高崎市小学校の7時開門で校務員が大量退職!その理由と背景を徹底解説

社会

高崎市の小学校における7時開門問題とは、2026年度より群馬県高崎市内の全58小学校で登校時間を午前7時に前倒しする施策をめぐり、学校運営を支えてきた校務員(用務員)が大量退職している深刻な問題です。校務員の退職理由は、早朝勤務による身体的負担の増加に加え、児童の安全管理という本来の業務範囲を超えた責任を訓練も手当もなく負わされることへの強い反発が背景にあります。この問題は「子育て支援」を掲げる行政施策が、教育現場の実態を無視したトップダウンの決定によって推進された結果、最も立場の弱い非正規職員にしわ寄せが集中した構造的な矛盾を如実に示しています。

この記事では、高崎市の7時開門施策の全容から、校務員が退職を選ばざるを得なかった具体的な理由、行政が用いる「開門事業」という概念の問題点、さらには児童の安全面におけるリスクまで、多角的な視点から詳しく解説します。保護者の方はもちろん、教育行政に関心をお持ちの方にとって、この問題の本質を理解するための重要な情報をお届けします。

高崎市の7時開門施策とは

高崎市が打ち出した7時開門施策とは、2026年4月より市内全58の小学校において校門を午前7時に開放し、希望する児童を校舎内に受け入れるという方針です。従来、多くの小学校では教職員の勤務開始時刻である午前8時15分前後に合わせて午前8時頃に開門し、登校指導を行ってきました。今回の施策により、開門時刻が約1時間も前倒しされることになります。

この施策の表向きの目的は、共働き世帯の増加に伴う「小1の壁」への対策です。早朝出勤を余儀なくされる保護者からは「もっと早く学校を開けてほしい」という要望が長年存在しており、富岡賢治市長はこうしたニーズに応える形で「子育て支援ナンバーワン」を掲げ、本施策を強力に推進してきました。

方針が180度転換した不透明な経緯

この施策に対する不信感の最大の要因は、市の方針が短期間で明確な根拠を示さないまま大きく転換したことにあります。2024年9月の時点では、高崎市教育委員会は市民からの早期開門要望に対し、「受け入れ体制が整っていない」「教職員の勤務時間外である」として明確に「不可」と回答していました。これは児童の安全管理責任を負う学校設置者として、極めて常識的かつ慎重な判断でした。

ところが、そのわずか1年後の2025年8月、市は突如として「全校一斉実施」を発表しました。この間に教員の増員や警備員の配置予算確保といった受け入れ体制の抜本的な改善がなされた形跡は確認されていません。現場との十分な協議プロセスを経ず、政治的なトップダウンによって結論だけが覆されたという経緯が、教育現場に深い不信感と徒労感を植え付けることとなりました。

トップダウン型の市政運営がもたらした弊害

高崎市の富岡賢治市長は、その強力な政治手法で知られています。過去にも高崎アリーナの建設や芸術劇場の整備など、大型プロジェクトを次々と実現させてきた実績がありますが、今回の7時開門についても教育委員会や学校現場からのボトムアップによる提案ではなく、市長部局からの強い意向が働いたと見られています。教育行政における「政治主導」は迅速な改革を可能にする一方で、現場の実務能力やリソースを無視した決定になりがちです。今回のケースは、現場のキャパシティを超えた政治的決定が教育現場のインフラを揺るがしている典型的な事例と言えます。

校務員が大量退職した理由と構造的な背景

高崎市の7時開門問題において最も深刻な事態が、校務員の大量退職です。次年度の契約更新を行わず退職する校務員は数十名規模に上るとされており、学校運営の根幹が揺らぐ事態となっています。なぜ彼らは長年勤めてきた職場を去る決断に至ったのか、その背景には複数の構造的な問題が絡み合っています。

非正規雇用という脆弱な立場

校務員の退職問題を理解するうえでまず押さえるべきは、彼らの多くが「正規職員」ではないという現実です。高崎市においても校務員業務の多くは、再任用職員や会計年度任用職員と呼ばれる非常勤公務員によって担われています。会計年度任用職員とは、地方公務員法の改正により2020年度から導入された制度で、従来の臨時職員や嘱託職員を統一的に位置付けたものです。彼らの多くは定年退職後の高齢者や有期雇用で働く人々であり、低賃金でありながら学校施設の修繕や清掃、除草、給食の配膳補助、そして毎朝の開錠施錠といった学校運営に不可欠な業務を黙々とこなしてきました。しかし雇用契約はあくまで年度ごとの更新であり、労働条件の変更に対する交渉力は極めて限られた立場にあります。

