ネスレがアイスクリーム事業を売却する理由とは?背景と戦略を徹底解説

社会

ネスレのアイスクリーム事業売却とは、世界最大の食品企業であるネスレが、残存するアイスクリーム事業を合弁会社フロネリに完全移管する戦略的決定のことです。2026年2月19日、ネスレはフロネリとの間で高度な交渉に入っていることを公式に発表しました。この決断の背景には、約10年にわたるポートフォリオ合理化の流れ、前例のないリーダーシップの混乱、そしてコーヒーやペットケアなど高成長分野への「選択と集中」戦略があります。

本記事では、ネスレがなぜ100年以上関与してきたアイスクリーム事業から完全撤退するのか、その理由と背景を詳しく解説します。新CEOフィリップ・ナヴラティルが描く次世代戦略の全貌から、業界全体で進むアイスクリーム事業の分離トレンド、GLP-1受容体作動薬の普及による消費者行動の変化まで、多角的な視点から読み解いていきます。

ネスレのアイスクリーム事業売却の全体像と現在の状況

ネスレが現在直接所有・運営しているアイスクリーム事業は、アジア、カナダ、ラテンアメリカの一部地域に限定されています。この残存事業の年間売上高は約10億スイスフラン(約12億米ドル)弱であり、展開市場は主に6カ国に集中しています。ネスレのグループ全体売上高が2025年実績で894億9000万スイスフランであることを考えると、この規模はごくわずかなものです。

2025年9月に就任した新CEOのフィリップ・ナヴラティルは、決算発表の場でアナリストに対し「焦点を絞るということは、時に事業から撤退することを意味する」と明確に語りました。さらに「残存するアイスクリーム事業は強固ではあるものの規模が小さく、我々にとっては気を散らす要因となっている」とも述べ、この事業がフロネリにとって完璧なフィット感をもたらすと確信していることを表明しています。売却は2027年初頭までの段階的な完了を目指して交渉が進められています。

マレーシア市場でも動きが出ており、ネスレ・マレーシアが「ラ・クレメリア」や「マックール」といったブランドを含む同国のアイスクリーム事業をフロネリに売却するための正式な検討プロセスを開始しました。

ネスレがアイスクリーム事業を売却する理由と歴史的背景

1990年代から2000年代にかけた積極的な拡大と買収の軌跡

ネスレのアイスクリーム事業の拡大は1990年代に本格化しました。北米市場では、スーパープレミアム・カテゴリーでの支配的地位を確立するため、数々の戦略的提携や買収が展開されています。1999年にはピルズベリーとの合弁会社「アイスクリーム・パートナーズ」を設立し、ネスレのアイスクリーム事業と「ハーゲンダッツ」ブランドの米国・カナダ事業を統合しました。

2001年にゼネラル・ミルズがピルズベリーを買収した際、ネスレは契約上の権利を行使して合弁会社の持ち分を買い取っています。この取引によって、米国・カナダにおけるハーゲンダッツ・ブランドの99年間のライセンス権(2110年まで有効)を独占的に獲得しました。さらに2003年には、米国のドライヤーズ・グランド・アイスクリームと自社事業を統合し、拡大された新会社の67%の株式を取得するという大胆な一手に出ています。

当時のピーター・ブラベックCEOは「米国市場でトッププレイヤーになるという目標が実現した」と宣言しました。この統合では米連邦取引委員会(FTC)による独占禁止法の審査も入り、ドリーマリーやホールフルーツのソルベ・ブランド、ゴディバのアイスクリーム・ライセンス権などの売却が義務付けられるほどの大規模な取引でした。厳しい規制当局の要求を受け入れてまでも、ネスレは米国市場での支配的地位の確立にこだわったのです。

フロネリ設立から始まった10年がかりのアイスクリーム事業外部化

2010年代に入ると、アイスクリーム事業を取り巻く環境は大きく変わりました。莫大な資本を投じて築き上げた巨大な直営のアイスクリーム部門は、ネスレ全体の利益率向上と資本効率の改善を目指す新たな経営方針の下で見直しの対象となっています。

