キャッシュレス店舗の現金拒否は違法?通貨の強制通用力と契約自由の原則を解説

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完全キャッシュレス店舗における現金拒否は、現在の日本の法制度において違法ではありません。「通貨の強制通用力」があるにもかかわらず現金を断ることに疑問を感じる方も多いですが、店舗が事前に「現金お断り」を明示し、客との間で合意が成立している場合、民法の「契約自由の原則」に基づき現金を排除することは法的に認められています。この仕組みを正しく理解することで、消費者としての権利と店舗側の運営方針の関係性が明確になります。

近年、都市部を中心に現金を一切取り扱わない完全キャッシュレス店舗が急速に増加しています。経済産業省が主導する「キャッシュレス・ビジョン」に基づく政策的な後押しに加え、労働力不足の深刻化や新型コロナウイルス感染症による非接触需要の高まりが、この流れを加速させました。飲食店、小売店、さらにはスタジアムなどのエンターテインメント施設まで、キャッシュレス専用店舗は拡大の一途をたどっています。しかし、この急速な変化は「現金お断りは違法ではないのか」「不便である」「排除されている」といった消費者からの疑問や不安も生じさせています。本記事では、完全キャッシュレス店舗の法的妥当性を現行法制度に照らして詳しく解説するとともに、店舗側が導入に踏み切る経済的理由、そして消費者が知っておくべきリスクと社会的課題について包括的に説明していきます。

完全キャッシュレス店舗とは何か

完全キャッシュレス店舗とは、現金を一切取り扱わず、クレジットカード、電子マネー、QRコード決済などのデジタル決済手段のみで支払いを受け付ける店舗のことです。従来の店舗では現金とキャッシュレス決済の両方に対応することが一般的でしたが、完全キャッシュレス店舗ではレジに現金を保管せず、釣銭の用意も行いません。

このような店舗形態が登場した背景には、日本社会における決済インフラの急速な変容があります。政府は2025年までにキャッシュレス決済比率を40%まで引き上げ、将来的には世界最高水準の80%を目指すという目標を掲げてきました。この政策目標と企業の経営効率化ニーズが合致し、完全キャッシュレス店舗という新しい業態が誕生したのです。

通貨の強制通用力とは何か

現金拒否の適法性を理解するためには、まず「通貨の強制通用力」という法的概念を正確に把握する必要があります。通貨の強制通用力とは、法律によって定められた通貨が、債務の弁済において受け取りを拒否されない効力を持つことを意味します。

日本国内における通貨の効力は、主に二つの法律によって規定されています。日本銀行法第46条第2項では、日本銀行が発行する銀行券(日本銀行券)は法貨として無制限に通用すると定められています。この「無制限」という表現は、一度に使用できる枚数や金額に上限がないことを示しており、債務の弁済において受け取り手がこれを拒否する正当な理由がない限り、決済が完了する法的効力を有することを意味します。

一方、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律第7条では、貨幣(硬貨)は額面価格の二十倍までを限り法貨として通用すると規定されています。これは硬貨を大量に使用された場合の受け取り側の計算や保管の負担を考慮したものであり、同一金種の硬貨が20枚までは法貨としての強制力を持ちますが、21枚目以降については受け取りを拒否することが認められています。

これらの規定により、日本の現金は原則として決済手段としての強制力を有していると解釈されます。しかし重要なのは、この強制通用力がすべての取引場面で無条件に適用されるわけではないという点です。

なぜ完全キャッシュレス店舗は違法にならないのか

完全キャッシュレス店舗が違法とならない法的根拠は、民法の基本原則である契約自由の原則にあります。私法上の取引において、当事者である店舗と客は、法令の公序良俗規定に反しない限り、契約の内容を自由に決定することができます。この自由には「どのような方法で代金を支払うか」という決済手段の取り決めも当然に含まれます。

法解釈の通説において、通貨の強制通用力は「債務の弁済にあたり、特段の合意がない場合」に適用される補充的な規定と理解されています。つまり、当事者間で別の合意がある場合には、その合意内容が優先されるのです。

店舗側が店頭の入り口、ウェブサイト、メニュー、あるいは注文用端末の初期画面などで「当店は完全キャッシュレス決済のみ対応しています」「現金は使用できません」と明確に表示している場合、これは法的には「現金以外の決済手段による売買契約の申込みの誘引」あるいは「条件付きの申込み」と解釈されます。客がその表示を認識した上で入店し、商品を注文した時点で、客側も「現金以外の手段で支払うこと」に同意したとみなされ、その条件下での売買契約が成立します。

