ガソリンスタンドで給油するたびに、私たちは本体価格に加えて多額の税金を支払っています。その中でも特に注目されているのが、1974年に導入された「暫定税率」と呼ばれる税制です。当初は道路整備のための臨時措置として始まったこの税率は、半世紀が経過した今もなお継続されており、国民の大きな負担となっています。近年のガソリン価格高騰を受けて、この暫定税率の廃止を求める声が再び高まっており、いつから実施されるのかという実施時期について多くの関心が寄せられています。本記事では、ガソリン税暫定税率の仕組みから歴史的経緯、政治的な攻防、そして廃止に向けた現実的な実施時期の見通しまで、包括的に解説していきます。物価高に悩む家計にとって、この問題は単なる政治課題ではなく、生活に直結する重要なテーマとなっています。

ガソリン価格の内訳と暫定税率の実態
ガソリン価格がどのように構成されているのか、具体的に見ていきましょう。例えば、レギュラーガソリンが1リットルあたり170円の場合、その内訳は本体価格が約98円から102円程度、残りの約70円以上がすべて税金という構造になっています。つまり、価格の4割以上が税金という状況です。
この税金の中で最も大きな割合を占めるのが「ガソリン税」で、1リットルあたり合計53.8円が課されています。これは国税である揮発油税48.6円と、地方税である地方揮発油税5.2円から成り立っています。しかし、本来法律で定められている基本の税率、いわゆる「本則税率」は揮発油税24.3円と地方揮発油税4.4円を合わせた28.7円に過ぎません。現在の税額53.8円との差額である25.1円こそが、半世紀にわたり議論の的となってきた「暫定税率」による上乗せ分なのです。
さらに、ガソリンには石油石炭税が2.8円課されており、その内訳は基本的な石油石炭税が2.04円、地球温暖化対策税として0.76円が上乗せされています。そして最後に、これらすべての合計額に対して10%の消費税が課される仕組みです。170円の場合、消費税は約15.45円となり、税金の総額は実に70円を超える計算になります。
二重課税問題の本質
ガソリン価格を巡るもう一つの大きな問題が、「二重課税」との批判です。消費税はガソリン本体価格だけでなく、すでに課税されているガソリン税や石油石炭税を含んだ総額に対して課されています。税金にさらに税金がかけられるこの構造は、「Tax on Tax」として1989年の消費税導入以来、国民の不公平感を煽り続けてきました。
政府は一貫して「二重課税にはあたらない」との見解を示していますが、この法解釈は国民感情とは大きく乖離しています。政府の論拠は、ガソリン税の納税義務者は石油元売り会社などの製造・輸入業者であり、消費税の納税義務者は最終消費者であるため、法的には二重課税ではないというものです。しかし、最終的にすべての税負担が消費者の肩にのしかかる経済的現実は変わりません。この法解釈と国民感情のギャップこそが、暫定税率廃止論が常に強い支持を得る土壌となっているのです。
暫定税率誕生の歴史的背景
ガソリン税暫定税率の問題を理解するには、その誕生の経緯を知る必要があります。戦後日本の復興と発展の歴史そのものに、この税制は深く根ざしているのです。
1950年代、日本は高度経済成長の黎明期にありましたが、その足かせとなっていたのが劣悪な道路インフラでした。1956年のワトキンス調査団報告書が「日本の道路は信じがたい程に悪い」と酷評したように、舗装された道路はごく僅かで、経済活動の大きな障害となっていました。この状況を打開するため、1953年に若き日の田中角栄ら議員立法によって「道路整備費の財源等に関する臨時措置法」が制定されました。
この法律の核心は、「道路特定財源制度」という画期的な仕組みの導入にありました。これは、自動車利用者が支払う揮発油税などの税収を、他の目的には使わず、道路の整備・維持のみに充てるという目的税の考え方です。受益者である自動車利用者がインフラ整備の費用を負担するという明快な論理は広く受け入れられ、この制度は日本の急速なモータリゼーションと全国的な道路網の拡充を財政的に支える大動脈となりました。
そして1974年、日本は二つの大きな課題に直面していました。一つは、前年に勃発した第四次中東戦争に端を発する第一次オイルショックによる、エネルギー価格の狂乱的な高騰です。もう一つは、田中角栄首相が掲げた「日本列島改造論」に代表される、全国土の均衡ある発展を目指した大規模な公共投資、とりわけ道路建設への強い需要でした。
