マイナ保険証の認証エラーは、全国の医療機関の約7割で発生しています。全国保険医団体連合会(保団連)が2024年に実施した調査によれば、調査に応じた医療機関のうち69.8%から70.1%にのぼる施設が、マイナ保険証やオンライン資格確認システムに関する何らかのトラブルを経験したと回答しました。この「約7割」という発生率は、一時的なシステム障害や初期導入時の混乱として片付けられるレベルを遥かに超えており、日本の医療現場に深刻な影響を及ぼしています。
2024年12月2日に現行の健康保険証(紙やプラスチックカード)の新規発行が停止され、2025年12月2日には経過措置も終了しました。この移行期において、認証エラーの頻発は医療機関経営を直接的に脅かすリスクとなり、現場スタッフの疲弊や患者との信頼関係の毀損に直結しています。本記事では、マイナ保険証の認証エラーがなぜ7割もの医療機関で発生するのか、その技術的・構造的な原因を詳しく解説するとともに、医療現場への影響や今後の課題について包括的に分析します。

マイナ保険証とは何か
マイナ保険証とは、マイナンバーカードを健康保険証として利用する仕組みのことです。政府はマイナ保険証の導入により、過去の診療情報や薬剤情報の共有が可能になり、重複投薬の防止や適切な医療提供につながると説明してきました。また、高額療養費制度における限度額適用認定証の手続きが不要になるなど、患者側のメリットも強調されています。
しかし、これらのメリットを享受するための前提となる「資格確認」のプロセスにおいて、無視できない頻度でエラーが発生しているのが現状です。医療機関の窓口に設置された顔認証付きカードリーダーでマイナンバーカードを読み取り、本人確認と保険資格の確認を行う仕組みですが、このプロセスで様々なトラブルが報告されています。
認証エラー発生率7割の実態
マイナ保険証の運用実態を把握する上で、全国保険医団体連合会(保団連)が実施した一連の調査は極めて重要なデータとなっています。2024年10月および11月に発表された調査結果によれば、調査に応じた医療機関のうち実に69.8%から70.1%にのぼる施設が、2024年5月以降にマイナ保険証やオンライン資格確認システムに関する何らかのトラブルを経験したと回答しています。
トラブル発生率の推移と増加傾向
注目すべきは、トラブル発生率が時間とともに増加している点です。2023年10月に実施された前回の調査では、トラブル経験ありの回答は約60%(59.8%)でした。つまり、システムの稼働期間が長くなり、利用者が徐々に増加しているにもかかわらず、トラブルを経験する医療機関の割合は約10ポイントも増加しています。これは、システムの成熟によってトラブルが減少するという一般的なIT導入の曲線とは逆の動きを示しており、利用件数の増加がそのままトラブル件数の増加に直結している現状を示唆しています。
利用率がわずか10%台から30%台へと推移する中で、すでに7割の医療機関がトラブルに見舞われている事実は、利用率が100%に近づいた際に医療現場が機能不全に陥るリスクを予見させるものです。河野太郎前デジタル大臣は、この調査結果に対し、利用者が増えればトラブルの絶対数が増えるのは当然であるとの認識を示しましたが、医療現場が直面しているのは「確率的なエラー」ではなく、日常診療を妨げる「頻発する障害」でした。
認証エラーの具体的な内容と発生頻度
7割の医療機関で発生しているトラブルの内容を詳細に分析すると、いくつかの主要なカテゴリーに分類できます。
氏名や住所の「●(黒丸)」表示問題
最も頻度が高く広範に影響を及ぼしているのが、患者の氏名や住所の一部が「●(黒丸)」で表示されるという現象です。トラブルを経験した医療機関のうち、約77.2%という圧倒的な割合でこの問題が発生しています。これは、患者の4文字の名前のうち3文字が●で表示されるようなケースも含んでおり、「●田 ●子」のような表示では本人確認としての機能を果たさないばかりか、カルテ作成やレセプト請求において正しい氏名を入力するための追加確認作業を強いることになります。
