渋谷区において、電動キックボードや電動アシスト自転車のシェアリングサービスを展開するLUUPと渋谷未来デザインが、2025年12月9日に「Shibuya Safe Ride Project」を発足しました。このプロジェクトは、年末年始の交通安全対策として、世界初となる乗車前アルコール検査の導入や、アプリ内反応テストの実装など、テクノロジーを活用した革新的な安全対策を実現するものです。渋谷区、観光協会、東急、東京海上日動、ファミリーマートといった地域の主要企業や団体が参画し、電動マイクロモビリティと歩行者・地域住民との「共生」を目指す取り組みとなっています。本記事では、渋谷区におけるLUUPの展開状況からShibuya Safe Ride Projectの詳細、法的枠組み、パリとの比較、そして将来展望まで、包括的に解説します。

- 渋谷区の地形とラストワンマイル問題
- 渋谷区都市計画との整合性
- LUUPの渋谷展開の歴史
- S-SAP協定の締結とその意義
- ポート展開の戦略と「街じゅうを駅前化する」構想
- Shibuya Safe Ride Projectの発足背景
- プロジェクトの2つの柱
- 渋谷グッドマナープロジェクトとの連携
- 世界初の乗車前アルコール検査導入
- アプリ内反応テストによる利用制限
- GPSとジオフェンシングによる危険走行検知
- 違反者への厳格な対処
- 特定小型原動機付自転車の法的枠組み
- ヘルメット着用の努力義務
- 走行ルールと特例モード
- パリにおけるシェア電動キックボード全面禁止の経緯
- 東京が選んだ「規制と技術による共生」の道
- Luupの資金調達と事業戦略
- 地域経済への波及効果
- Universal MaaSへの統合と将来展望
- データ活用によるスマートシティへの進化
- まとめ:共生への試金石としてのShibuya Safe Ride Project
渋谷区の地形とラストワンマイル問題
渋谷区のモビリティ事情を理解する上で、まず押さえておくべきはその特殊な地形です。「渋谷」という地名が示す通り、この街はすり鉢状の谷底に駅が位置しており、宮益坂、道玄坂、スペイン坂といった急峻な坂道が放射状に伸びる構造をしています。この地形的特性は、徒歩移動における身体的負荷を高めるだけでなく、従来の非電動自転車の利用を阻む大きな要因となってきました。
渋谷区は鉄道網の結節点でありながら、駅から離れた「奥渋谷」と呼ばれる神山町・富ヶ谷エリアや、広尾、代々木上原といった住宅・商業エリアへのアクセスには課題が残されていました。これらの地域では、ハチ公バスなどのコミュニティバスが運行されているものの、時間帯やルートの制約があり、タクシーを利用するには近距離すぎるという「移動の空白」が存在していたのです。このラストワンマイルの需要に対し、電動アシスト機能を備えたLUUPの機体は、坂道を苦にせず、かつバスよりも柔軟な移動手段として必然的なフィットを見せました。
2025年現在、インバウンド需要の完全回復に伴い、渋谷駅周辺の混雑は極限に達しています。センター街やスクランブル交差点周辺では、歩行者が車道に溢れ出す状況が常態化しており、道路占有面積が小さく環境負荷の低いマイクロモビリティは、都市交通の効率化に寄与する存在として期待されました。しかしそれは同時に、限られた道路空間を巡る「歩行者」対「モビリティ」の新たな緊張関係を生み出すことにもなりました。
渋谷区都市計画との整合性
渋谷区が策定している「渋谷区都市計画マスタープラン」や「渋谷区基本構想」においては、誰もが円滑に移動できるユニバーサルな都市環境の実現が掲げられています。商業・業務地と良好な住環境の共存、そして区内の回遊性向上が重要テーマとされており、シェアサイクル等のシェアモビリティは「公共交通を補完する第4の移動手段」として位置付けられています。
Luupとの連携は、単なる民間サービスの誘致ではなく、行政が目指す都市像を実現するためのインフラ整備の一環として機能しています。このような背景から、渋谷区は積極的にマイクロモビリティの導入を推進してきました。
LUUPの渋谷展開の歴史
LUUPの渋谷区における歴史は、2020年から2021年頃の実証実験に端を発します。当初は電動アシスト自転車から始まり、その後、特例措置下での電動キックボード導入を経て、2023年7月の改正道路交通法施行により本格的な普及期に入りました。
2021年5月には、渋谷区とLuupの間で最初の連携協定が締結され、ポートの設置や安全啓発活動がスタートしました。この初期段階での提携が、後の高密度なポート網構築の基盤となりました。特に、渋谷区公認のパートナーとして活動することで、コンビニエンスストアやオフィスビル、マンションの公開空地など、一民間企業では交渉が難しい一等地へのポート設置が可能となったのです。
