させる仕組みが導入されました。

この新しい流れの象徴が、NTTデータ、パスコ、キヤノン電子などが設立した新会社「Marble Visions(マーブルヴィジョンズ)」です。失われた「だいち3号」の後継機能を担う存在として、この民間連合が注目されています。Marble Visionsは国費で単一の大型衛星を作るのではなく、民間資金と宇宙戦略基金(最大280億円規模の補助)を活用して複数の小型光学衛星を打ち上げる計画を進めています。

項目だいち3号Marble Visions計画
衛星数1機8機以上(2027年から順次投入)
地上分解能0.8メートル40センチメートル級
運用主体JAXA(官主導)民間連合
3D観測限定的ペア運用による高精度3D地図作成

これはH3失敗の教訓から「一つの大型衛星に依存するリスク」を分散し、より柔軟で高頻度な観測体制を「民間ビジネス」として成立させようとする試みです。H3の失敗がなければ、これほどドラスティックな民間への権限移譲と資金投入は実現しなかったかもしれません。

H3ロケットの経済性と国際競争力

H3ロケットが技術的な信頼を取り戻した今、次なる課題は「コスト」と「ビジネス」です。世界のロケット市場は米国のSpaceX社によって完全に書き換えられてしまいました。H3ロケットの開発目標の一つは「H-IIAの半額(約50億円)」という低コスト化でした。自動車用部品の採用、3Dプリンタの活用、検査の自動化など涙ぐましいコスト削減努力が行われています。

現状では円安や資材高騰の影響もあり、目標の50億円に到達しているかは定かではありませんが、H-IIAに比べて大幅なコストダウンが進んでいることは確かです。しかしライバルはさらに先を行っています。SpaceXの主力ロケット「Falcon 9」は第1段機体を再使用することで圧倒的なコスト競争力を実現しており、ライドシェア(相乗り)を利用すれば小型衛星1キログラムあたり数千ドルという破格の安さで宇宙へ行くことができます。

「自律性」という価値:H3ロケットの存在意義

「Falcon 9の方が安くて実績があるなら、日本の衛星も全部SpaceXに頼めばいいのではないか」という議論は常に存在します。しかしH3ロケットの存在意義は単なる価格競争だけではありません。それは「自律性(Autonomy)」の確保です。

もし日本が独自のロケットを持たず全ての打ち上げを他国に依存した場合、外交関係の悪化や他国の優先順位(自国の軍事衛星優先など)によって、日本の重要な衛星(情報収集衛星や防衛通信衛星)が打ち上げられなくなるリスクがあります。ウクライナ戦争後、欧州がロシアのソユーズロケットを使えなくなり、自前のAriane 6の開発遅延と相まって「宇宙へのアクセス危機」に陥った事例は、ロケットを持たないことのリスクを如実に示しています。

H3ロケットは日本が好きな時に好きな軌道へ衛星を送り込める能力を担保するための「国家インフラ」であり、その維持コストは安全保障コストとしての側面を持っています。

欧州Ariane 6との比較

H3の直接的なライバルはSpaceXというよりは欧州の「Ariane 6」です。両者は共に「使い捨て型」であり、政府系ミッションを主軸にしつつ商業受注を狙うという似た境遇にあります。Ariane 6は2024年7月に初飛行を行いましたが、ミッション終盤で補助動力装置(APU)の不具合が発生しデオービット(軌道離脱)に失敗するという「部分的失敗」を経験しました。これにより2号機の打ち上げは2025年に延期されています。

対してH3は試験機1号機の失敗を乗り越え、既に3回の連続成功(試験機2号機、3号機、4号機)を達成しており、開発ステータスとしてはAriane 6を一歩リードしたと言えます。世界の顧客にとってH3は「信頼できる第二の選択肢」として魅力的な存在になりつつあり、インマルサットなどの海外顧客からの受注も既に獲得しています。

H3ロケットの今後の打ち上げスケジュール

H3ロケットは2025年以降も日本の宇宙活動の中核としてフル稼働が予定されています。JAXAの計画によればH3ロケットは今後、年間6機から将来的には8〜10機程度の頻度での打ち上げを目指し、生産ラインの増強が進められています。

今後の主要なミッションとしては、「HTV-X1号機」によるISS補給再開、準天頂衛星「みちびき7号機」の打ち上げ、そして2026年度に予定されている「MMX(火星衛星探査機)」の打ち上げがあります。

月探査「アルテミス計画」への貢献

H3ロケットとHTV-Xは米国主導の国際月探査「アルテミス計画」においても重要な役割を担います。月周回有人拠点「ゲートウェイ」への物資補給をHTV-X(およびその改良型)が担当し、それを打ち上げるのがH3ロケットです。H3の成功と安定運用は日本がアルテミス計画において発言権を維持し、日本人宇宙飛行士の月面着陸を実現するための「外交カード」としても機能します。

H3ロケット失敗から学ぶ日本の宇宙開発の未来

H3ロケット試験機1号機の失敗は、日本の宇宙開発史に刻まれる痛恨の出来事でした。貴重な衛星を失い、科学探査を遅らせ、技術者たちの自信を一時的に砕きました。しかしその後約2年間のプロセスを俯瞰すると、この失敗は日本に「強靭さ(レジリエンス)」をもたらした転換点であったとも評価できます。

技術面では「実績への過信」を排した徹底的な検証文化が再構築され、政策面では「官需一本足打法」からの脱却と「民間主導のエコシステム」への大胆な資金投入が始まりました。H3ロケットは単にH-IIAの後継機という枠を超え、日本の宇宙産業が「オールドスペース(官主導)」から「ニュースペース(官民融合)」へと脱皮するための、苦難に満ちた、しかし必要な通過儀礼だったのかもしれません。

現在、種子島宇宙センターの射点には次なるミッションを待つH3ロケットの姿が日常となりつつあります。失敗の教訓を燃料に変え、H3は今、日本の宇宙への道を力強く切り拓いています。

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