この財源不足とエネルギー危機という二重の課題に対応するための「臨時措置」として導入されたのが、ガソリン税を1リットルあたり25.1円上乗せする「暫定税率」だったのです。その目的は、道路整備の財源を確保すると同時に、ガソリン価格を引き上げることで消費を抑制することにありました。当初は2年から5年程度の時限的な措置と説明され、事実上の恒久化を予想する声は少なかったのです。
聖域化した利権構造
しかし、この「暫定」という言葉とは裏腹に、税率は道路整備五箇年計画が更新されるたびに延長を繰り返し、事実上の恒久税と化していきました。暫定税率がこれほどまでに長く維持された背景には、単なる財政上の必要性を超えた、強固な政治・経済構造の存在がありました。
道路特定財源制度は、自民党の「道路族」と呼ばれる有力政治家、所管官庁である建設省(現・国土交通省)、そして公共事業を請け負う建設業界という「鉄のトライアングル」にとって、まさに金のなる木だったのです。この制度は、道路族議員にとっては地元の有権者に利益誘導を行うための強力な武器となり、官僚にとっては巨大な予算と権限を確保する源泉となり、建設業界にとっては安定した事業機会を保証しました。
2000年代に入る頃には、日本の国道・都道府県道の舗装率は97%を超え、道路整備は一定の水準に達していました。にもかかわらず、暫定税率が維持され続けたのは、その税収がもはや道路整備という本来の目的のためではなく、この強固な利権構造を維持するために不可欠な潤滑油となっていたからに他なりません。
2008年「ガソリン国会」という歴史的転換点
2000年代後半、暫定税率を巡る問題はついに日本の政治を揺るがす巨大な震源地へと変貌しました。2007年の参議院選挙で野党・民主党が第一党となり、衆議院は与党・自民党公明党、参議院は野党が多数を占める「ねじれ国会」が生まれました。この政治状況が、暫定税率の運命を大きく左右することになります。
暫定税率の根拠法は2008年3月31日に期限切れを迎えることになっていました。小沢一郎代表率いる民主党は、これを政権を揺さぶる絶好の機会と捉え、「無駄遣いの象徴」である暫定税率の即時廃止を強く主張し、与党との対決姿勢を鮮明にしました。一方、福田康夫政権は、税収が国家・地方の財政に不可欠であるとして、税率維持を譲りませんでした。
前代未聞の1ヶ月間の失効
与野党の協議は決裂し、ついに2008年4月1日午前0時、暫定税率は34年ぶりにその効力を失いました。この瞬間、日本社会は前代未聞の事態に直面します。全国のガソリンスタンドでは、価格が1リットルあたり約25円、一斉に値下がりしました。
しかし、その対応は店舗によってまちまちでした。ガソリン税は製油所からの出荷時に課税されるため、すでに暫定税率が課された価格で仕入れた在庫を抱えるスタンドは、すぐに値下げすることができなかったのです。その結果、値下げしたスタンドにはドライバーが殺到し、道路には長蛇の列ができる一方、価格を据え置いたスタンドは閑散とするなど、市場は大混乱に陥りました。
この混乱を収拾し、財源を確保するため、与党は憲法に定められた最後の手段に打って出ます。衆議院で3分の2以上の議席を確保していれば、参議院が否決した法案を再可決し、成立させることができるという規定の行使です。これは極めて異例かつ政治的対立を激化させる劇薬でした。
2008年4月30日、民主党など野党が本会議を欠席し抗議する中、与党は単独で採決を強行しました。暫定税率を復活させる法案を再可決し、失効からちょうど1ヶ月後の5月1日、暫定税率は再び適用され、ガソリン価格は元の水準へと引き上げられました。
この一連の出来事は「ガソリン国会」と呼ばれ、日本の政治史に深く刻まれました。与党は戦術的には勝利し、税収を確保しましたが、それは計り知れない代償を伴うものでした。この1ヶ月間、国民は暫定税率がない世界の恩恵を肌で感じ、それまで多くの人にとって抽象的な数字でしかなかった「25.1円」が、財布に直接響く具体的な金額として認識されたのです。この出来事は自民党政権への信頼を決定的に損ない、翌2009年の歴史的な政権交代への道筋をつけた、まさに分水嶺となる事件だったのです。
民主党政権の公約と挫折