このように当事者間で「現金を使用しない」という特約が成立している場合、その合意内容は法律の任意規定である強制通用力の適用よりも優先されます。したがって、店舗側が契約内容に基づき現金の受け取りを拒否することは、債務不履行や違法行為には該当しないのです。

事前告知がない場合の法的リスク

契約自由の原則による適法性が成立するためには、事前の明示が不可欠です。店舗側が事前の明示を怠り、客が食事やサービスの提供を受けた後の会計段階になって初めて「現金不可」を告げた場合は、法的判断が大きく異なってきます。

この場合、契約締結時点での決済手段に関する特約が存在しないため、原則通り「通貨の強制通用力」が適用されます。客が現金での支払いを申し出たにもかかわらず、店側がこれを受け取らない場合、店側は「受領遅滞」の責任を負うことになり、客側は債務不履行の責めを免れる可能性があります。

飲食店における「無銭飲食」のトラブルも、この文脈で理解する必要があります。現金しか持っていない客が事前の告知を見落として入店し飲食してしまった場合、店側が頑なにキャッシュレス決済を要求し、客が支払えない状態となれば、警察沙汰になるリスクがあります。しかし、客に支払う意思があり、たまたま決済手段が合致しなかっただけであれば、詐欺罪の成立要件である「当初からの欺く意思」を立証することは困難です。このため、実務上は後日払いあるいは振込対応などで解決せざるを得ないケースが多くなっています。

既存債務の弁済における通貨の強制通用力

前述の「契約自由」の論理は、これから契約を結ぶ新規取引において有効ですが、すでに発生している既存債務の弁済においては適用が異なります。知人から現金を借りている場合や、後払いの契約で決済手段を特定していなかった場合などがこれに該当します。

既存の金銭債務において、契約当初に「返済は銀行振込に限る」などの特約を結んでいない限り、債権者は債務者が提供する現金の受け取りを拒否することはできません。もし債権者が正当な理由なく現金の受領を拒んだ場合、債務者は法務局の供託所に現金を「弁済供託」することによって、債務を消滅させることができます。これは民法第494条に規定されている制度です。供託が行われると、債権者は供託所から現金を受け取る手間が生じる上、遅延損害金などの請求権も失うことになります。

この点において、新規取引と既存債務では法的な扱いが明確に異なることを理解しておく必要があります。

罰則規定の不在と法的な位置づけ

現状の日本の法体系において、「現金お断り」を掲げること自体を禁止する法律は存在せず、それに違反した店舗に対する行政処分や刑事罰の規定も一切設けられていません。これは事業者の「営業の自由」を尊重する現行法のスタンスを反映しています。

一部の法学者の間では、日本国憲法第25条の生存権に関連して「現金の利用権」を基本的人権の一部として捉えるべきか否かという学術的な議論も存在します。しかし、現時点での判例や通説において、民間店舗での現金拒否が憲法違反であるとの解釈は確立されていません。したがって、店舗が適法に告知を行い完全キャッシュレス運営を行うことに対して、公権力が介入する法的根拠は乏しいのが現状です。

店舗がキャッシュレス化を進める経済的理由

店舗側が「現金拒否」という判断を下す背景には、現金管理に伴う莫大なコストとリスクが存在します。経済産業省の推計によれば、日本全体での現金決済インフラ維持コストは年間約2.8兆円に達するとされています。この巨額コストの内訳には、店舗における釣銭準備金の用意、両替手数料、レジ締め作業の人件費、売上金の輸送・警備費用、そしてATMの維持管理費などが含まれます。

完全キャッシュレス化は、これらのプロセスを大幅に削減します。飲食チェーンにおけるレジ締め作業は、現金の計数と売上データとの照合に多大な時間を要し、1円でも合わなければ再確認を強いられるなど、従業員の精神的・肉体的負担となっていました。キャッシュレス化によりこの作業時間がほぼゼロになり、閉店業務の劇的な短縮が可能となります。これは働き方改革の観点からも有効な施策となっています。

また、日本のサービス産業が直面する慢性的な人手不足への対応という側面もあります。限られた人員で店舗を運営するためには、付加価値を生まない作業を極限まで削減する必要があります。現金の授受はミスの許されない作業でありながら、接客の質そのものを直接向上させるわけではありません。キャッシュレス化により従業員がより質の高い接客や調理に注力できる環境が整うのです。

さらに、すべての取引がデジタルデータとしてリアルタイムに記録されることで、顧客の購買行動を詳細に分析することが可能になります。これにより在庫管理の最適化、廃棄ロスの削減、ターゲットを絞ったマーケティング施策の展開が可能となり、データ駆動型経営への転換を促進することができます。