転換点となったのが2016年10月のフロネリの設立です。ネスレは欧州のプライベート・エクイティ企業PAIパートナーズと合弁で、ネスレの欧州20カ国におけるアイスクリーム事業・冷凍食品事業と、PAIが所有していたR&Rアイスクリームの全事業を統合しました。フロネリはネスレとPAIパートナーズが50%ずつ出資する合弁会社として運営され、アイスクリーム専業メーカーとしての俊敏性と専門性を武器に急速に売上と利益を拡大していきました。

欧州での合弁事業の成功を受け、ネスレは2019年12月に米国のアイスクリーム事業を40億米ドルという巨額でフロネリに売却する決断を下しました。ハーゲンダッツ、ドライヤーズ、エディーズ、アウトシャイン、ドラムスティックといったブランド群がフロネリに移管され、フロネリは世界第2位のアイスクリームメーカーへと躍進しています。当時のマーク・シュナイダーCEOは「フロネリの設立は驚異的な成功を収めた。このビジネスモデルが米国市場にも拡張できると確信している」と述べ、直営モデルから合弁会社への完全な委任へと舵を切りました。

したがって、2026年現在のアジアやラテンアメリカの残存事業の売却は突発的な決定ではなく、2016年のフロネリ設立から始まった約10年がかりの「アイスクリーム事業完全外部化プロジェクト」の最終章に位置づけられます。

リーダーシップの混乱と2025年決算が示す厳しい財務的現実

ネスレがポートフォリオの合理化を加速させなければならなかった背景には、同社が直面した深刻なリーダーシップの危機があります。2024年秋に業績不振を理由にマーク・シュナイダーCEOが解任され、後任としてベテランのローラン・フレックスが就任しました。しかし事態はさらに悪化し、2025年9月にフレックスCEOは直属の女性部下との未公表の関係が社内行動規範に違反すると判断され、就任からわずか1年足らずで解任されています。この調査は2026年に退任予定のポール・ブルッケ会長と筆頭独立取締役のパブロ・イスラが外部弁護士の支援を得て主導したものでした。

12カ月間で2度のCEO緊急交代という異例の事態は株価を一時3.6%下落させ、J.P.モルガンなどのアナリスト陣から厳しい評価を受けています。

この危機の中で新たなCEOとして抜擢されたのが、当時49歳のフィリップ・ナヴラティルです。2001年に内部監査役としてネスレに入社して以来、ホンジュラスやメキシコなどラテンアメリカ市場でカントリーマネージャーなどの要職を歴任してきました。2020年からはグローバル・コーヒー戦略の責任者としてネスカフェやスターバックス・ブランドの成長を牽引し、2024年7月からはネスプレッソのCEOを務めていた人物です。

ナヴラティルCEOが直面した財務的現実も非常に厳しいものでした。2026年2月19日に発表された2025年通期決算では、グループ全体の売上高が前年比2.0%減の894億9000万スイスフランに着地しています。純利益は前年の108億8400万スイスフランから17.0%減少し、90億3300万スイスフランへと大きく落ち込みました。基調的営業利益マージンも16.1%となり、前年の17.2%から110ベーシスポイント悪化しています。この悪化の主因はコーヒー豆やカカオなど主要原材料の歴史的な価格高騰です。米国における乳児用粉ミルクの自主回収に伴う影響もあり、成長率を約20ベーシスポイント押し下げたと推計されています。

一方で明るい兆しもありました。事業の真の成長力を示すオーガニック成長率は3.5%を記録しています。特に注目すべきは、実質内部成長率(RIG)が上半期の0.2%から下半期には1.4%へと力強く加速したことです。地域別でも、アメリカ大陸が344億8200万スイスフラン(オーガニック成長率3.5%)、アジア・オセアニア・アフリカが205億5300万スイスフラン(同3.2%)、欧州が175億8100万スイスフラン(同4.3%)と、全地域でプラス成長を達成しています。