2008年の「ガソリン国会」は、民主党にとって追い風となりました。彼らは「ガソリン値下げ隊」と銘打ったキャンペーンを全国で展開し、暫定税率を「これまでの政治との決別の象徴」と位置づけ、無駄な公共事業の温床であると厳しく批判しました。特に、自動車が生活の足である地方や離島の住民の苦境を訴え、負担軽減を約束することで、幅広い支持を集めました。
そして迎えた2009年の衆議院総選挙で、民主党は政権公約(マニフェスト)の柱の一つに「暫定税率の廃止」を明確に掲げました。ガソリン税、軽油引取税、自動車重量税などの暫定税率をすべて廃止し、国民に総額2.5兆円の減税を実施すると高らかに宣言したのです。子ども手当や高速道路無料化と並び、この公約は国民の期待を一身に集め、民主党を地滑り的な圧勝へと導きました。
厳しい現実と公約の断念
しかし、政権の座に就いた民主党を待っていたのは、厳しい現実でした。リーマンショック後の世界的な経済不況は日本の財政を直撃しており、税収は落ち込んでいました。一方で、マニフェストに掲げた子ども手当などの目玉政策を実現するためには、巨額の財源が必要となります。その結果、政権内部で急速に「2.5兆円」という税収を手放すことへの懸念が広まっていきました。
そして2009年12月、翌年度の税制改正大綱が閣議決定された際、国民は裏切られることになります。あれほど強く訴えていた暫定税率の廃止は見送られ、税率は維持される方針が示されたのです。国民からの激しい批判をかわすため、政府は巧妙な法改正を行いました。2010年、法律上は「暫定税率」という制度そのものを廃止しましたが、それと同時に、全く同額の税率を「当分の間税率」という新しい名前で存続させたのです。これは名前を変えただけで国民負担は一切変わらない、まさに看板の架け替えに過ぎず、政権への信頼を大きく損なう結果を招きました。
一般財源化という転換
さらに、この時期に行われたもう一つの重要な制度変更が、その後の議論の方向性を決定づけました。2009年、56年続いた「道路特定財源制度」が正式に廃止され、ガソリン税収は使途を道路に限定せず、社会保障や教育、防衛など、あらゆる行政サービスに使える「一般財源」に組み入れられたのです。
皮肉にも、暫定税率廃止を掲げた政権下で固まったこの「一般財源化」は、将来にわたって税率維持を盤石にする効果を発揮しました。税収が道路特定財源であった時代は、反対論者は「道路はもう十分整備された」「無駄な道路工事に使われている」と、その使途を批判することで税の正当性を問うことができました。しかし、一般財源化によって、政府の反論は根本的に変わりました。もはや道路の必要性ではなく、「国の予算に1.5兆円の穴が開くが、どうするのか」という、より大きな問題にすり替わったのです。暫定税率の廃止を主張する者は、「年金、医療、教育のどれを削るのか。あるいは消費税を上げるのか」という、国民にとってより困難な問いに答えなければならなくなりました。
廃止を巡る賛否両論
現在、ガソリン税暫定税率の廃止を巡る議論は、国民生活の救済を求める声と、国家財政の現実という二つの大きな論理の間で激しく揺れ動いています。
廃止賛成論の根拠
暫定税率廃止を支持する最大の理由は、家計への直接的な恩恵です。廃止が実現すれば、消費税の軽減効果も合わせてガソリン価格は1リットルあたり25円以上値下がりします。ある試算によれば、平均的なガソリン消費量の家庭で、年間7,000円から9,670円の負担軽減につながると予測されています。これは、物価高に苦しむ多くの国民にとって、即効性のある支援策となります。
経済全体への波及効果も大きいと考えられています。燃料費は、物流、運輸、農業、漁業など、あらゆる産業の基盤コストです。ガソリンや軽油の価格が下がれば、これらの業界のコストが削減され、ひいては幅広い商品やサービスの価格を押し下げる効果が期待できます。これは、内需を刺激し、経済全体を活性化させる要因となり得るのです。
さらに、税制の公平性と透明性を回復するという大義名分もあります。「臨時措置」として導入されながら、半世紀も国民に負担を強いてきた税を廃止することは、本来の目的を失った税制を是正し、国民の税に対する信頼を取り戻す上で不可欠だという主張です。
廃止反対論の根拠
一方、廃止に慎重な意見の根幹にあるのは、深刻な財政への影響です。暫定税率を廃止した場合、ガソリン税と軽油引取税を合わせると、国と地方で年間1.5兆円を超える巨額の税収が失われます。内訳は、国が約1兆円、地方が約5千億円と見積もられており、特に地方自治体にとっては運営を左右しかねない規模です。
