日本においても、ギフテッドという特異な才能を持つ子どもたちへの支援が進んでいる。しかし、ギフテッドに対する誤解や差別もまだまだある。文部科学省が立ち上げた有識者会議では、IQなどをもとにして才能を定義することに弊害があるとして、特異な才能のある児童生徒の困難に着目し、困難を解消する支援をすることが提言された。
私はギフテッド教育に賛成です。子供たちの探究心を途絶えさせるような環境を作るべきではありません。私たち大人の責任で、そういった環境を整える必要があると思います。
学校だけで対応するのは難しいと思います。社会全体で支援する必要があるのではないでしょうか。例えば、ギフテッドの子供たちがどのような分野に興味を持っているのかを詳しく聞き取り、その分野の専門家の授業を受けたり、博物館や研究機関で講座を学ぶことができます。大学の教授たちも、やる気のない生徒よりも、興味を持って学び、目を輝かせながら熱心に学ぶギフテッドの子供たちを教えることによって、より充実感を得られるはずです。
生徒の能力は凸凹だと思います。好きなものをとことん突き詰めて欲しいと思います。今の教育から、得意なことを伸ばす教育に変えましょうよ。
まず、人と同じことをすることを求めるのではなく、満遍なくできることを求めましょう。ギフテッドではないけれど、座って単調なことをするのが苦手な子どもが先生にいじめられ、また、単純な作業ができないはずがなくサボっていると周りの大人からも理解されず不登校になることもあります。好きなことを伸ばしていけば、やりたいことに必要な分野が苦手であれば、自ら学ぶことができます。
与えることだけでなく、自ら伸びる力を見守り育む教育は、ギフテッドだけでなく必要だと思います。また、千葉大の飛び入学でもギフテッドが活かせていないことがあります。世間の受け入れも大切だと感じます。過度な同調社会のままでは、難しいと思います。
私は病院で測定したところ、IQが138という結果でしたが、ギフテッドではありません。特別な天才的なことはありませんでした。仕事は人よりもできますが、その分伸び代がなくなったら辞めることが多いです。また、IQの差がある人との会話は疲れますが、慣れました。
知的障害も同じで、グレーゾーンの支援が非常に重要だと思います。色々な人がいるので、その子に合わせた支援があるといいですね。
中学時代、隣のクラスには、授業中ほとんど寝ていたけれど全教科満点を取るという才能ある人がいました。高校に進学した彼は、県下一のトップ校に進み、知人から聞いた話では、授業はほとんど聴かず、難しい本を読んでいたそうです。そして、現役で東大に合格し、その後海外へ行ったとのことです。
彼がギフテッドであったのかどうかはわかりませんが、少なくとも、小中の9年間は、彼にとって退屈で辛い時間だったことでしょう。せめて、公立校の算数や数学だけでも習熟度別のクラスに分けられればよいのにと思います。
ギフテッドの子供たちに対して、何でもかんでも「学校」で対応する必要はないという視点から一歩引いてみることは、考えてみる価値があるかもしれません。
日本には「社会教育」「生涯教育」という概念があり、博物館や図書館などがあり、誰もが学べるようになっています。また、大学での「市民講座」などもあります。
数年前、カブトムシの行動について新説を書いた小学生が、愛読書の著者である大学の教授とメールでやり取りしていたそうです。 広く誰でもが生涯学べる社会環境を作ることで、ギフテッドの子供たちの生きづらさを緩和し、視野を広げることができるのではないでしょうか。
ギフテッドの支援において、全ての子供たちにIQ検査を行う必要はあるのでしょうか。生きづらさの原因が分からず、大人になってから気付く人もいるかもしれません。私自身が境界知能の親であり、授業が簡単すぎて聞くことが苦しく感じるギフテッドの子供たちがいることを知っています。境界知能の子供たちは支援学校に行くほどではないけれど、学校の授業だけでは理解できず、塾などのサポートが必要です。こういったサポートも必要だと考えます。
平均点前後であれば、良く頑張ったというレベルかもしれません。境界知能の子供たちにとってはワーキングメモリが低いため、暗記が苦手で勉強に苦労することもあるでしょう。私の子供はワーキングメモリが平均値だったため、暗記科目に対してはそこまで苦労しなかったと思います。