こうした状況の中で、ネスレは「成長のための燃料(Fuel for Growth)」と名付けた大規模コスト削減プログラムを加速させました。2027年末までに全世界で約1万6000人(うちホワイトカラー約1万2000人)の人員削減を実施し、年間10億スイスフランの効率化を目指しています。調達コスト削減と合わせ、2027年までに合計30億スイスフラン(約34億米ドル)のコスト削減を達成する計画であり、浮いた資金は成長分野への再投資や広告・マーケティング費用の増額に充てられます。

ネスレの次世代戦略における4つの「パワーハウス」への集中

ナヴラティルCEOは、ネスレの巨大で複雑な製品ポートフォリオを解体し、真にグローバルな競争優位性を持つ4つの事業領域に全社の資源を集中させることを宣言しました。それが「コーヒー」「ペットケア」「ニュートリション」「フード&スナック」の4部門であり、これらの売上高はすでにネスレ全体の約70%を占めています。以下の表に各部門の特徴をまとめます。

部門主要ブランド成長ドライバー
コーヒーネスカフェ、ネスプレッソ、スターバックスコールドコーヒーの普及、家庭内バリスタ体験
ペットケアピュリナなどヒューマナイゼーション、ペット向け治療食
ニュートリションヘルスサイエンス統合高齢化社会、科学的根拠に基づく早期栄養
フード&スナックキットカット、マギー、ホットポケッツ食事のスナック化、新フレーバー開発

コーヒー事業の圧倒的な成長力と市場支配力

ネスレの最大事業であるコーヒー部門は、ナヴラティルCEO自身がキャリアの多くを捧げてきた領域です。「ネスカフェ」「ネスプレッソ」「スターバックス・コーヒー・アット・ホーム」という3つの10億ドル級ブランドを擁し、全ての価格帯とフォーマット、流通チャネルにおいて圧倒的なリーダーシップを発揮しています。

世界のコーヒーカテゴリーは2025年から2027年にかけて毎年3%から5%の価値成長が見込まれています。この成長を牽引しているのが、Z世代やミレニアル世代を中心としたコールドコーヒーの急激な普及です。家庭内で本格的なバリスタスタイルのカスタマイズ体験を求める消費者の欲求も高まっています。ネスレは2024年5月に「ネスカフェ・エスプレッソ・コンセントレート」を発売し、すでに15カ国以上に展開するなど高単価で革新的な製品の投入を加速させています。2025年の決算でも、ネスプレッソ部門単体で65億5100万スイスフランの売上と6.0%の力強いオーガニック成長を達成しました。

ペットケア・ニュートリション・フード&スナックの成長戦略

ペットケア部門は、過去数年間にわたりネスレの実質内部成長率を最も強力に牽引してきた分野です。ペットを家族の一員として扱う「ヒューマナイゼーション」のトレンドを背景に、単なる栄養補給を超えたウェルビーイング向上やペット向け治療食への需要が拡大しています。

ニュートリション部門では、これまで独立したグローバル管理事業として運営されてきたネスレ・ヘルスサイエンスとの統合が決定されました。ヘルスサイエンス部門のCEOを務めていたアンナ・モールは2026年2月末をもって執行役員会から退任することとなっています。統合の狙いは、高齢化社会の進展や科学的根拠に基づいた早期栄養の需要増に対応するため、研究開発のシナジーを最大化することです。成長性が低いと判断された主流およびバリュー向けのビタミン・サプリメント・ブランドの売却準備も完了し、潜在的な買い手との交渉が開始されています。

フード&スナック部門は「キットカット」「マギー」「ストーファーズ」「ホットポケッツ」などの強力なブランドを中心に構成されています。リモートワークやハイブリッドワークの普及により、消費者の食習慣には劇的な変化が生じています。2023年12月の調査では、リモート・ハイブリッドワーカーのサンドイッチ購入量が全時間帯で35%以上増加し、朝食用サンドイッチは44%、夕食用ハンドヘルド食品は39%も急増しています。消費者の約4分の3が週に少なくとも一度は伝統的な食事をスナックに置き換えているというデータもあります。

ネスレはこの「食事のスナック化」の波に乗り、「ホットポケッツ」や「デリウィッチ」などの利便性の高い冷凍・チルド製品の拡販に注力しています。味覚トレンドにおいても、SNSで15億回以上再生された「クランチ」のトレンドに続き、「Swangy(スパイシー+甘い+酸っぱい)」や「Swavory(スパイシー+甘い+旨味)」といった高度なフレーバープロファイルの開発に投資を進めています。