日本の財政は、国債残高が1000兆円を超えるなど、極めて厳しい状況にあります。このような中で恒久的な大規模減税を行えば、財政規律がさらに緩み、将来世代への負担を増大させかねないという懸念は根強いのです。失われた税収を補うためには、代替財源の確保が不可欠となりますが、その具体策を見出すのは容易ではありません。
近年では、環境問題の観点からの反対論も影響力を増しています。ガソリン価格の引き下げは、燃料消費を促進し、二酸化炭素の排出量を増加させることにつながります。これは、2050年カーボンニュートラルを目指す日本の国家目標に逆行する動きです。一部のアナリストは、現在の暫定税率は意図せずして強力な「カーボンプライシング」として機能しており、安易な廃止は環境政策の著しい後退を招くと警告しています。
トリガー条項という選択肢
暫定税率の全面的な廃止が財政的な困難を伴う一方で、ガソリン価格高騰に対する緊急避難的な措置として、法律にはもう一つの選択肢が用意されています。それが「トリガー条項」です。
トリガー条項の仕組み
トリガー条項とは、ガソリン価格が一定の基準を超えて高騰した場合に、自動的に税負担を軽減する制度設計です。具体的には、レギュラーガソリンの全国平均小売価格が3ヶ月連続で1リットルあたり160円を超えた場合、その翌月から暫定税率分の25.1円の課税が自動的に停止されます。その後、価格が下落し、3ヶ月連続で130円を下回った場合に、再び課税が再開される仕組みとなっています。
この条項は、民主党政権が暫定税率の全面廃止という公約を果たせなかった代わりの妥協策として、2010年度の税制改正で導入されました。しかし、そのわずか1年後の2011年、東日本大震災が発生したことで、その運命は暗転します。「東日本大震災の被災者等に係る国税関係法律の臨時特例に関する法律」によって、トリガー条項の適用は「別に法律で定める日までの間」停止されることになりました。公式な凍結理由は、安定的な復興財源の確保でした。
凍結解除を巡る政治的攻防
近年、ガソリン価格が恒常的に160円を超える状況が続く中、野党からはトリガー条項の凍結解除を求める声が繰り返し上がっています。法律に定められたルールを発動し、国民の負担を即座に軽減すべきだという主張です。
しかし、政府・与党は凍結解除に極めて慎重な姿勢を崩していません。その理由は複数あります。第一に、復興財源確保という当初の理由に加え、依然として巨額の税収減への懸念が根強いことです。第二に、発動・解除の際に市場が混乱するリスクがあります。税率が変動することで、在庫を抱えるガソリンスタンドの経営に深刻な影響を与えかねないという指摘です。
第三に、制度の対象範囲の問題です。トリガー条項はガソリンと軽油のみが対象で、暖房や農業・漁業に不可欠な灯油や重油は対象外となります。政府は、これらの燃料もカバーできる現行の補助金制度の方が、より公平で幅広い支援策であると主張しています。
そして最後に、一度発動すれば、事実上の恒久減税になってしまう可能性が高いという現実的な問題があります。現在の世界的なエネルギー情勢を鑑みれば、ガソリン価格が解除条件である130円を安定して下回ることは考えにくく、トリガーの発動は一時的な停止ではなく、永続的な税率引き下げに直結しかねないのです。
このトリガー条項を巡る議論は、一種の政治的様相を呈しています。野党にとっては、現行法を無視して国民負担を放置する政府を批判するための格好の材料となり、一方、政府にとっては、恒久的な財源喪失というパンドラの箱を開けるリスクを冒すよりも、予算の範囲内でコントロール可能な補助金制度を継続する方がはるかに安全な選択肢なのです。
廃止の実施時期はいつから?現実的なシナリオ
それでは、多くの国民が最も知りたい「ガソリン税暫定税率の廃止はいつから実施されるのか」という問いについて、現在の政治動向から考えられる現実的なシナリオを提示します。
各党の現在のスタンス
現在の政治状況を見ると、与野党間で暫定税率廃止に向けた方向性には一定の共有が見られるものの、その手法と時期、そして何よりも財源問題を巡って、深い溝が存在しています。