資格情報が無効と表示される問題
次いで深刻なのが、「資格情報が無効」あるいは「該当なし」と表示されるトラブルであり、約51.1%の医療機関が経験しています。有効な保険証を持っているはずの患者が、窓口のカードリーダーを通すと「無保険」扱いとなるこの現象は、医療機関にとって最も対応に苦慮するケースです。患者に10割負担を求めるか、それともリスクを承知で3割負担とするかという厳しい判断をその場で迫られることになります。
機器の接続不良と通信エラー
カードリーダーや顔認証端末の物理的な不具合、あるいは通信エラーによる接続不良も約48.1%の医療機関で報告されています。再起動に数分から十数分を要するケースもあり、その間受付業務が完全にストップすることで、待合室の混雑や患者のクレームに直結していました。
有効期限切れエラーの急増
特筆すべき傾向として、2024年8月以降「有効期限切れ」によるトラブルが急増しました。これは後期高齢者医療制度や国民健康保険の保険証更新時期(通常7月末有効期限)と重なったことによるもので、前々回の調査と比較して発生件数が約2倍に倍増しました。システム上の更新データがカードリーダー端末に正しく反映されていない、あるいは旧保険証のデータが優先されてしまうなどの要因が絡んでいると見られています。
認証エラーが発生する技術的・構造的な原因
なぜ国家プロジェクトとして莫大な予算を投じて構築されたシステムにおいて、これほど初歩的かつ頻繁なエラーが発生するのでしょうか。その背景には、日本の行政システムの歴史的経緯に根ざした技術的な課題と、生体認証技術の特性、そしてデータ運用の構造的な欠陥が複雑に絡み合っています。
「●(黒丸)」表示の根本原因:文字コードの非互換性
最も多発している「●(黒丸)」表示トラブルの根本原因は、マイナンバーカードの基盤となる住民基本台帳(住基)システムと、健康保険証のオンライン資格確認システムとの間における、扱える文字セット(漢字コード)の不一致にあります。
日本の戸籍や住民票システムにおいては、長年にわたり「外字」と呼ばれる特殊な漢字や、正字とは異なる異体字の使用が認められてきました。地方自治体ごとに独自の文字コードで管理されているケースも多く、そのバリエーションは膨大です。一方、医療保険のオンライン資格確認システムやレセプト請求システムは、全国統一の標準的な規格(JIS第1・第2水準など)をベースに構築されており、扱える文字種に制限があります。
マイナンバーカードの情報をオンライン資格確認システムが読み込む際、システムが対応していない外字が含まれていると、その文字を表示・処理することができず、代替文字として「●」に変換して出力する仕様となっています。たとえば「髙(はしごだか)」や「﨑(たつさき)」といった比較的日常的な異体字であっても、システム環境によっては●と表示される場合があります。
政府や自治体の説明によれば、これは「仕様」でありトラブルではないとの見解も示されていますが、医療現場にとっては実務上の重大な障害です。レセプト請求等の公的書類に「●」のまま記載することは許されず、医療機関は患者本人から正しい漢字を聞き取ったり、従来の保険証やお薬手帳を目視確認したりして手入力で修正を行わなければなりません。デジタル化によって自動入力されるはずが、逆にアナログな確認と修正の手間を増大させているという皮肉な状況が生まれています。
顔認証エラーの物理的・環境的・身体的要因
「顔認証付きカードリーダー」における認証失敗も、現場の混乱の主要因です。このエラーは、機器の性能だけでなく、設置環境や患者の属性、さらには社会的な習慣の変化が大きく関与している複合的な問題です。
マスク着用と感染対策のジレンマについて見てみると、コロナ禍以降、医療機関内ではマスク着用が標準的なマナーとなっています。しかし、顔認証システムにとってマスクは認証精度を著しく低下させる要因となります。特に顔の半分以上を覆うような形状や、色の濃いマスク(黒やグレー、柄物など)は認証エラーを引き起こしやすいとされています。カードリーダーのアナウンスで「マスクを外してください」と指示されても、感染不安から外すことを躊躇する患者も多く、また外したとしても認証されないケースが報告されています。