施設管理から児童管理への業務変容

市当局は「校務員の業務は門を開けること」と説明していますが、これは現場の実態からかけ離れた認識と言わざるを得ません。午前7時に門を開ければ、当然ながら児童が校内に入ってきます。冬場の7時はまだ薄暗く、気温が氷点下になることも珍しくありません。そのような環境の中で、低学年の児童が登校し教室や廊下で過ごすことになります。

児童が転んで泣いていたら、不審者が校地内に入り込んだら、児童同士がトラブルを起こしたら、職業的良心を持つ校務員は必ず対応せざるを得なくなります。つまり今回の施策は校務員に対し、実質的に「児童の見守りと安全管理」という教員や保育士が担うべき高度な専門業務を、十分な訓練も追加の手当もなしに押し付けるものです。「何か事故が起きたらどうするのか」という重圧は、特に高齢の校務員にとって耐え難いストレスとなっています。

早朝勤務がもたらす深刻な健康リスク

午前7時に開門するためには、遅くとも6時30分には出勤して開錠準備や校内の安全確認を行わなければなりません。高齢の職員にとって真冬の暗く寒い早朝における出勤と屋外作業は、心筋梗塞や脳卒中といった深刻な健康リスクに直結します。会計年度任用職員の給与は時間給ベースで計算されることが多く、早朝勤務に対する割増賃金が支払われたとしてもその額はわずかなものです。「命を削ってまでやる仕事ではない」という判断に至ったことは、労働者として極めて合理的な結論と言えます。

「開門事業」と「預かり事業」の違いに潜む行政の論理

高崎市がこの施策を正当化するために用いているのが、「これは『預かり事業』ではなく『開門事業』である」というロジックです。この一見すると些細に思える言葉の使い分けの裏には、行政の巧妙な責任回避の意図が隠されています。

「預かり事業」と認めた場合に発生する義務

もし市がこの施策を「早朝預かり事業」と認定した場合、そこには法的な義務が発生します。放課後児童クラブ(学童保育)と同様に、児童福祉法や関連条例に基づき、一定の広さのスペースの確保が必要です。そして何より「放課後児童支援員」や「保育士」といった有資格者の配置が義務付けられます。これには多額の人件費と採用コストがかかるほか、預かり中の事故については明確に事業主体の責任となります。

「開門事業」という概念が生む責任の空白

そこで市が打ち出したのが「開門事業」という概念です。市はあくまで学校の門と教室という「場所」を開放するだけであり、児童を「預かる(監護する)」わけではないという理屈になっています。場所を開放するだけであれば施設管理の一環として扱えるため、保育士の配置義務は発生しません。監視員が不在でも法的には「公園にいるのと同じ」状態と解釈させることができます。

しかし、この理屈は保護者の認識とは決定的に乖離しています。保護者は「学校の中に子どもが入れば、先生や大人が守ってくれる」と信じて送り出します。行政がその信頼を前提としながら「場所は提供するが安全は保証しない」という態度をとることは、公的機関として極めて不誠実と言わざるを得ません。

文部科学省の方針との形式的な整合

文部科学省は教員の長時間労働是正(働き方改革)の観点から、登校時間前の児童対応を教員の業務から切り離すよう通知を出しています。高崎市は「開門事業であり対応するのは校務員または委託業者なので、教員の勤務時間には影響しない」と主張し、文部科学省の方針にも反しないとの立場をとっています。しかしこれは形式的な整合性を整えただけであり、学校施設内で児童を受け入れる以上は避けて通れない「管理責任」という本質的な問題は棚上げされたままです。

シルバー人材センターへの委託が抱える課題

退職する校務員の後任として、高崎市はシルバー人材センターへの業務委託を進めています。しかしこの対応策は「学校の安全」という最も重要な観点から見て、看過できない課題を抱えています。