与党である自民党・公明党は、国民の負担軽減の必要性は認識しつつも、財政規律を最優先する立場から、即時・全面的な廃止には極めて慎重です。彼らの基本的な戦略は、数兆円規模の予算を投じてきた燃料油価格激変緩和対策事業(補助金制度)を継続・拡充することで、当面の価格高騰を乗り切るというものです。補助金は、税制に手をつけることなく、状況に応じて柔軟に規模を調整できるため、政府にとってはコントロールしやすい手法です。廃止の議論に応じる姿勢は見せているものの、その絶対的な前提条件として「安定的な代替財源の確保」を掲げており、これが事実上、議論の進展を阻む最大の壁となっています。
一方、立憲民主党や国民民主党などの野党は、補助金のような対症療法ではなく、暫定税率の廃止やトリガー条項の凍結解除といった、より抜本的な減税策を強く求めています。彼らは共同で暫定税率を廃止する法案を国会に提出しており、具体的な実施時期として「2025年11月1日」などを提案するなど、早期実現を目指す姿勢を鮮明にしています。
実施時期の現実的シナリオ
これらの状況を総合すると、暫定税率廃止の「実施時期」については、いくつかのシナリオが考えられます。
シナリオ1:補助金制度の継続(短期的に最も可能性が高い)
政府は、代替財源の確保という難題の解決を先送りし、当面は現行の補助金制度を延長し続ける可能性が最も高いと考えられます。これは、財政的な大手術を避けつつ、国民の不満を和らげるための最も現実的な選択肢です。しかし、根本的な問題解決にはならず、出口戦略なきまま巨額の財政支出が続くことになります。この場合、明確な廃止実施時期は示されず、2025年以降も当面は現状維持という状況が続く可能性があります。
シナリオ2:段階的な税率引き下げ(妥協案として浮上)
与野党協議の結果、財政への急激な影響を緩和するための妥協案として、25.1円の税率を一度に廃止するのではなく、例えば3~5年かけて毎年5円ずつ引き下げていくという段階的なアプローチが採用される可能性もあります。この場合、国民が完全な恩恵を受けるまでには時間がかかりますが、財政へのソフトランディングが可能となります。
廃止時期を巡る議論では、2025年12月から2026年2月頃に最終的な方針を決定し、そこから段階的な実施に移るというスケジュールが調整されているとの報道もあります。このシナリオでは、最初の引き下げが2026年4月から始まり、2028年から2030年頃までに完全廃止という長期的なロードマップが描かれる可能性があります。
シナリオ3:新税との抱き合わせによる抜本改革
暫定税率を廃止するのと同時に、その代替財源として、強化された炭素税や、後述する「走行距離課税」の導入に向けた法整備を行うという、税制全体を再設計する大きな取引が成立するシナリオです。これは財政的には中立を保てますが、新たな国民負担を伴うため、極めて高度な政治的合意形成が必要となります。このシナリオでは、2027年から2028年頃の実施が想定されますが、国民の理解を得るのは非常に困難です。
実施時期の結論
結論として、ガソリン税暫定税率廃止の明確な「開始日」は現時点では決まっていません。政治的な圧力はかつてなく高まっていますが、代替財源という巨大な壁が立ちはだかる以上、即時かつ無条件の廃止が実現する可能性は低いと言わざるを得ません。
最も現実的な道筋は、短期的には補助金で時間を稼ぎつつ、2025年末から2026年初頭にかけての税制改正論議の中で、より広範な税制改革の一部として段階的な廃止に着手するというものでしょう。完全廃止までには数年を要し、最終的な実現は2028年から2030年頃になる可能性が高いと考えられます。
自動車税制の将来と走行距離課税
暫定税率を巡る議論は、実はより大きな構造変化の序章に過ぎません。世界的な脱炭素化の流れ、すなわち電気自動車(EV)へのシフトは、日本の自動車関連税制そのものの根幹を揺るがす、避けては通れない課題を突きつけています。
EVシフトによる税収減の危機
ガソリン税は、国と地方を合わせて年間数兆円規模の安定した税収をもたらしてきました。しかし、その基盤であるガソリンの消費は、EVやプラグインハイブリッド車の普及に伴い、今後確実に減少していきます。EVドライバーはガソリンを消費しないため、ガソリン税を一切負担しません。このままEVシフトが進めば、この巨大な税収源は先細り、いずれは枯渇する運命にあります。これは、道路インフラの維持・更新財源が失われることを意味し、国家財政にとって「静かなる危機」と言えます。
