アメリカ大統領専用機、通称エアフォースワンは、単なる移動手段ではありません。それは、アメリカ合衆国の国力と威信を世界中に示す、動く象徴そのものです。その象徴的な役割を30年以上にわたって担ってきたのが、ボーイング747をベースにしたVC-25Aでした。しかし、どんなに優れた航空機でも、時間の流れには逆らえません。技術の進歩、経年劣化、そして天文学的な運用コストの高騰により、VC-25Aの退役は避けられない状況となりました。後継機であるVC-25Bの開発は、当初の計画から大幅に遅れ、数々の困難に直面しています。本記事では、現行のVC-25Aがなぜ退役を迎えるのか、その輝かしい歴史と老朽化の実態を明らかにするとともに、次世代機VC-25Bの開発を巡る波乱に満ちた物語、そして配備時期の最新情報について、詳しく解説していきます。国家の象徴が世代交代を迎える、この歴史的な転換期を理解することで、アメリカの航空技術と安全保障の最前線を垣間見ることができるでしょう。

VC-25Aの誕生と歴史的使命
現在のエアフォースワンとして知られるVC-25Aは、1990年に就航しました。それ以前に使用されていた老朽化したVC-137(ボーイング707の派生型)の後継機として、当時最新鋭だったボーイング747-200Bをベースに、2機が製造されました。これらの機体には、テールナンバー28000と29000(機体記号82-8000と92-9000)が付けられ、常に一組で運用されています。一機が大統領を乗せて任務に就く間、もう一機は予備機として待機するか、副大統領や閣僚の輸送任務に従事します。海外訪問の際には、万が一のトラブルに備えるとともに、搭乗機を特定させないという安全保障上の理由から、2機が共に飛行するのが一般的です。
1990年9月6日、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領を乗せて初めて「エアフォースワン」のコールサインで空を飛んだVC-25Aは、その比類なき能力から瞬く間に「空飛ぶホワイトハウス」という異名を得ました。この呼称は単なる比喩ではありません。VC-25Aは、大統領が地上にいる時と全く変わらないレベルで、その職務を遂行できるよう設計された、文字通り空飛ぶ国家の中枢なのです。
空飛ぶ指揮統制センターの内部
VC-25Aの内部は、民間旅客機とは全く異なる世界が広がっています。総面積約370平方メートルにも及ぶ空間は、大統領の執務を支えるために徹底的に最適化されています。機体の最前部には、大統領専用の居住区画が設けられており、ここには私的な執務室、寝室、シャワーと化粧室を備えたエグゼクティブ・ステートルームがあります。これにより、長距離移動の際にも心身を休めることができるのです。
その隣には、大統領とその側近、あるいは訪問先の要人と会談するための会議室兼食堂があります。この部屋は防音設備が施され、機密性の高い協議を可能にするだけでなく、万が一の事態には大統領の手術室としても機能するよう設計されています。さらに、高度な医療設備を備えた医務室も完備されており、常に軍医が同乗しています。機内には、スタッフやシークレットサービス、同行する報道関係者のための座席も用意されています。2カ所あるギャレー(厨房)では、一度に最大100食分の食事を提供でき、長期間のフライトにも対応可能です。まさに、VC-25Aは70名以上の乗客と30名近い乗員を乗せ、地球上のどこへでも移動できる自己完結型の統治機構なのです。
大統領を守る最先端の防御システム
VC-25Aの真価は、その豪華な内装だけにあるのではありません。この機体は、アメリカ空軍が運用する軍用機であり、大統領をあらゆる脅威から守るための最先端技術が投入されています。その一つが、核爆発によって発生する強力な電磁パルス(EMP)から機内の電子機器を保護するシールド能力です。これにより、核戦争のような極限状況下でも、大統領は国家の指揮を継続することが可能となります。
また、敵からのミサイル攻撃を想定した高度な自己防衛システムも搭載しています。敵のレーダーを妨害する電子対抗手段(ECM)、熱源を探知して追尾する赤外線誘導ミサイルを欺瞞するためのフレア、レーダー誘導ミサイルを妨害するチャフなど、その詳細は国家機密のベールに包まれていますが、考えうる限りの脅威に対処できるよう設計されています。