国内における完全キャッシュレス店舗の主要事例

ロイヤルホールディングスの実験店舗

ロイヤルホールディングスが2017年11月に東京・馬喰町にオープンした「GATHERING TABLE PANTRY(ギャザリング・テーブル・パントリー)」は、日本の飲食業界における完全キャッシュレス店舗の先駆けとして大きな注目を集めました。この店舗は研究開発店舗として位置づけられ、現金を一切扱わず、セルフオーダーシステムと調理ロボット等を組み合わせることで、少人数運営モデルの実証を行いました。

導入の結果、レジ締め業務や釣銭準備が不要となり、従業員の労働時間が大幅に短縮されました。厨房機器の最適化や清掃時間の短縮と合わせ、35坪の店舗をわずか3〜4人で運営可能にすることで、生産性の向上を実証しました。実験店舗としての役割を果たした後、同店舗はその役割を終えましたが、ここで得られたノウハウは同グループが展開する他店舗における券売機のキャッシュレス化や省人化オペレーションへと継承されています。

楽天生命パーク宮城のスマートスタジアム構想

プロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地である楽天生命パーク宮城(現:楽天モバイルパーク宮城)は、2019年シーズンよりスタジアム内のチケット、グッズ、飲食などすべての決済を完全キャッシュレスへと移行しました。

短いハーフタイムやイニング間に注文が集中するスタジアムにおいて、現金の受け渡しによるタイムロスは機会損失に直結します。完全キャッシュレス化により決済スピードが向上し、行列の緩和と回転率のアップが実現しました。また、食品を扱うスタッフが現金を触らないことによる衛生面の向上も、来場者から好意的に受け止められました。

導入当初はキャッシュレス手段を持たない来場者への対応が懸念されましたが、球団は場内に電子マネーのチャージ機を設置し、現金しか持たない客にはその場で現金を電子マネーへチャージさせる仕組みを構築しました。また、子供向けには専用の電子マネーカードを配布・貸与するなど、現金をデジタルマネーに変換する入り口を整備することで、完全キャッシュレス環境を維持しています。

スターバックスの都市型キャッシュレス店舗

スターバックス コーヒー ジャパンは、都内の一部店舗や新幹線ホーム上の店舗など、特定の立地においてキャッシュレス専用店舗を展開しています。移動の合間に一刻も早く商品を受け取りたいという利用者のニーズと、現金を扱わないことによるオペレーションの高速化が合致した事例です。スターバックスは全店一律ではなく、ビジネス街や交通結節点など「スピード」が最大の価値となる場所に限定してキャッシュレス店舗を配置する戦略をとっています。

2025年大阪・関西万博における完全キャッシュレス

2025年に開催された大阪・関西万博は、会場内の売店やレストランでの支払いを原則として完全キャッシュレスとし、独自の電子マネーや顔認証決済を導入しました。これは日本のキャッシュレス推進を象徴する国家的プロジェクトでした。

一方で、高齢者層からは「アプリの登録ができない」「スマートフォンを持っていない」といった不安の声も多く寄せられました。これに対し、万博協会は会場内で現金をプリペイドカードに交換できる場所を設けるなどの対策を講じました。「完全キャッシュレス」を掲げながらも、実際には現金からの変換プロセスを用意せざるを得なかったことは、現金の汎用性の高さを逆説的に示しています。

消費者が知っておくべきリスクと社会的課題

デジタル・ディバイドによる社会的排除の問題

完全キャッシュレス化がもたらす最大の倫理的課題は、デジタル技術へのアクセスやリテラシーを持たない人々を消費活動から排除してしまうデジタル・ディバイドの問題です。高齢者、障がい者、子供、あるいは銀行口座を持てない事情のある人々にとって、現金は最も簡単で確実な決済手段です。

「スマートフォンの操作が苦手」「画面が見えにくい」「管理が不安」といった理由で現金を使い続けたいと願う層に対し、選択肢を与えずにキャッシュレスを強制することは、サービスの享受機会を奪うことになりかねません。また、国民生活センターにはキャッシュレス決済に関連する高齢者の消費者トラブルが増加しており、架空請求、意図しないサブスクリプション契約、フィッシング詐欺による送金被害などが報告されています。

災害時における脆弱性

地震や台風などの自然災害が多発する日本において、電力と通信インフラに依存するキャッシュレス決済は、災害時にその機能を喪失するリスクを抱えています。

2022年のKDDI大規模通信障害では、QRコード決済やクレジットカード決済が利用できなくなる事態が広範囲で発生し、「現金のみ」の対応に戻さざるを得ない店舗が続出しました。2024年の能登半島地震の被災地では、長期の停電により電子決済が麻痺し、現金取引のみが機能する状況が見られました。一部の店舗ではレジが稼働しない中で、客が自ら商品の値段を計算し現金を置いていくという、現金ならではのオフラインの信頼取引が行われた事例も報告されています。