走行距離課税という新たな税制
この構造的な課題に対する最も有力な解決策として議論されているのが、「走行距離課税」です。これは、燃料の種類(ガソリン、電気、水素など)に関わらず、自動車が「走行した距離」に応じて課税するという、全く新しい概念の税制です。
この制度には、明確なメリットがあります。第一に、EVが普及しても安定した税収を確保できるため、財政の持続可能性が高まります。第二に、道路という公共インフラを利用する全てのドライバーが、その利用度に応じて公平に負担を分かち合うという点で、税の公平性が向上します。現在の、EVドライバーが受益者でありながら負担を免れている「不公平」を是正できるのです。
走行距離課税導入の課題
しかし、その導入には数多くの深刻な課題が伴います。まず、国民への新たな負担増となる点です。特に、公共交通機関が乏しく、生活のために長距離の自動車利用が不可欠な地方在住者や、走行距離が収益に直結する物流・運輸業界にとっては、死活問題となりかねません。これは物価高騰を招き、経済全体に悪影響を及ぼす恐れがあります。
次に、プライバシー侵害への強い懸念です。走行距離を正確に把握するためには、GPSなどの車載器を通じて個人の移動データを収集・管理する必要があります。これは、政府による国民の行動監視につながりかねないという深刻な問題をはらんでいます。
さらに、ガソリン税が存続したまま走行距離課税が導入されれば、ガソリン車ユーザーにとっては明白な「二重課税」となり、強い反発を招くことは必至です。
財政維持と環境政策のジレンマ
暫定税率廃止の議論は、この未来の税制を巡る大きなジレンマの前哨戦です。政府は、減少し続けるガソリン税収の代替財源を見つけなければならないという財政上の要請と、気候変動目標を達成するためにEVへの移行を促進しなければならないという環境政策上の要請、という二つの相克する命題に同時に直面しています。
走行距離課税は財政問題を解決する有力な手段ですが、EVのランニングコストを増加させることで、環境政策の効果を損なう可能性があります。EV購入の動機の一つであった「税負担の軽さ」が失われれば、普及のペースが鈍化しかねません。今後の自動車税制の設計は、この財政維持と環境政策という二つの要請の狭間で、極めて難しいバランス取りを迫られることになるのです。
まとめ:半世紀の課題、未来への岐路
1974年に「臨時措置」として始まったガソリン税の暫定税率は、戦後日本の道路網を築き、高度経済成長を支える一方で、やがては政官業の利権の温床となり、政争の具と化し、そしてついには国家財政に深く組み込まれることで、半世紀にわたり国民の負担として存続してきました。
その廃止が「いつから」実施されるのかという問いは、今、かつてないほどの現実味を帯びています。しかし、その答えは単純な日付では示せません。暫定税率の問題は、もはや単独の税制改正論議ではなく、日本の社会が直面する複数の大きな課題が交差する岐路そのものとなっているからです。
それは、物価高に苦しむ国民の生活を守るための短期的な経済的救済と、巨額の財政赤字を抱える国家の長期的な財政的持続可能性との間の緊張関係です。また、歴史的な経緯から生まれた旧来の税制と、EVシフトとカーボンニュートラルという未来からの要請との間の衝突でもあります。
したがって、暫定税率廃止の最終的な決着は、2009年に民主党が掲げたような単純な「廃止」という形にはならないでしょう。補助金制度の継続、段階的な税率引き下げ、そして走行距離課税や炭素税強化といった新たな税制との抱き合わせなど、複雑な要素を組み合わせたパッケージディールとなる可能性が高いのです。
その具体的な形と時期は、2025年以降の政治交渉に委ねられますが、いずれにせよ、それは日本の自動車社会と税制が新しい時代へと移行するための、痛みを伴う大きな一歩となります。50年続いた「暫定」の時代は、終わりを迎えつつあります。しかし、その先にあるのは、単純な負担軽減の未来ではなく、財政と環境という新たな課題にどう向き合うかという、次なる問いへの挑戦の始まりなのです。
私たち国民一人ひとりが、この問題の本質を理解し、目先の負担軽減だけでなく、将来世代への責任も含めた冷静な議論を重ねていくことが、今こそ求められています。


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