健常者でも全IQは平均値だけれど、中身を見ると凸凹がある子供たちもいます。ギフテッドの子供たちを支援するにあたり、子供全員にIQ検査をして、特性に合わせた授業を提供することが最善策だと思います。
勉強が簡単すぎると、勉強そのものに興味を失ってしまうことがあります。そうなる前に、早い段階で支援があった方が良いと思います。同年代とのIQ差によって興味のあることが合わなかったり、深く掘り下げた話ができなくて人間関係にストレスを感じることもあります。
また、ギフテッドであっても、心の成長は同年代と同じか幼いこともあるため、周りの子とのギャップやつまらない授業に大人が思う以上に強いストレスを感じていると思います。そのような状況においては、例えば、レベルの違うクラスに移る、特別な課題を与えられる、専門的な教育を受ける等、学校や家庭での環境改善が必要かもしれません。
さらに、勉強への支援と共に、心のケアも必要だと思います。ギフテッドであることにより、周りと異なる状況に置かれることになり、それに伴うストレスを抱えることもあります。そのため、こうした子どもたちの心に寄り添い、適切なサポートを提供していく必要があります。
平均から大きくズレていることは、IQが高くても低くても同じように生きづらいものです。ギフテッドであることは、素晴らしい才能や能力を持つことではありますが、それに伴う苦労やストレスもあることを理解して、適切な支援を提供していく必要があります。
アスリートと同じ感覚で接することが重要だと考えます。しかし、現状の学校ではそれが実現できない場合、別の形の学校を新設することも考慮すべきだと思います。最先端や特別なものにばかり注目することは、バランス感覚を欠いていると感じます。詳細はわかりませんが、本人が選択し追求することができる多様な教育体制が必要であり、その結果、通常の学校の内容も多少影響を受け、新しい教育体制へのイノベーションにつながると思います。また、社会組織として、必要な階層が再構築される必要があると考えます。専門性とは、こうしたことを含んでいるものであり、総合的な観点からどのように向上させるかが重要だと思います。人間社会の発展に必要な方向性を確定し、随時増やしていくことで、自然にその方向に向かうと思います。簡単に言えば、学部の増設ですね。
学習面において、飛び級や特化クラス、そして留学はサポートするべきだと思います。公立校でもギフテッドの子どもたちは存在するため、小学校や中学校で低達成にならないよう、また金銭面や家庭事情で可能性を閉ざされないよう、教育現場はサポートしてほしいと思います。ただし、問題は教員がギフテッドの子どもたちを見抜けるかどうかです。特に女性は同化しやすく、他と違うことに敏感な傾向があるため、心のケアをしてあげられる体制を持つことも必要だと思います。
また、軍隊のような教育を行う学校では個性が埋もれてしまうため、ギフテッドにとってはとてもストレスになります。制服や体操服など自由度のない制約や、プライバシーのない健康診断、数えきれないほどの体育祭や修学旅行などが挙げられます。また、答えが簡単すぎる授業や、本当に1日で終えられる量の単純なドリルの宿題を敢えて数ページに分けて出すこともストレスになります。私立高校のようにコース制や習熟度別の教育はありがたいでしょう。
私自身も、最近になって自分がギフテッドの悩みに当てはまることに気がつきました。2E型だと思います。子どもの頃から辛い思いをしてきましたが、自分でも何が辛いのかはっきりとわからず、親に理由を聞かれたこともあります。
常に気を張って努力をしなければ、普通に振る舞うことができないと思っていました。しかし、それでも頑張り続けることで何とかやっていけていたのです。しかし、長年にわたってこのような生活を続けた結果、私は体を壊してしまいました。
現状に適応できているからといって、自分自身が無理をしていることに気づかない可能性もあることに注意が必要です。大人たちは、研究結果などからそのような問題を解決するための手助けをすることができると思います。
これはギフテッドの子供たちだけでなく、すべての子供たちにとっても言えることだと思います。私たちは、小学校教育がより良い方向に進むことを願っています。
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