さらに、VC-25Aの設計思想を象徴するのが、空中給油能力です。機首部分には空中給油を受けるための受油口が設置されており、理論上はエンジンオイルなどの消耗品が尽きない限り、着陸することなく何日間も飛行を続けることが可能です。この能力が実際に使用された公式記録はありませんが、国家が最大の危機に瀕した際、大統領の安全を確保し、指揮系統を維持するための究極の選択肢として存在していること自体に、計り知れない戦略的価値があります。
9.11同時多発テロでの試練
2001年9月11日、VC-25A(テールナンバー29000)は、その歴史上最も過酷な任務に直面しました。フロリダ州で教育関連のイベントに出席中だったジョージ・W・ブッシュ大統領は、世界貿易センタービルへの攻撃の一報を受け、直ちにエアフォースワンへと乗り込みました。全米の空域が閉鎖される中、大統領を乗せたVC-25Aは、地上よりも安全な空へと緊急離陸しました。
この日、VC-25Aは大統領の生命を守るという第一の使命を完璧に果たしました。しかし、同時に、この未曾有の危機は、当時の最新鋭機であったVC-25Aの技術的な限界を浮き彫りにしました。最大の課題は通信能力でした。機内からホワイトハウスの危機管理室や軍司令部との安定したビデオ会議回線を確保することが困難であり、大統領は断片的な情報の中で重大な決断を下すことを余儀なくされました。
さらに致命的だったのは、大統領が機内から国民に向けて、直接ライブで演説を行う手段がなかったことです。国家が混乱の極みにある中、国民を安心させ、国の結束を示すべき大統領の声は、技術的な制約によって沈黙させられました。このため、VC-25Aはルイジアナ州のバークスデール空軍基地、次いでネブラスカ州のオファット空軍基地への着陸を余儀なくされました。これらの基地の地上設備を利用して、ブッシュ大統領は初めて国民への声明を発表し、軍の指揮官たちとビデオ会議を行ったのです。
9.11の経験は、大統領専用機の役割に関する根本的な思想転換をもたらしました。それは単に大統領を安全に輸送する乗り物であってはならず、国家が最大の危機に瀕した際に、地上と何ら変わらない、あるいはそれ以上のレベルで統治機能を継続できる、完璧な指揮統制プラットフォームでなければならないのです。VC-25Aが9.11の中で露呈したこの課題は、次期エアフォースワン、VC-25Bの設計仕様書の第一章を、事実上書き記すことになりました。
VC-25A退役の必然性
天文学的な運用コスト
VC-25Aの退役を促す最大の要因の一つは、その天文学的な運用コストです。アメリカ空軍が2014年に報告したデータによれば、VC-25Aの1時間あたりの飛行コストは210,877ドルに達していました。インフレを考慮すると、これは現在の価値で約274,000ドルに相当します。2021会計年度のデータでは177,843ドルと若干減少していますが、これは依然として空軍が保有する航空機の中で最も高価な部類に入ります。
このコストは、B-2ステルス爆撃機(2020年時点で1時間あたり130,159ドル)やE-4Bナイトウォッチ国家空中作戦センター(同159,529ドル)といった、極めて特殊で複雑な機体と同等か、それを上回る水準です。老朽化したB-52爆撃機(同70,388ドル)やC-5輸送機(同100,941ドル)と比較すると、その突出したコストは明らかです。この莫大な経費は、燃料費や消耗品だけでなく、経年劣化に伴い増大し続ける整備費用を反映しており、財政的な観点からVC-25Aの運用継続がますます困難になっていることを示しています。
部品枯渇と整備の困難
財政的な問題以上に深刻なのが、ロジスティクス上の課題です。VC-25Aの母体であるボーイング747-200は、とうの昔に生産が終了したモデルです。これにより、交換部品の枯渇と供給元の減少が、ますます深刻化する問題となっています。特殊な改造が施された一点ものの部品はもちろん、基本的な構造部品でさえ、入手が年々困難になっています。
この部品の枯渇は、整備期間の長期化に直結します。連邦航空局(FAA)の耐空証明基準を維持するためには、より頻繁で大規模な重整備が必要となりますが、必要な部品がなければ作業は進みません。結果として、機体が任務に就けない「サービス停止期間」が増加の一途をたどっています。これは、大統領の移動計画に影響を及ぼすだけでなく、国家の危機管理能力にも潜在的なリスクをもたらしています。
2016年酸素システム汚染事故