アイスクリーム事業の売却先「フロネリ」が持つ戦略的な優位性

専業企業ならではの俊敏性と効率性

ネスレがアイスクリーム事業の売却先としてフロネリを選び続けている理由は、そのビジネスモデルの卓越性にあります。フロネリはアイスクリームの製造・販売に完全特化した「ピュアプレイ(専業)」企業です。多国籍コングロマリットの内部に事業を留めた場合に発生する全社的なITシステムの統合、厳格な人事・承認プロセス、他部門との資本配分をめぐる社内調整といった官僚的摩擦から解放されています。

イブラヒム・ナジャフィCEOの下で起業家精神に溢れた俊敏な経営を行っており、ネスレから受け継いだ消費者ブランドとアウトオブホームの流通網を、R&Rアイスクリーム由来のプライベートブランド製造能力と融合させて巨大な相乗効果を生み出しました。フロネリの2022年度の売上高は50億7400万ユーロ、営業利益は4億1400万ユーロに達し、フリーキャッシュフローも1億1600万ユーロを創出しています。

資本効率の最適化とアセットライト戦略の実現

ネスレにとって最大のメリットは、資本集約的なビジネスの直接的な運用コストから解放されることです。アイスクリーム事業は世界規模で専用工場、冷凍トラック、数百万台の冷凍キャビネットを保有・維持するための巨額の設備投資を必要とします。フロネリへの移管によって、これらの重い資産をバランスシートから切り離し(アセットライト化)、資本利益率を大幅に向上させることが可能になります。

それでいてネスレはフロネリの株式50%を保有しているため、フロネリが創出する利益を持分法投資損益として取り込み、定期的な特別配当も受け取れます。2025年の決算報告でも、フロネリから多額の特別分配金を受領したことが明記されました。フロネリの企業価値は現在約150億ユーロに達しており、ゴールドマン・サックスなど新たな金融投資家の資本参加や、PAIパートナーズの出資比率引き上げも取り沙汰されています。

ネスレは合弁事業そのものからの完全撤退は計画していないと明言しています。「リスクと運用コストは外部化し、金融的リターンとブランドのロイヤリティは享受する」という枠組みを維持する方針であり、このアセットライト戦略はFMCG業界における事業分離の有力なベンチマークとなっています。

業界全体で進むアイスクリーム事業の分離とユニリーバの戦略的判断

ネスレのアイスクリーム事業売却の合理性は、最大の競合企業であるユニリーバの動きによってさらに裏付けられています。ユニリーバは2025年12月、自社のアイスクリーム事業をスピンオフさせ「ザ・マグナム・アイスクリーム・カンパニー(TMICC)」としてアムステルダム、ロンドン、ニューヨークの各証券取引所に上場させました。

TMICCは「マグナム」「ベン&ジェリーズ」「ウォールズ」「コルネット」などのメガブランド群を擁し、世界のアイスクリーム売上の約21%のシェアを握る世界最大の専業企業です。この規模は第2位のフロネリの約2倍に相当します。2024年の売上高は約79億ユーロ、調整後EBITDAは約13億ユーロであり、世界80カ国以上で300万台以上のブランドロゴ入り冷凍キャビネットを展開しています。

以下の表にネスレとユニリーバのアイスクリーム事業分離を比較します。

項目ネスレユニリーバ
手法合弁会社(フロネリ)への事業委譲パブリック市場へのスピンオフ(TMICC)
開始時期2016年(フロネリ設立)2025年12月(TMICC上場)
持ち分の方針50%保有を継続20%保有後、5年間で0%へ段階的売却
受け皿の規模世界第2位の専業メーカー世界最大の専業メーカー(シェア約21%)