設置環境と光の影響も重要な要因です。カードリーダーの設置場所もエラーの要因となります。窓口のカウンターなどに設置されることが多いですが、直射日光が差し込む場所や強いダウンライトの直下などでは、逆光やハレーションによって顔の陰影が正しく認識されず認証に失敗することがあります。メーカーのマニュアルでも直射日光や逆光を避けるよう注意喚起がなされていますが、医療機関の構造上、理想的な照明環境を確保することが難しいケースも多いのが現状です。
高齢者や車椅子利用者への配慮不足も指摘されています。カードリーダーのカメラ位置や画角は、一定の身長や姿勢を想定して設計されています。そのため、身長の低い高齢者や車椅子を利用している患者にとっては、カメラの位置が高すぎたり、画面上の枠内に顔を収める操作が困難であったりします。特に首を伸ばしたり立ち上がったりすることが難しい患者の場合、何度試みても認証されず、タイムアウト(時間切れ)となってしまう事例が多発しています。これはユニバーサルデザインの観点からも課題が残る仕様といえます。
経年変化と写真の乖離も問題となります。マイナンバーカードの有効期限は発行から10年(電子証明書は5年)です。発行時に撮影した写真と現在の本人の容貌が、加齢や病気による痩身、髪型の変化などで大きく異なっている場合、顔認証システムが本人と判定できないケースがあります。特に成長期の子供や、急激な老化が進む高齢者の場合、この「経年変化によるエラー」は避けられない問題となっています。
データ反映のタイムラグという構造的問題
「資格情報なし」や「無効」と表示される背景には、データの反映遅延(タイムラグ)というより根深い構造的な問題が存在します。マイナ保険証の仕組みは、保険者(健保組合や自治体)が登録したデータをオンラインで参照するものです。したがって、転職、退職、転居、婚姻による氏名変更などが発生した場合、保険者がその情報をシステムに登録するまでは、マイナ保険証上では「古い情報のまま」あるいは「資格なし」の状態となります。
問題はこのデータ登録に要する時間です。企業から健保組合へ、あるいは住民から自治体への届出がなされた後、実際にシステム上のデータが更新されるまでに数日から場合によっては数週間のタイムラグが生じることがあります。特にデータ入力を外部業者に委託している自治体などでは、週に一度のバッチ処理などで更新を行っているケースもあり、最大で3週間程度の遅れが生じるという報告もあります。
従来の紙の保険証であれば、窓口で交付された時点でその保険証は有効であり、手元にあれば受診が可能でした。しかしマイナ保険証の場合、カード自体を持っていてもサーバー上のデータが更新されていなければ「ただのプラスチックカード」となり、保険資格を証明できません。この「リアルタイム性の欠如」は、即時確認を前提とするシステムの信頼性を根幹から揺るがす欠陥であり、患者が「無保険状態」に置かれる期間を生み出しています。
認証エラーが医療機関経営に与える深刻な影響
7割の医療機関で発生するトラブルは、単なる「機械の不調」にとどまらず、医療機関の経営を直接的に脅かすリスクとなり、現場スタッフの疲弊、そして患者との信頼関係の毀損に直結しています。
「一旦10割負担」による金銭的トラブルと未収金リスク
資格確認ができない場合、医療機関はどのように対応すべきでしょうか。原則論としては、保険資格が確認できない以上、患者に医療費の全額(10割)を請求し、後日資格が確認できた段階で差額(7割~9割分)を返金するという対応を取らざるを得ません。しかし、これは現実的には極めて困難な対応です。
患者側からすれば、「有効なマイナンバーカード(保険証)を持ってきているのに、なぜ全額払わなければならないのか」という不満を持つのは当然です。窓口で「10割負担になります」と告げられ、手持ちの現金が足りずに受診を諦めたり、激高してトラブルになったりするケースが後を絶ちませんでした。保団連の調査によれば、トラブル発生時に「一旦患者に10割負担を求めた」事例は少なくとも3403件以上に上り、前回の調査から大幅に増加しています。