S-SAP協定の締結とその意義
2025年11月、Luupと渋谷区は新たに「S-SAP(シブヤ・ソーシャル・アクション・パートナー)協定」を締結しました。S-SAPは、渋谷区内に拠点を置く企業が、区と協働して地域課題の解決に取り組む包括連携協定であり、これまでに東急やサッポロビールなどの大企業が締結しています。
この協定締結は、Luupがスタートアップという枠を超え、渋谷区の社会インフラを担う主要プレイヤーとして認知されたことを意味します。協定内容には、次世代育成に関する支援として子供向けの交通安全教育、災害対策に関する支援として災害時におけるモビリティの提供や移動支援、安全安心なまちづくりに関する支援として放置自転車対策や交通安全対策、環境保全に関する支援として脱炭素移動の推進、そして観光に関する支援として来街者の回遊性向上が含まれており、単なる移動手段の提供にとどまらない広範な連携が明記されています。
ポート展開の戦略と「街じゅうを駅前化する」構想
2025年9月時点で、LUUPは東京都内に7,400箇所以上のポートを展開しており、その中でも渋谷区は最もポート密度が高いエリアの一つです。渋谷スクランブル交差点至近、MIYASHITA PARK、各所のコンビニ、さらには住宅街のマンションの一角に至るまで、文字通り「街じゅうを駅前化する」ポート網が張り巡らされています。
この高密度展開は、利用者の利便性を高める一方で、返却ポートが満車で返せないという問題を解消し、路上放置を防ぐための必須条件でもあります。また、アプリ上でポートの満空情報をリアルタイムに把握し、予約機能を活用することで、目的地での確実な返却を促すシステムが構築されています。
Shibuya Safe Ride Projectの発足背景
2025年12月9日に発足した「Shibuya Safe Ride Project」は、Luupと渋谷未来デザインが共同主幹事を務め、渋谷区や観光協会、東急、東京海上日動、ファミリーマートといった地域の主要プレイヤーがこぞって参画する一大プロジェクトです。
このプロジェクトが発足した背景には、電動キックボードの普及に伴う「安全への懸念」が社会問題化していた事実があります。一部の利用者による飲酒運転、信号無視、歩道での暴走行為は、メディアやSNSで繰り返し取り上げられ、地域住民からの厳しい視線に晒されていました。フランス・パリでは2023年に住民投票の結果、シェア電動キックボードが全面禁止となっており、このままでは日本でも同様の「排除」の対象になりかねないという危機感が、事業者であるLuupと渋谷区側双方に共有されていました。
プロジェクトの2つの柱
Shibuya Safe Ride Projectは、2つの軸で構成されています。1つ目は「安全な交通環境を整備するための施策」で、インフラの改善やルールの周知徹底が含まれます。これには、物理的な走行空間の整備だけでなく、社会的な「空気感」としてのルール遵守意識の醸成が含まれています。
2つ目は「安全な移動手段の提供による共生の実現」です。ここがプロジェクトの核心であり、後述する技術的介入による強制力を伴った安全対策が含まれます。単に「マナーを守ろう」と呼びかけるだけでなく、システム的に「守らざるを得ない」環境を作り出すアプローチが採用されています。
渋谷グッドマナープロジェクトとの連携
Shibuya Safe Ride Projectは、先行して活動している「渋谷グッドマナープロジェクト」と密接に連携しています。渋谷グッドマナープロジェクトは、2023年の「迷惑路上飲酒ゼロ宣言」に伴い発足し、路上飲酒、路上喫煙、ポイ捨てといった迷惑行為の撲滅に取り組んできました。
電動キックボードの無謀運転や放置も、これらと同じ「都市の迷惑行為」という文脈で捉え直し、包括的に対策を行うことが意図されています。特に「路上飲酒」と「飲酒運転」は表裏一体の問題であり、夜間の繁華街における治安・安全対策として、両プロジェクトの連携は必然的でした。街頭ビジョンやSNSでの啓発も、これらのメッセージを統合して発信することで、より強い訴求力を持たせています。
世界初の乗車前アルコール検査導入
Shibuya Safe Ride Projectの目玉施策として、2025年12月中、渋谷区内の複数ポートにおいて「乗車前のアルコール検査」実証実験が導入されました。これは、モビリティシェア事業者としては世界初(Luup調べ)の取り組みとされています。
具体的な仕組みとしては、ポートに設置された検査機器、あるいは連携するデバイスを用いて利用者の呼気を検査し、アルコールが検出された場合はアプリのロックが解除されず、ライドを開始できないようにするものです。従来の飲酒運転対策は、警察による検問や事後的な罰則適用が主でしたが、これは「物理的に乗らせない」という予防的措置です。
渋谷という国内有数の飲酒街において、このシステムが機能するかどうかは、今後のシェアモビリティのあり方を左右する極めて重要な試金石となります。
アプリ内反応テストによる利用制限
飲酒検知に加え、アプリ内での「反応テスト」も導入されました。これは、渋谷の繁華街エリアでライドを開始しようとするユーザーに対し、アプリ上で簡易的なゲーム性のあるテストを課すものです。反応速度や正確性を測り、テストの結果が著しく悪い場合や、正常な操作ができないと判断された場合、利用が制限されます。
この施策の狙いは、飲酒に限らず、疲労や体調不良、あるいは薬物の影響などにより運転に適さない状態のユーザーをスクリーニングすることにあります。また、「テストがある」という事実自体が、軽い気持ちでの利用を思いとどまらせる心理的抑止力としても機能します。
GPSとジオフェンシングによる危険走行検知
LUUPの機体にはIoTデバイスが搭載されており、GPSや加速度センサーから得られるデータを解析することで、危険走行を自動検知するシステムが稼働しています。
逆走検知機能では、山手通りなどの大通りにおいて、GPSの軌跡が車線の進行方向と逆である場合に逆走と判定し警告を発します。歩道走行検知では、車道と歩道の区別が明確なエリアにおいて、位置情報のズレを補正しつつ、歩道を高速で走行している疑いがある場合にフラグを立てます。立入禁止エリア機能では、代々木公園や特定の広場など、走行が禁止されているエリアに侵入した場合、ジオフェンシング技術により検知し、ユーザーに警告を行うとともに、場合によっては以後の利用を停止します。
違反者への厳格な対処
これらの技術的検知に加え、警察からの情報提供や通報に基づき、悪質な違反者に対してはアカウントの凍結措置が厳格に行われています。2025年10月には交通違反点数制度に関する対策も強化されており、累積でのペナルティ付与など、厳格なシステムが構築されつつあります。
特定小型原動機付自転車の法的枠組み
2023年7月1日施行の改正道路交通法により新設された「特定小型原動機付自転車(特定小型原付)」という区分について理解することが重要です。この区分は、最高速度20km/h以下(車道モード)、定格出力0.60kW以下、車体サイズが長さ190cm以下・幅60cm以下、そして最高速度表示灯(緑色のランプ)の装着が必須という要件を満たす車両を指します。
最大の特徴は、16歳以上であれば運転免許が不要である点です。これにより、訪日観光客や免許を持たない若年層でも利用が可能となり、普及の起爆剤となりました。一方で、交通ルールを十分に学習していない利用者が公道に出ることのリスクも増大しました。
ヘルメット着用の努力義務
特定小型原付のヘルメット着用は努力義務とされており、強制ではありません。これが「手軽さ」を生む反面、転倒時の事故リスクを高める要因として批判の的となっています。Shibuya Safe Ride Projectにおいて、LUUPが有人でのヘルメット貸出実験を渋谷マークシティ等で行っているのは、この努力義務の限界を補完する試みといえます。
走行ルールと特例モード
特定小型原付は、原則として車道の左側端を通行しなければなりません。しかし例外として「特例特定小型原動機付自転車」というモードが存在します。これは、最高速度を6km/h以下に制限し、表示灯を点滅させた状態であれば、「普通自転車等及び歩行者等専用」の道路標識がある歩道を通行することができるというものです。
この「時速6kmなら歩道も走れる」というルールが、現場での混乱を招いています。利用者にとってはモード切替の煩雑さがあり、歩行者にとっては「歩道にキックボードが入ってくる」という恐怖感につながっています。渋谷の混雑した歩道において、この特例モードが適切に運用されているかどうかが、共生の鍵を握っています。
パリにおけるシェア電動キックボード全面禁止の経緯
渋谷での取り組みを評価する上で、比較対象として欠かせないのがフランス・パリの事例です。パリでは、2018年頃からシェア電動キックボードが爆発的に普及しましたが、2023年4月に行われた住民投票の結果、約9割(89.03%)という圧倒的多数の反対票が投じられました。