ユニリーバの経営陣は「アイスクリーム事業は他のカテゴリーとは全く異なるオペレーティングモデルを持っている」と結論づけました。季節変動性の極端な高さ、数カ月前からの在庫積み上げによる運転資金の圧迫、自社での冷凍庫手配と冷凍トラック配送という独自サプライチェーンの必要性が、コングロマリット内部での管理を困難にしていたのです。TMICCは独立後、5億ユーロのコスト削減プログラムを通じてEBITDAマージンを毎年約50ベーシスポイントずつ引き上げ、長期的には3%から5%のオーガニック成長を目指す計画を発表しています。

FMCG業界の両巨頭が同時期に「アイスクリーム事業は総合食品メーカーの社内には収まりきらない」という結論に達したことは、業界の構造が根本から変化したことを示す象徴的な出来事です。

GLP-1受容体作動薬の普及がアイスクリーム市場に与える衝撃

アイスクリーム事業をめぐる戦略見直しを決定づけた外部要因として、GLP-1受容体作動薬の爆発的な普及が挙げられます。「オゼンピック」や「ウエゴビ」に代表されるこの薬は、本来腸から分泌されるホルモンの働きを模倣し、胃の消化活動を遅らせて脳の満腹中枢に強力に作用することで食欲を抑制します。

PwCの調査では、米国で2025年12月までの12カ月間に利用者が倍増し、全世帯の約20%に少なくとも1人のGLP-1使用者がいると推計されています。米ギャラップ社の調査でも成人の約12.4%が減量目的で注射薬を使用しています。英国でも4.1%の世帯が利用を開始しており、欧州市場への普及も本格化しています。

EY-Parthenonの試算では、GLP-1の普及による食生活の変化により、今後10年間でスナック菓子類の売上が最大120億米ドル(約1兆8000億円)減少する可能性があるとされています。TMICCのピーター・テル・クルヴェCEOも「GLP-1使用者はアイスクリームを完全にやめるわけではないが、無意識のドカ食いが激減している」と指摘しました。高タンパク質や高食物繊維の健康的な商品を好む傾向もはっきりと確認されています。

アイスクリームは本質的に「高糖分・高脂質・高カロリー」の食品であり、GLP-1普及の影響を最も直接的に受けるセクターの一つです。業界ではTMICCが「マグナム・ボンボン」のような一口サイズのアイスを投入し、ポーションコントロールを行う消費者の需要を取り込もうとしています。タンパク質含有量を高めた製品や、腸内環境を整える機能性成分を配合した製品の開発も進んでいます。日本の明治は自社製品がGLP-1の血中分泌を自然に促進することを確認し、アイスクリームやゼリーなどの製造に関する特許を取得しました。

ネスレは、アイスクリームという嗜好品を無理に健康志向へリポジショニングするよりも、このカテゴリーを専業メーカーのフロネリに完全に任せる道を選びました。自らはニュートリション事業やペット向け治療食で高収益を狙うという、GLP-1時代を見据えた合理的な戦略です。

アイスクリーム事業が抱えるサプライチェーンの課題とコスト構造

ネスレのアイスクリーム事業売却を後押ししているもう一つの要因が、極端なコストインフレとコールドチェーン維持に伴う構造的なサプライチェーンの脆弱性です。

アイスクリームの製造には乳脂肪分、乳固形分、砂糖、カカオ豆、バニラなど、農産物市場の価格変動の影響を受けやすい原料が大量に使用されます。気候変動による不作、地政学的リスクによる物流混乱、環境規制の強化に伴う酪農家のコスト上昇が重なり、一部地域ではアイスクリームの製造コストが前年比で最大19%も急騰しています。2025年に導入された高糖質・高脂質食品に対するパッケージ前面表示義務などの規制強化も、コスト上昇の要因です。

消費者の80%がアイスクリームの価格やパッケージサイズの変更に対して敏感に反応するため、度重なる値上げやシュリンクフレーションは需要を急激に冷え込ませるリスクを抱えています。

さらにアイスクリームは、工場出荷から消費者の口に入るまで一貫してマイナス18度以下を維持しなければなりません。温度管理の失敗は製品の品質劣化を引き起こし、温度変動によって年間約14%の製品が廃棄されていると推定されています。エネルギー価格高騰で冷凍倉庫の維持費や冷凍トラックの燃料費も劇的に上昇しており、流通業者の27%以上がコスト上昇を報告しています。