こうした運用上のリスクが現実のものとなったのが、2016年4月に発生した整備事故です。テキサス州にあるボーイングの施設で重整備を受けていたVC-25Aの機内で、契約業者の整備士が適切な手順を怠ったために、機内の酸素システムが汚染されるという重大なインシデントが発生しました。
調査委員会の報告によれば、整備士が清潔度が保証されていない工具や部品を使用したことが直接の原因とされています。この事故による損害額は約400万ドルにのぼり、修理費用はボーイング社が負担しました。幸いにも人的被害はありませんでしたが、この一件は、複雑で老朽化した特殊な機体を維持することに伴う、人的ミスを含む運用リスクの高まりを象徴する出来事となりました。
VC-25Aの退役は、単に機体が古くなったからという単純な理由によるものではありません。それは、持続不可能なレベルにまで高騰した運用コストという財政的必然性、部品の供給網が崩壊しつつあるというロジスティクス的必然性、そして整備ミスが重大な結果を招きかねないという運用リスク上の必然性という、三つの異なる、しかし相互に関連した圧力の複合的な結果なのです。
次期エアフォースワンVC-25Bの開発
後継機の選定プロセス
VC-25Aの老朽化が顕著になる中、アメリカ空軍は2013年頃から後継機の選定作業を開始しました。大統領専用機という特殊な任務の性質上、その要件は極めて厳格でした。特に重視されたのが、エンジンを4基搭載したワイドボディ機であることでした。エンジン一基が停止しても安全に飛行を継続でき、長大な航続距離と広い内部空間を確保できる4発機は、この任務に不可欠とされました。
この厳しい要件を満たす旅客機は、当時、世界に2機種しか存在しませんでした。アメリカのボーイング社が製造する747-8と、ヨーロッパのエアバス社が製造するA380です。技術的な比較検討が行われましたが、最終的な決定は2015年になされました。選ばれたのは、ボーイング747-8でした。当時の空軍長官が述べた選定理由は、極めて明確でした。「747-8は、この任務を完全に遂行できる唯一のアメリカ製航空機であり、その選定はアメリカ国民の公共の利益にかなう」というものです。大統領専用機という、アメリカの象徴を運ぶ機体が、アメリカの製造業の象徴でもあるべきだという、国家的な判断が下された瞬間でした。
固定価格契約の罠
次期エアフォースワン計画が大きく動き出したのは、2018年のことでした。しかし、その進め方は異例ずくめでした。当時、ドナルド・トランプ大統領は、計画の予算が40億ドル以上に膨れ上がっていることを問題視し、自身のツイッターで「馬鹿げている!この計画をキャンセルせよ!」と公に批判しました。この政治的圧力の下、トランプ大統領自身がボーイング社との直接交渉に乗り出し、最終的に2機のVC-25Bを39億ドルで開発・製造するという固定価格契約が結ばれました。
この契約は、当初の想定額から大幅なコスト削減を実現したとして、当時は政治的な勝利と見なされました。しかし、この「固定価格契約」という形式が、後に計画全体を蝕む悪夢の始まりとなります。この種の契約は、仕様が確定し、製造プロセスが確立された量産品には適していますが、エアフォースワンのように、既存の機体に前例のない規模の改造を施し、数々の新技術を統合する、事実上の研究開発プロジェクトに対しては、極めて高いリスクを伴うのです。予期せぬ技術的困難や外部環境の変化が発生した場合、そのコスト増はすべて製造者であるボーイング社が吸収しなければならないからです。
開発の混乱と遅延
悪夢はすぐに現実のものとなりました。VC-25B計画は、次から次へと発生する問題に見舞われ、泥沼化していきました。最初の大きな躓きは、複雑な内装の設計・施工を担当する下請け企業、GDC Technics社の経営破綻でした。同社の作業は予定より1年以上も遅延し、ボーイングは訴訟を起こすとともに、内装作業の大部分を自社で引き受けざるを得なくなりました。空軍当局も、この下請け企業の能力不足が遅延の主因であると認めています。
追い打ちをかけたのが、世界中を襲った新型コロナウイルスのパンデミックでした。これにより、技術的な非効率性と人員確保の困難が生じました。特に、高度な機密情報を扱うエアフォースワン計画では、作業員は厳格なセキュリティクリアランスを必要とするため、欠員が出ても容易に補充できません。この混乱は、ボーイングにとって最初のコスト超過となる1億6800万ドルの損失をもたらしました。
問題は外部要因だけではありませんでした。ボーイング社内部でも、技術的な仕様変更と労働不安に関連する製造コストの見積もり増が報告されました。特に、機体全体に張り巡らされる配線の設計に深刻な問題が見つかり、大規模な手戻り作業が発生するなど、計画管理の杜撰さも露呈しました。
ボーイング社の巨額損失
これらの問題が連鎖した結果、ボーイング社が被った損害は壊滅的なものとなりました。固定価格契約の呪縛により、下請け企業の破綻、パンデミック、自社の技術的問題など、発生した追加コストはすべてボーイングの負担となりました。2023年後半までに、同社がこの計画で計上した損失額は、累計で24億ドル以上に達しました。政府との契約総額53億ドル(機体開発費39億ドルに、政府側の試験費用や施設建設費などを加えたもの)のうち、ボーイングは利益を得るどころか、巨額の赤字を垂れ流すことになったのです。
この惨状に対し、ボーイング社のデイブ・カルフーンCEOは、株主に対して異例の告白をしています。「あれは極めて特殊な状況下での、極めて特殊な交渉であり、ボーイングがおそらく引き受けるべきではなかった、極めて特殊な一連のリスクを伴うものだった」というものです。これは、トランプ政権との固定価格契約が、経営上の大失敗であったことを事実上認めるものでした。
VC-25Bの性能と特徴
飛躍的な性能向上
度重なる困難にもかかわらず、VC-25B計画は進行しており、その姿は徐々に明らかになりつつあります。この次世代エアフォースワンは、現行機VC-25Aからあらゆる面で飛躍的な進化を遂げています。母体となるのは、より大型で近代的なボーイング747-8インターコンチネンタルです。
その性能を物語る数字は、VC-25Aを圧倒します。最大離陸重量は、VC-25Aの833,000ポンド(約378トン)から987,000ポンド(約448トン)へと大幅に増加しました。これを支えるのが、4基のGE製GEnx-2Bターボファンエンジンです。このエンジンは、より静粛で燃費効率に優れるだけでなく、一基あたりの推力がVC-25Aの56,700ポンドから66,500ポンドへと向上しています。この強力な心臓部により、最高速度は時速630マイル(約1014km)から時速660マイル(約1062km)へ、そして無給油での航続距離は7,800マイル(約12,600km)から8,900マイル(約14,300km)以上へと延伸されました。
次世代通信システム
VC-25Bの真の進化は、その飛行性能以上に、内部に搭載されたミッションシステムにあります。これは、9.11の教訓に直接応える形で設計された、まさに「空飛ぶデジタル神経中枢」です。アップグレードされた電力システムと、飛行中にも使用可能な2基の補助動力装置(APU)が、この高度な電子機器群を支えます。
その中核をなすのが、新たなミッション通信システム(MCS)です。2021年の調達報告書によれば、このシステムは、最低でも2系統の安全なビデオ会議回線を同時に確立する能力を持ちます。ビデオ通信のスループットは最低4Mbps、システム全体のデータリンクは50Mbpsを確保し、大統領が「ホワイトハウスで利用可能なものと同等の通信能力とセキュリティ」を空の上でも享受できるように設計されています。これにより、9.11の際に露呈したような、国民への演説ができない、あるいは指揮系統との安定した通信が確保できないといった事態は、二度と繰り返されません。
塗装デザインの変更
航空機の外観、すなわち塗装(リバリー)もまた、大きな議論を呼びました。現行のVC-25Aが纏う、鮮やかなスカイブルーと白を基調としたデザインは、ジョン・F・ケネディ大統領の時代に、著名な工業デザイナー、レイモンド・ローウィによって考案されたもので、長年にわたりエアフォースワンの象徴として親しまれてきました。
しかし、ドナルド・トランプ前大統領は、この伝統的なデザインを刷新し、赤、白、そして濃いダークブルーを基調とした、より力強い印象のデザイン案を提示しました。この新デザインは一時、次期エアフォースワンの公式な姿として発表されました。ところが、後のバイデン政権下でこの決定は覆されます。空軍が行った熱分析調査により、トランプ案の濃いダークブルー塗装は、特定の環境下で機体の一部の部品に許容範囲を超える熱を吸収させてしまい、追加の認証試験が必要になることが判明したためです。
最終的に、VC-25Bは伝統的なローウィ・デザインを現代的に再解釈したものを採用することになりました。現行機よりもわずかに深く、落ち着いたトーンの青が用いられ、エンジンカウルはコックピット周辺と同じダークブルーで塗装されます。また、技術的な理由から、現行機の特徴である機体下部のポリッシュドメタル(磨き上げられた金属)部分はなくなり、塗装で仕上げられます。
空中給油能力の省略
VC-25Bは多くの面で進化を遂げる一方、現行機が持つ重要な能力が一つ、意図的に省略されました。それは、空中給油能力です。この決定は、計画全体のコストと技術的な複雑さを削減するために下されました。VC-25Aが設計された冷戦時代には、核戦争のような「世界の終わり」シナリオを想定し、大統領が無限に空に留まる能力が理論上必要とされました。
一方、VC-25Bの設計思想は、より現実的な脅威認識を反映しています。度重なるコスト圧力の中で、8,900マイルという長大な航続距離があれば、考えうるいかなる危機的状況においても、安全な着陸地を見つけるのに十分であるという、計算された判断が下されたのです。これは、究極の「もしも」に備える能力と、現実的なコスト削減を天秤にかけた結果であり、両世代の航空機が設計された時代の戦略的リスク評価の変化を象徴しています。
VC-25Bの配備時期と現状
大幅に遅延する配備スケジュール
VC-25B計画を巡る混乱は、その配備スケジュールに深刻な影響を及ぼしています。当初、2024年までの導入が目指されていましたが、その期日はとうに過ぎ去りました。ボーイング社と空軍が現在公式に示している最新のスケジュールでは、1号機の引き渡しが2027年、2号機が2028年とされています。
しかし、この見通しすら楽観的である可能性が指摘されています。一部の報道では、さらなる遅延によって配備が2029年以降にずれ込む可能性も示唆されており、計画の先行きは依然として不透明です。かつては次期大統領の任期中の就航が期待されましたが、今やその実現は絶望的となっています。
VC-25Aの延命措置と二重のコスト負担
このスケジュールの遅延は、単に新しい航空機の到着が遅れるという以上の、深刻な財政的影響をもたらしています。アメリカの法律では、VC-25Aは2025年末までに退役させることが義務付けられていました。しかし、後継機の開発が遅れている以上、この法律を守ることは物理的に不可能です。
その結果、アメリカ空軍は、老朽化し、運用コストが高騰し続けるVC-25Aを、当初の計画より少なくとも3年から4年長く運用し続けなければならないという事態に陥っています。これは、VC-25Aの安全性を維持するための追加の延命措置や大規模な整備に、計画外の予算を投入し続けなければならないことを意味します。つまり、アメリカの納税者は、遅延する新機体の開発費を支払い続けると同時に、退役するはずだった旧型機の割高な維持費をも負担し続けるという、「二重払い」の状況に置かれているのです。これは、VC-25B計画の失敗がもたらした、隠れた、しかし重大な波及的コストです。
未来の大統領のための翼
この遅延がもたらした政治的な皮肉は、見過ごすことができません。トランプ前大統領の下で契約が結ばれ、バイデン大統領の下でその外観が最終決定されたこの新しいエアフォースワンは、皮肉にも、そのどちらの大統領も自身の任期中に使用することができなくなりました。VC-25Bは、次期、あるいはさらにその次の、まだ決まってもいない未来の政権へと引き渡されることになります。それは、一人の大統領の任期を超越し、国家の継続性を象徴する、真のレガシー・プロジェクトとなったのです。
エアフォースワンの歴史と遺産
「エアフォースワン」というコールサインの誕生
今日、世界中の誰もが知る「エアフォースワン」というコールサインは、元々、華やかな象徴としてではなく、切実な安全上の必要性から生まれたものでした。その起源は、1950年代のドワイト・D・アイゼンハワー大統領の時代に遡ります。当時、大統領が搭乗していたのは、ロッキード・コンステレーションを改造した「コロンバインII」という愛称の機体でした。