市民の不満の主因は、乱暴な運転による歩行者への危険性と、歩道に無秩序に乗り捨てられた機体による景観悪化・通行妨害でした。この結果を受け、パリ市は2023年8月末をもってシェアリングサービスを完全に廃止しました。
東京が選んだ「規制と技術による共生」の道
パリが「禁止」を選んだのに対し、東京は「規制と技術による共生」の道を選んでいます。その理由として、まず日本は少子高齢化が進み、タクシー運転手不足やバス路線の維持困難が深刻化しており、公共交通を補完する手段としてのマイクロモビリティへの期待値がパリ以上に高いことが挙げられます。
また、LUUPはサービス開始当初から、特定のポート以外での乗り捨てを禁止するシステムを採用しています。これにより、パリで問題となった「街中に散乱するキックボード」という事態は、ある程度抑制されています。さらに、今回のアルコールロックや反応テストに見られるように、問題を技術で解決しようとするアプローチが日本的な解決策として志向されています。
しかし、渋谷における世論も一枚岩ではありません。「危険だ」「邪魔だ」という声は根強く、Shibuya Safe Ride Projectが失敗に終われば、パリ同様に「禁止論」が台頭する可能性は十分にあります。
Luupの資金調達と事業戦略
Luupは2025年11月、総額44億円もの大型資金調達を実施しました。これは、投資家からの期待が依然として高いことを示しています。調達した資金は、機体の増強だけでなく、今回のような安全対策システムの開発や、ポート設置の加速に投じられています。
ビジネスモデルとしては、ライド基本料金50円に加え分単位課金(15円/分など)という低価格設定で回転率を高める戦略をとっています。渋谷区のような短距離移動需要が濃密なエリアは、このモデルにとって最も収益性が高いエリアであり、ここでの事業継続は全社の命運を握っています。
地域経済への波及効果
渋谷区との連携においては、地域経済への貢献も期待されています。観光客がLUUPを利用して「奥渋谷」や「笹塚・幡ヶ谷エリア」まで足を伸ばすことで、駅周辺に集中していた消費を区内全域に分散させる効果が見込まれます。
また、ファミリーマートなどの店舗にポートを設置することは、店舗への送客効果を生み出すWin-Winの関係構築につながっています。ポートを目的に来店した利用者が「ついで買い」をすることで、店舗の売上向上にも寄与しています。
Universal MaaSへの統合と将来展望
渋谷区は、全日本空輸(ANA)等と連携し、障がい者や高齢者を含む誰もが移動しやすい「Universal MaaS」の実証を進めています。LUUPもこのエコシステムの一部として統合されつつあります。
現在は若者中心の電動キックボードが主力ですが、2025年11月には座席・カゴ付きの「電動シートボード」が横浜エリアで提供開始されるなど、よりユニバーサルな機体の開発が進んでいます。将来的には、高齢者が免許返納後に利用する手軽な移動手段として、渋谷の坂道をこれら座り乗りタイプのLUUPが行き交う風景が日常になる可能性があります。
データ活用によるスマートシティへの進化
LUUPが蓄積する膨大な走行データは、渋谷区の都市計画にとって貴重な資産です。出発地と目的地、走行ルート、時間帯などのデータを分析することで、どの道が混雑しているか、どこに移動需要があるかを把握できます。
S-SAP協定に基づき、こうしたデータの官民共有が進むことで、バス路線の再編や道路整備の優先順位付け、防災計画の策定などに活用することが可能です。渋谷はより賢い都市(スマートシティ)へと進化していくことが期待されています。
まとめ:共生への試金石としてのShibuya Safe Ride Project
Shibuya Safe Ride Projectは、単なる交通安全キャンペーンではありません。過密都市・渋谷において、新しいテクノロジーを社会システムにどう組み込むかという巨大な社会実験です。LUUPによる「世界初のアルコール検査導入」や「反応テスト」の実装は、事業者が自らに厳しい制約を課してでも社会的信頼を勝ち取ろうとする決意の表れです。
もしこのプロジェクトが成功し、事故の減少とマナー向上がデータとして証明されれば、渋谷モデルは日本全国、さらにはアジアの都市におけるマイクロモビリティ実装の標準となるでしょう。逆に、これだけの対策を講じてもなお重大事故が頻発し、住民との摩擦が解消されなければ、「都市にマイクロモビリティは早すぎた」という結論に至るリスクも孕んでいます。2025年の冬、渋谷の街角で繰り広げられるこの挑戦の行方を、私たちは注視し続ける必要があります。


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