業界ではAIやIoTセンサーを活用したスマートサプライチェーンの導入が進められています。TMICCはスウェーデンにおいて天候データとAIの組み合わせで需要予測精度を10%向上させ、10万台のAI搭載キャビネットのデータを活用して小売店の売上を最大30%増加させた実績があります。しかし、このような高度なデジタルインフラの構築には莫大な投資が必要です。常温保存可能なインスタントコーヒーやドライペットフードと並行して、極度に専門化されたコールドチェーンシステムを自社で管理することは非効率であり、専業メーカーへの移管を後押しする大きな動機となっています。

ネスレのアイスクリーム事業売却と並行するウォーター事業の分離

ネスレはアイスクリーム事業の売却と並行して、ウォーター事業の大規模な切り離しも進めています。2025年初頭から、ペリエ、サンペレグリノ、アクア・パンナ、ネスレ・ピュアライフなどのブランドを含む「ネスレ・ウォーターズ&プレミアム・ベバレッジ」部門を、グローバルな独立事業としてスピンオフさせました。

同部門の2025年の売上高は35億4800万スイスフラン(オーガニック成長率5.3%、RIG 2.6%、プライシング2.7%)ですが、品質問題や競争激化により苦戦が続いていました。新たな事業部門はミュリエル・リエノーの指揮下に置かれており、2026年第1四半期には潜在的パートナーとの正式な協議が開始されています。ロスチャイルドが主導するこの売却または提携プロセスにおいて、事業評価額は約50億ユーロ(約55億米ドル)と見積もられています。PAIパートナーズ、CD&R、ワン・ロック・キャピタルなどのプライベート・エクイティ企業が関心を示しており、2027年からの連結除外が計画されています。

ネスレは「アイスクリーム」と「ミネラルウォーター」という、サプライチェーンや利益構造が中核事業と大きく異なるカテゴリーを相次いで外部化することで、ポートフォリオを極限まで絞り込もうとしています。

ネスレのアイスクリーム事業売却が示す戦略の本質と今後の展望

ネスレのアイスクリーム事業の完全売却は、単なる不採算部門のリストラではありません。巨大多国籍企業がいかにして事業ポートフォリオを再構築し、新たな時代の成長ドライバーに資源を集中させるかを示す高度な戦略的シフトです。

第一のポイントは、アセットライトな合弁戦略の完成形という点です。ネスレは約10年の歳月をかけ、資本集約的なアイスクリーム事業をフロネリという合弁会社モデルに移管しきりました。自社のバランスシートから重い固定資産を切り離しつつ、株式50%を通じた利益配分やブランドライセンス収入を継続的に享受できる立場を確立しています。ウォーター事業でも同様のアプローチが採用されつつあり、FMCG業界におけるM&Aや事業分離の新たなモデルを示しています。

第二のポイントは、スナッキング需要の知的な再定義です。ネスレはアイスクリームを売却する一方で、消費者のスナッキング需要そのものは手放していません。GLP-1の普及によって「甘くて高カロリーなインダルジェンス」から「タンパク質が豊富で利便性の高いハンドヘルド食品」へと消費者の嗜好がシフトしていることを正確に読み取っています。利益率が低く管理コストの高いアイスクリームの代わりに、「ホットポケッツ」や高プロテインの調理済み食品で同じスナック需要を満たす戦略は、戦う土俵を自社に最も有利な領域へと意図的にずらすポートフォリオ戦略の好例です。

2026年、フィリップ・ナヴラティルCEOの下でネスレは歴史的な転換期を迎えています。1万6000人の人員削減と30億スイスフランのコスト削減という痛みを伴う改革を断行しつつ、コーヒー、ペットケア、ニュートリション、フード&スナックという4つの「パワーハウス」だけが残された筋肉質で俊敏な組織への変革が進んでいます。アイスクリーム事業の完全売却は、ネスレが「すべての食品を網羅する総合食品メーカー」という古いパラダイムから完全に決別し、次なる成長期を迎えるための最も重要な「引き算の戦略」として位置づけられています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました