発達障害の子どもたちが増えており、通常学級に通いながら別の教室にも通っている「通級指導」を利用している小中高生は、15年で約13.7倍にも増え、2020年には9万6000人を超えています。「発達障害」という言葉に振り回されて苦しんでいるママ・パパが増えていると指摘しています。
2020年には9万6000人を超える発達障害とされる子がいるが、成田先生は35年の研究・臨床経験から、専門医による診断で実際に発達障害とされる子はそこまで多くないと述べている。背景には「発達障害もどき」の存在があると考えられる。 診断がつかないが、発達障害と見分けがつかない症状を示す「発達障害もどき」の子が増えている。脳に特性がある発達障害ではないが、疑われるケースがある。悩んでいる親の多くには、このようなケースが紛れ込んでいると思われる。
発達障害が社会に知られるようになってから、子供が集団行動から外れると先生や周りの大人たちから疑いの目を向けられることがあることを実感しています。私自身もそのような状況に悩まされ、心配で心が押しつぶされそうになりました。子供に対する接し方が変わり、笑顔で接することが減り、不安をぶつけるようにもなってしまいました。しかし今では、息子は元気に学校に通い、友達と仲良く行事に参加したり、勉強やクラブ活動にも頑張っています。
私たちは、何でもかんでもすぐに発達障害と言うのではなく、もっと発達障害について理解し、知識を深める必要があると考えます。
昔は、今思うとグレーというか、そういう子がクラスに何人もいたものです。 しかし、それなりに自分に合う仕事を見つけて幸せに暮らしている人もいます。 発達障害という診断は、本人が苦しんでいるときに初めてつけられますが、本人がストレスを感じることなく、個性として受け入れられる環境や人間関係で過ごせている場合は、問題ありません。
発達障害そのものが数値的にはっきりと診断できる材料がないため、もどきとそうでないものの区別はどうやってつけるのでしょうか。診断よりも、個々の子どもたちが抱える困り感にどう対処するかが重要だと思います。特に、一斉指導の学校の教室の中で苦しくなる子供が多いです。得意なことを伸ばし、苦手なことは助けを求めたりうまく回避することが「ずるい」のではなく、「当たり前」という空気になっていくことが重要です。発達障害かどうかは大切ではありません。どの子供にとっても選択肢がたくさんある場が必要です。
発達障害は幅が広すぎて、一括りにできないと思います。私が思い返せば、今で言うグレーゾーンの子供たちも昔は普通学級に結構いたように思います。同級生にはグレーゾーンな感じの男の子がいましたが、同窓会で再会したら教員になっていました。変わり者なのは今も昔も変わりませんでしたが、結局はどれだけ社会適応できるかが大切だと思います。
うちの場合は早めにADHDのグレーと分かっていたため、「なまけてる」「なんでしないの」といった言葉を子どもに言う必要がありませんでした。 親子でADHDの取り扱いに関する本を読むと、子ども本人が「ヤバイ、自分の子と書いてある、全部当てはまってる(笑)」と言って客観的に自分を見直しました。
失敗は多々あり、常に試行錯誤ですが、私の子供はグレー(ADHDの診断はつかないが傾向が強め)であることが分かっているため、「なぜ?」と自分を責めるのではなく、「次はどうやって工夫して乗り越えようか?」と親子で話し合えるようにしています。傾向があることを知ることは、私たちにとっては良いことだと思います。 自覚し、次はこうしようと本人が意識できた場合、失敗の回数が少し減ります。本人も少し自信を持てるようになったようです。
発達障害は、脳神経系の障害によって引き起こされる症状です。この障害は、落ち着きがなくなる、周りと同じことができないなどの症状だけでなく、日常生活に大きな支障をきたすことがあります。例えば、学業成績が低下する、就職活動がうまくいかない、社会的なつながりが築けないなど、多くの問題が発生することがあります。発達障害は、子供だけでなく、大人にも影響を及ぼすことがあります。したがって、早期の治療と支援が重要であり、正しい診断が必要です。
うちの娘は感覚過敏のため、偏食や、大きな音に極端に敏感に反応する、衣服の肌触りに違和感を感じると、時と場所を選ばず癇癪を起こし泣き叫ぶなどの症状が現れます。これはおそらく脳神経の状態によるものです。学校だけでなく、日常生活のあらゆる面で不便が生じています。
落ち着きがないとか、皆と同じことができないというのは、上記のような脳神経系の症状の副作用として起こるものです。
診断がつくことで、レッテルを貼られるのではなく、色々な支援を受けることができます。また、診断がつかなくても、第三者が特別な支援や配慮が必要と判断する場合、親御さんは支援を拒否すべきではないと思います。
ある記事によれば、現在の小学生のうち発達障害と思われる子は11人に1人いるそうです。
発達障害と個性(性格)の違いは、日常生活や社会生活で適応できないほどの問題があるかどうかにあります。親世代が小学生だった頃、クラスに特別学級に通う必要があるとされた子供が3〜4人いたかどうかは、覚えているでしょうか?
支援が必要な子供には当然、支援をするべきです。しかし、何でもかんでも集団生活に少し馴染めない理由だけで、発達障害と決めつける現代社会は、子供たちの将来にとっても良くないと思います。子供たちは、自分自身のペースで成長し、自分自身の方法で世界を理解する必要があります。また、発達障害の診断には、時間と専門的な知識が必要です。診断が誤って行われると、子供たちは不必要な特別なケアを受けることがあり、そのことが将来的に彼らの可能性を制限する可能性があります。したがって、子供たちの個性を理解し、必要に応じて支援することが重要であり、過剰なラベリングや診断は避けるべきです。
現代と昔は異なります。昔は現在のように複雑な社会ではありませんでした。
発達障害のある子供たちは、他の子供たちに追いつけない部分を持っています。その子供たちに求められることが多ければ多いほど、その差はより顕著になります。ただし、「部分的に」追いつけないということです。その部分は得意・不得意の部分で、子供それぞれによって内容は異なります。
発達障害の診断はとても難しいです。同じ診断名を持っていても、その子によって特性は異なるため、安易に「もどき」という言葉を使うのは避けましょう。本当は発達障害があるのに、親が認めないばかりに療育などを受けなかったり、普通と同じに無理にしようとすれば、本人が辛い思いをするかもしれません。さらに、「3食きちんと食べて、早寝早起きをすれば治る」といった考え方は単純化しすぎており、安易にそんなことを言うのは避けましょう。
うちの子供も2歳の保育園の健診で発達障害と言われ、それから2年ほどして、今では確かに成長が遅いかもしれないという印象が強くなっています。周りよりも明らかに成長が遅れています。
保育士や小児科の先生方は、膨大な量の子供を診察していますので、それなりに違和感には普通の人よりも見る目があるでしょう。 私はこの機会を肯定的に捉え、先々一般の子供と同じようになろうと思わずに、子供と向き合い方に悩んだら積極的に相談したり助けを求めることに決めました。そのおかげで、子供との向き合い方が以前よりもずっと前向きになり、楽しく、新しい驚きや困難に直面しながらも、進んでいけるようになりました。 また、成長にムラのある子供を抱える保育園でも、診断が入れば何かしらの支援を受けることができるようになり、心の負担も軽減されるかもしれないと思い、子供のためになっているのではないかと思います。
障害の有無に関係なく、子供が自己受容し、社会と適切に接する成長を支援することが重要です。診断がある場合でもない場合でも、目標は同じだと思います。
診断は子供と接する際のヒントになるかもしれませんが、個人差もあるため、親は悩みながらも、我が子に忍耐強く接するしかありません。
コメント