法的な業務範囲との矛盾

シルバー人材センターの業務は、高年齢者等の雇用の安定等に関する法律に基づき「臨時的・短期的・軽易な業務」に限定されています。毎日決まった時間に数百人の児童の登校を見守り、不審者対応や緊急時の避難誘導を行うことは決して「軽易」な業務ではありません。継続的かつ重い責任を伴う業務をシルバー人材センターに委託すること自体が、制度の趣旨を逸脱している可能性があります。

加えて、シルバー人材センターの会員は市と直接の雇用関係にない「請負・委任」の関係にあります。そのため学校長や教頭が彼らに直接指揮命令を行うことは「偽装請負」とみなされるリスクがあり、緊急事態が発生した際に指揮命令系統が機能しなくなる恐れがあります。

高齢者と児童の双方が直面するリスク

シルバー人材センターの会員は一般的に校務員よりもさらに高齢であるケースが多くなっています。防犯訓練や救命講習を十分に受けていない方々に、学校の安全管理としての役割を期待するのは現実的ではありません。不審者が侵入した際の制止対応を求めることは困難ですし、会員自身が業務中に転倒したり体調を崩したりした場合の補償問題も複雑になります。市は「安価な労働力」としてシルバー人材を活用しようとしていますが、それは子どもと高齢者の双方を危険に晒すことにつながりかねません。

教職員へのしわ寄せと「空白の1時間」の問題

市教育委員会は「教員の勤務時間は変わらない」「教員には対応を求めない」と繰り返し説明しています。しかし教育現場の実情を踏まえれば、この説明が現実離れしていることは明らかです。

善意の労働が強いられる構造

7時に開門してから教員の勤務開始である8時15分までの1時間15分は、学校内に「大人の目が十分に行き届かない空白の時間」が生まれます。もし7時30分に児童が怪我をしたり体調を崩したりした場合、シルバー人材のスタッフが職員室に駆け込んで助けを求めてきたとき、「今は勤務時間外なので対応しません」と断れる教員はいません。

結果として責任感の強い教員ほど心配で早く出勤せざるを得なくなり、なし崩し的に「早朝の見守り」が教員の「自主的な活動」として定着していくことが懸念されます。これは実質的な無賃労働であり、国が推進する「教員の働き方改革」に対する明白な逆行です。

管理職に降りかかる重い法的責任

校長や教頭といった管理職にとっても、この施策は極めて深刻な問題をはらんでいます。勤務時間外であっても学校施設内で事故が起きれば、国家賠償法上の管理責任が問われる可能性があります。十分な人員も権限も与えられないまま無限の責任だけを負わされる状況は、管理職にとって大きな精神的負担となっています。全群馬教職員組合が強い調子で反対声明を出しているのは、単なる労働負担の問題だけでなく、この「責任の所在の曖昧さ」に対する切実な危機感があるからです。

7時開門で想定される児童の安全リスク

7時開門が実施された場合に起こりうる具体的なリスクについて、学校現場で日常的に懸念される事象を踏まえて検証します。これらは決して想像上の話ではなく、十分に起こりうる事態です。

不審者侵入への対応力低下

早朝に登校する児童に紛れて不審者が校内に侵入した場合、発見が大幅に遅れる可能性があります。正規の教職員が職員室に揃っていない時間帯に、広い校舎内に分散した児童の安全をシルバー人材のスタッフ数名で確保することは物理的に困難です。正門以外の通用門やフェンスからの侵入に対する警戒も手薄にならざるを得ず、防犯体制の脆弱化は避けられません。

教員不在の教室で深刻化するトラブル

大人の目が届かない教室は、いじめやトラブルが生じやすい環境です。早朝の教室で特定の児童に対する嫌がらせや暴力が行われた場合、それを発見し止める大人がいません。大人の監視がない密室空間でのトラブルは深刻化しやすく、学校全体の教育環境に悪影響を及ぼす恐れがあります。

自然災害発生時の対応不能

早朝7時台に大きな地震が発生した場合を想定すると、避難誘導や点呼、安否確認、保護者への引き渡しといった一連の対応を、教職員の指揮系統が確立していない状況で遂行することは極めて困難です。学校における防災体制の要は教職員の連携にありますが、7時開門の時間帯にはその連携体制が十分に機能しません。

鍵管理のセキュリティリスク

学校の鍵は、個人情報の保管された職員室や危険物のある理科室などへのアクセス権を意味します。シルバー人材や外部委託業者に鍵の管理範囲を広げれば、紛失や複製、管理ミスのリスクが増大し、学校全体のセキュリティ水準が低下する懸念があります。

教職員組合と行政の深まる対立

この問題をめぐり、全群馬教職員組合および高崎市教職員組合はかつてないほど強い調子で反対の立場を表明しています。組合の主張は「自分たちの仕事を増やしたくない」というものではなく、「子どもを守れない体制で開門することは無責任だ」という教育者としての倫理観に基づいたものです。

市教育委員会が「校長会とは合意した」と説明することに対し、組合は「現場の実情を無視した強引な決定だ」と反論しています。校長会の合意があったとしても、それは市長部局からの圧力を受けた形式的なものにすぎず、現場で実際に働く教職員の納得が得られているとは言えない状況です。

市議会における教育委員会の答弁にも矛盾が見受けられます。「ニーズは相当数ある」と述べながら具体的な利用者数の見込み調査は実施されておらず、「トラブルは教員でなく校務員が対応する」と説明しながら緊急時の具体的な対応マニュアルは示されていません。こうした矛盾に満ちた対応が、現場のさらなる不信を招く結果となっています。

高崎市の7時開門問題が日本の教育行政に問いかけるもの

高崎市の7時開門問題は、一自治体のローカルな問題にとどまらず、日本社会全体が直面している「公教育の役割肥大化」と「労働力不足」の縮図として捉えることができます。

予算をかけない「安上がりな福祉」の限界

共働き世帯への支援は社会的に重要な課題です。しかし学校という既存のインフラに追加予算も人員もかけずに対応しようとすれば、必ずどこかにしわ寄せが生じます。今回のケースでは、その負担が最も弱い立場にある非正規の校務員に集中し、大量退職という形でシステムが危機的状況に陥っています。「開門事業」という言葉の定義で法的責任を回避しようとしても、現実に児童がそこにいる以上、リスクが消えることはありません。本来必要なのは、適切な予算を確保したうえで保育士や警備員を正規に雇用し、安全な「早朝預かり事業」として正面から制度化することです。

保護者が確認すべき重要な視点

「7時から学校が開いて便利になる」と受け止める前に、「その時間、学校には誰がいて、誰が我が子の安全を守ってくれるのか」を確認する必要があります。誰も明確な責任を持たない空白の時間帯に子どもを送り出すことのリスクを保護者自身が認識し、行政に対して実効性のある安全対策を求めていくことが求められます。

他自治体への波及が懸念される「悪しき前例」

もし高崎市が校務員の大量退職という犠牲を払いながらも、見かけ上このシステムを運用し続けることに「成功」してしまった場合、財政難にあえぐ他の自治体が追随する恐れがあります。「教員を使わず安価な委託業者で早朝を開放すれば、子育て支援をアピールできる」という安易なモデルが全国に波及すれば、日本の学校安全基準はなし崩し的に低下していく危険性があります。

非正規公務員の待遇を見直す契機として

校務員の大量退職は、会計年度任用職員制度の限界をも浮き彫りにしています。「公務員」という名のもとで低賃金かつ不安定な雇用に甘んじてきた人々が「これ以上の責任は負えない」と声を上げたことは、エッセンシャルワーカーとしての彼らの価値を社会が正当に評価し直す契機とするべきです。学校は教員だけで成り立つものではなく、事務職員や栄養職員、そして校務員といった多様な職種がチームとして機能して初めて教育活動が成立するという事実を、改めて認識しなければなりません。

2026年4月の実施まで、まだ時間は残されています。高崎市には一度立ち止まり、校務員の退職理由を真摯に分析したうえで、専門要員の配置や明確なルール作り、そして現場との丁寧な対話を通じて計画を再検討することが強く求められます。教育行政において最優先されるべきは「児童の安全と最善の利益」であり、この原点を見失った施策が持続可能な形で機能することはないでしょう。高崎市の7時開門問題は、日本の教育現場がこれからどのような方向へ進むのかを占う、重要な分水嶺となる事例です。

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