さらに深刻なのは、患者への配慮から医療機関側がリスクを負うケースです。10割請求を避け「とりあえず3割負担」で会計を行い、後でレセプト請求を行うという対応(不詳レセプト)をとった結果、保険者から「資格なし」として請求を却下(返戻)される事態が発生しています。調査では、442医療機関で828件の不詳レセプトが発生し、その損失(差額の7割分)を医療機関が被ったまま回収不能となっている事例が報告されています。これは特に経営基盤の弱い小規模な診療所にとっては死活問題であり、「マイナ保険証を使うことは経営リスクである」という認識を広める結果となっています。
受付業務の遅滞とスタッフの負担増
マイナ保険証の導入は本来「受付業務の効率化」を謳い文句にしていましたが、現状では逆の結果を招いている医療機関が圧倒的に多くなっています。高齢者などがカードリーダーの操作に戸惑う際、受付スタッフはカウンターから出て手取り足取り操作を補助しなければなりません。
「暗証番号を忘れた」「カードの向きが逆」「顔認証が通らない」「タッチパネルの反応が悪い」といったトラブルに一件一件対応することは、特に繁忙期のクリニックにおいて大きな業務負荷となります。保団連のアンケートでは、12月2日以降の窓口業務について約6割の医療機関が「負担を感じる(とても負担を感じる+負担を感じる)」と回答しており、逆に「負担が減った」とする回答はわずか6.1%に過ぎませんでした。医療事務スタッフが本来の業務に加えて、IT機器のインストラクターやトラブルシューターとしての役割まで強いられている現状があります。
機器トラブルによる診療への影響
システムトラブルは診療時間中にも容赦なく発生します。カードリーダーがフリーズしたり通信エラーで接続が切れたりした場合、機器の再起動や配線の確認が必要となります。再起動には数分から十数分を要することもあり、その間受付業務が完全に停止し、診療の開始が遅れることになります。これは予約制をとっているクリニックなどでは全体のスケジュールを狂わせ、待ち時間の増大につながります。医師や看護師が診療の手を止めて機器の復旧作業にあたるケースも散見され、医療の質そのものに悪影響を及ぼしかねない状況でした。
高齢者・障害者施設が直面する「管理不能」の危機
マイナ保険証への移行において、最も深刻かつ解決困難な課題を抱えているのが、特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)、障害者支援施設などの入所施設です。これらの施設では、入所者の健康保険証を施設側が預かり職員が代理で管理・運用することが一般的でしたが、マイナンバーカードへの移行によりその管理責任と実務負担が飛躍的に増大し「管理不能」の悲鳴が上がっています。
暗証番号とカード管理のリスク
従来の紙やプラスチックの保険証であれば、万が一紛失しても再発行は比較的容易であり、悪用されたとしてもリスクは医療費の不正利用などに限定されていました。しかしマイナンバーカードは、税情報や年金情報など高度な個人情報へのアクセスキーとなるものであり、紛失時のリスクと責任の重さが桁違いです。
施設職員が数十人、数百人分の入所者のマイナンバーカードを金庫で預かり、通院のたびに持ち出すことに対し、多くの施設長や管理者が「責任を負いきれない」と訴えています。実際に保団連が実施した施設向け調査では、約9割の施設が「カード・暗証番号の紛失時の責任が重い」「管理が困難」と回答しており、現場の拒否感は極めて強いものがあります。
暗証番号管理の法的・倫理的ジレンマ
マイナ保険証の使用には原則として「顔認証」または「暗証番号(4桁)」の入力が必要となります。しかし認知症の入所者や重度の障害者の場合、自力で顔認証を行うことも暗証番号を記憶・入力することも困難です。そのため施設職員が本人に代わって暗証番号を入力せざるを得ない状況が生じますが、これは「他人の暗証番号を知り得る状態にある」「他人のカードを使用して認証を行う」という点で、セキュリティ上の原則に反する運用を強いられることになります。
政府はこうした懸念に対し「暗証番号の設定を不要とする顔認証限定カード」の発行も認めていますが、それでもカードという「物理的な実体」を管理し持ち運ぶリスクは解消されません。また顔認証限定カードであっても、本人の顔認証ができなければ(寝たきりや意識障害など)結局は使えないという問題が残ります。
代理受診と救急搬送時の混乱
施設入所者の医療においては、本人が受診せず施設職員や家族が代理で薬を取りに行ったり手続きを行ったりする「代理受診」や往診対応のケースが多くあります。マイナ保険証は「本人の生体認証」を前提としたシステムであるため、本人がその場にいない代理受診においてはその機能を発揮できません。
また緊急時の救急搬送においても課題は山積しています。意識のない入所者が救急搬送される際、施設職員はマイナンバーカードを救急隊員に託すべきなのか、それとも後から届けるべきなのかという判断が求められます。救急外来の現場で意識のない患者の顔認証を行うことは現実的ではなく、暗証番号も不明であれば迅速な資格確認ができません。現在は「目視モード」などの運用で回避することが想定されていますが、それは結局のところ「券面を目視確認する」というアナログな手法への回帰であり、デジタル化のメリットを享受できないばかりか現場に「例外処理」という新たな負担を強いる結果となっています。
政府の対応策とその限界
こうした数々のトラブルや現場からの悲鳴に対し、政府も無策ではありませんでした。様々な救済措置やシステム改修、代替手段の整備を進めてきました。しかしそれらの多くは対症療法的な措置にとどまっており、根本的な解決には至っていないとの指摘も多く見られます。
「資格確認書」によるセーフティネット
マイナ保険証を持たない人、紛失した人、あるいはマイナ保険証での受診が困難な人(高齢者、障害者など)に対しては、申請により(当面は職権で自動的に)「資格確認書」が交付される制度が設けられました。この資格確認書は、氏名、生年月日、被保険者番号などの資格情報が記載された紙(またはプラスチック)のカードであり、実質的に従来の健康保険証と同じ機能を果たすものです。
医療機関の窓口でこの資格確認書を提示すれば、顔認証や暗証番号なしで目視による確認のみで保険診療を受けることができます。2024年12月2日の新規発行停止以降、マイナ保険証の利用登録をしていない人にはこの資格確認書が保険者から自動的に送付されることになっており、有効期限は最大で5年間(更新制)とされています。
現場の医療機関や介護施設にとっては、トラブル続きのマイナ保険証よりも目視で確実に確認できる資格確認書の方が「安心できる」「手間がかからない」という声も根強くあります。結果としてデジタル化を推進するためのマイナ保険証が敬遠され、アナログな資格確認書への回帰が進むという政策意図とは逆の現象が起きています。
「資格情報のお知らせ」の配布とスマホ搭載
マイナ保険証の読み取りトラブルに備え、政府は全加入者に対して「資格情報のお知らせ」という書類を送付しています。これはA4サイズの紙などで自身の被保険者番号などが記載されたものです。マイナ保険証のチップが読み取れない場合でも、この「お知らせ」をマイナンバーカードと共に提示することで資格確認を可能とする運用フローが提示されています。
しかし患者に「マイナンバーカード」と「資格情報のお知らせ」の両方を持参させることは、利便性の向上とは言い難いものです。「カード一枚で受診できる」という当初の触れ込みとは異なり、結局は紙の書類も持ち歩かなければならない状況になっています。
またマイナ保険証機能のスマートフォン(Androidに続きiPhoneも対応予定)への搭載も進められており、カード本体を持ち歩かなくてもスマホで受診できる環境整備が急がれています。これによりカードリーダーの物理的なトラブルの一部は解消されることが期待されますが、スマホ操作に不慣れな高齢者層への恩恵は限定的であり、スマホを持たない層やスマホの充電切れなどの新たなリスクも考慮する必要があります。
顔認証リーダーの「目視モード」というパラドックス
顔認証が通らない場合の緊急避難的措置として、医療機関職員がカードリーダーを操作し「目視モード」に切り替えてカード券面の顔写真と患者の顔を目視で照合し資格確認を行う方法が公式に案内されています。
これはシステムエラー時のバックアップとして機能しますが、職員がわざわざ端末を操作し目視確認を行うという手順は、デジタル化による自動化・効率化とは真逆のプロセスです。最新鋭の顔認証端末を導入しながら、最終的には人間の目視確認に頼らざるを得ない現状は、技術の未成熟さと現場運用の乖離を象徴するパラドックスといえます。
2025年問題と今後の展望
経過措置終了後の影響
2024年12月2日に現行健康保険証の新規発行が停止されましたが、すでに発行済みの保険証はその有効期限まで、最長で2025年12月1日まで使用可能とする経過措置が設けられていました。この間は「マイナ保険証」「現行の保険証」「資格確認書」の3種類の証が混在する極めて複雑な運用期間となりました。医療機関の窓口では患者が何を出してきても対応できるよう、マニュアルの整備やスタッフ教育が必要となり、その負担は計り知れないものでした。
高齢者医療制度の更新時期におけるリスク
特に懸念されていたのが、後期高齢者医療制度や国民健康保険の更新時期である夏場(7月~8月)です。多くの自治体ではこれまでこの時期に新しい保険証を一斉送付していましたが、2025年以降はそれがなくなりました。代わりに「資格確認書」が送られることになりましたが、その周知が十分でなければ「保険証が届かない」という問い合わせが殺到し、医療機関窓口でも混乱が生じることが予想されていました。
また2025年には団塊の世代が全て75歳以上の後期高齢者となる「2025年問題」のピークを迎えました。医療需要が最大化するこのタイミングで資格確認の仕組みを根底から変更することは、医療提供体制そのものに負荷をかけるリスクがありました。
システムの持続可能性と信頼回復の課題
7割の医療機関でトラブルが発生している現状を放置したまま完全移行を強行すれば、日本の医療保険制度に対する国民の信頼を損なうことになりかねません。政府はシステムの改修やデータ連携の迅速化を進めるとしていますが、外字問題などの根本的な技術的課題の解決には相当な時間を要すると見られています。
またマイナ保険証の利用率が低迷し続ける中、資格確認書の発行コストやシステム維持コストの二重負担も問題となっています。デジタル化によるコスト削減を目指したはずがかえってコストが増大するという結果になれば、政策の正当性が問われることになります。
まとめ
マイナ保険証を巡る認証エラー発生率「7割」という数字は、単なる初期不良の域を超え、日本の医療DXが抱える構造的な欠陥を浮き彫りにしています。文字コードの不整合による「●」表示、ハードウェアとユーザー特性のミスマッチによる顔認証エラー、そしてデータ連携のタイムラグによる資格無効表示。これらは現場の医療従事者の献身的な対応(目視確認、手入力、患者への説明、そして金銭的リスクの負担)によって辛うじて支えられているのが現状です。
デジタル化のコストを現場の医療機関や介護施設、そして患者というエンドユーザーに転嫁する形でのシステム推進は持続可能とは言い難いものです。政府にはシステム基盤の抜本的改修、データ更新のリアルタイム化、現場負担への補償と配慮、そしてデジタル完結に固執しない柔軟な運用維持が強く求められています。
「誰一人取り残さないデジタル化」を掲げるのであれば、最もデジタル化の恩恵を受けにくい高齢者や障害者、そして彼らを支える医療・介護現場にこそ、最も使いやすくトラブルのないシステムが提供されなければなりません。7割という高いトラブル発生率は、その理想までの道のりが依然として遠く険しいことを冷徹な数字として突きつけています。


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