1953年か1954年のある日、大統領を乗せたコロンバインII(コールサイン:Air Force 8610)がニューヨーク(またはノースカロライナ州)上空を飛行中、偶然にも同じ「8610」という便名を持つイースタン航空の旅客機が同じ空域に進入し、航空管制官が混乱するニアミス事案が発生しました。この危険な出来事を教訓に、大統領が搭乗する空軍機には、いかなる場合でも他の航空機と混同されることのない、唯一無二の特別なコールサインを与えることが決定されました。こうして、「エアフォースワン」が誕生したのです。
このコールサインは、当初は純粋に機能的な安全対策でした。しかし、ケネディ政権時代に採用された洗練された機体デザインと、テレビ時代の到来による大統領の国際的な役割の増大と共に、「エアフォースワン」という言葉は、単なる識別符号を超え、アメリカの力と威信を象徴する世界的なブランドへと昇華していきました。安全規則が国家の象徴へと変貌を遂げたこの物語は、「エアフォースワン」という存在のユニークさを示しています。
博物館に保存される歴代機
その輝かしい任務を終えた歴代の大統領専用機は、スクラップにされることなく、国家の歴史を物語る貴重な遺産として、アメリカ各地の博物館で大切に保存されています。これらの機体は、訪れる人々にアメリカ大統領史との物理的な繋がりを提供しています。
オハイオ州デイトンにある国立アメリカ空軍博物館には、おそらく最も有名な大統領専用機、VC-137C(SAM 26000)が展示されています。これはケネディ大統領のために導入されたボーイング707で、あの象徴的な青と白の塗装を初めて纏った機体です。そして、ケネディ大統領暗殺後、ダラスのラブフィールド空港の駐機場で、リンドン・B・ジョンソンがこの機内で大統領就任宣誓を行った、歴史の舞台そのものです。
カリフォルニア州シミバレーのロナルド・レーガン大統領図書館には、もう一機のVC-137C(SAM 27000)が、その巨大なパビリオンの中心に鎮座しています。ニクソンからジョージ・W・ブッシュまで7人の大統領に仕えたこの機体は、来館者が実際に機内に入り、大統領が執務した空間を体験できる貴重な展示となっています。
ワシントン州シアトルにある航空博物館では、ジェット時代最初の大統領専用機であるSAM 970を見ることができます。このボーイング707は、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソンといった歴代大統領を乗せ、冷戦時代の世界を飛び回りました。
形ある歴史の保存意義
これらの航空機を保存することの意義は、単に古い機械を展示することにあるのではありません。それらは、歴史が作られた現場そのものです。アイゼンハワーが「コロンバインII」の機内で「平和のための原子力」演説の草稿を練り、ケネディがベルリンの壁を前に自由を訴えるために飛び、そして暗殺された大統領の亡骸を静かにワシントンへと運んだのも、これらの機体でした。博物館に佇むその姿は、訪れる者に対し、書物や映像だけでは伝えきれない、歴史の重みとリアリティを静かに語りかけています。やがてVC-25Aがその長い任務を終える時、それは間違いなく、この偉大な博物館艦隊に加わり、新たな時代の物語を後世に伝えていくことになるでしょう。
まとめ
国家の象徴を更新するという事業は、技術、財政、そして政治が複雑に絡み合う、極めて困難な挑戦です。現行のエアフォースワンVC-25Aから次世代機VC-25Bへの移行プロセスは、その困難さを見事に、そして痛々しいほどに証明しました。当初の計画を大幅に超過するコストと、長年にわたるスケジュールの遅延は、このプロジェクトがいかに多くの予期せぬ落とし穴に満ちていたかを物語っています。
しかし、その波乱に満ちた誕生の物語にもかかわらず、2027年から2028年にかけて姿を現すVC-25Bは、間違いなく新時代の「空飛ぶホワイトハウス」となるでしょう。その設計には、9.11という国家の危機から得られた痛切な教訓が深く刻み込まれています。それは、いかなる状況下でも国家の統治機能を維持するという、絶対的な使命を遂行するために鍛え上げられた、空の指揮統制センターです。
VC-25Aが30年以上にわたって担ってきた重責は、やがてその翼から降ろされ、新たな守護者へと引き継がれます。その荒々しい夜明けの先に待つのは、今後数十年にわたり、アメリカ大統領と共に世界の空を飛び、歴史の新たな一章を刻んでいく、次世代の翼の姿です。守護者の交代は、一つの時代の終わりと、新たな時代の始まりを告げているのです。

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