これに対し、決済事業者の中には通信圏外でも一定金額・回数まで決済が可能なオフライン支払い機能を実装し、災害時にも一定の利用実績を上げているところもあります。また、店舗側でもポータブル電源の確保や緊急時の現金対応キットの配備といった事業継続計画の策定が進められていますが、災害時の現金の強さを完全に代替するには至っていません。

決済手数料による中小店舗の負担

一部の小売店やスーパーでは、一度導入したキャッシュレス決済を廃止し「現金のみ」の運用に戻す事例も見られます。その主な理由は決済手数料の負担です。利益率の低い中小店舗にとって、売上の数パーセントを手数料として負担することは経営を圧迫する要因となります。また、入金サイクルの遅さによるキャッシュフローの悪化や、端末トラブル時のサポート対応への不満なども、現金回帰を促す要因となっています。

海外における現金擁護の動きから学ぶこと

日本がキャッシュレス化を推進する一方で、世界最先端のキャッシュレス国家であるスウェーデンでは、行き過ぎた現金廃止に対する揺り戻しが起きていることは注目に値します。スウェーデンでは現金流通残高が対GDP比で極めて低い水準まで低下し、多くの銀行支店が現金の取り扱いを停止し、公共交通機関や商店でも「現金お断り」が常態化しました。

しかし、これにより高齢者や地方在住者が生活に困難をきたす事態が生じたほか、サイバー攻撃などの安全保障上のリスクが現実味を帯びてきたことから、「現金の利用権」を守るための社会運動が展開されました。その結果、政府は主要銀行に対して一定の現金サービス維持を義務付ける法改正を行うなど、現金のインフラとしての重要性を再評価する方向へと舵を切っています。

また、アメリカの一部の州や都市では、低所得者層や銀行口座を持たない人々への差別につながるとして、小売店が現金を拒否することを禁じる条例や法律が制定されています。これらの国際的な動向は、効率性のみを追求するキャッシュレス推進に対する重要な示唆を与えています。

今後のキャッシュレス社会に向けた展望

完全キャッシュレス化は店舗側には明確な経済的メリットをもたらしますが、消費者側には利便性と排除という二面性を突きつけます。特に災害大国であり高齢化社会である日本において、現金の役割を性急に排除することは社会インフラの強靭性を損なうリスクがあります。

今後の店舗運営においては、ハイブリッドかつ柔軟なモデルが現実的な解となるでしょう。オフィス街や駅ナカなどスピードと効率が求められるエリアでは完全キャッシュレスを推進し、住宅地や地方部では現金を併用するという立地による棲み分けが考えられます。

また、完全キャッシュレス店舗であっても、現金しか持たない客のために店内でのプリペイドカード販売や例外的な現金授受マニュアルを整備し、門前払いを避ける運用工夫を行うことが重要です。さらに、通信障害や停電に備えてオフライン決済機能の導入や緊急時の現金対応キットをバックヤードに確保することも求められます。

「現金お断り」は単なる決済手段の選択ではなく、その店舗が「誰を客として迎え入れるか」という経営哲学の表明でもあります。法的な自由を盾にするだけでなく、多様な消費者を包摂する社会の構築こそが、長期的にはビジネスの持続可能性を高めることになるでしょう。

まとめ

完全キャッシュレス店舗における現金拒否は、日本の現行法制度において違法ではありません。通貨の強制通用力は特約がない場合の補充規定に過ぎず、店舗が事前に「現金お断り」を明示し客との間で合意が成立している限り、契約自由の原則に基づき現金を排除することは法的に認められます。また、これに対する行政罰や刑事罰も存在しません。

項目内容
法的結論完全キャッシュレス店舗は違法ではない
根拠となる法原則契約自由の原則(民法)
通貨の強制通用力特約がない場合の補充規定として適用
事前告知の重要性適法性の前提条件として必須
罰則規定現金拒否を禁止する法律・罰則は存在しない

ただし、事前告知なく会計時に初めて「現金不可」を告げた場合は、通貨の強制通用力が適用され、店舗側が受領遅滞の責任を負う可能性があります。また、既存債務の弁済においては、特約がない限り現金での支払いを拒否することはできません。

消費者としては、完全キャッシュレス店舗を利用する際には入店前に決済方法を確認することが重要です。一方、店舗運営者は事前告知を徹底するとともに、デジタル・ディバイドへの配慮や災害時の対応策を講じることで、すべての人に開かれた店舗運営を目指すことが求められます。

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