大阪・関西万博で導入されたEVバス150台が「塩漬け」状態となった理由は、安全性への重大な疑義により、閉幕後の転用先であったバス事業者が受け入れを拒否したためです。自動ブレーキセンサーが両面テープで固定されていた脱落問題や、無人状態での暴走事故、ブレーキやステアリングの機能不全といった深刻な不具合が相次いで発覚しました。これにより、阪急バスや近鉄バスなど関西の大手バス事業者は、万博終了後の車両引き受けを事実上拒否し、数十億円規模の公金が投入された150台のEVバスは行き場を失う結果となりました。
本記事では、なぜこのような事態に至ったのか、その背景にある「六価クロム問題」による市場の歪み、製造元の品質管理体制の問題、そして補助金行政のあり方まで、多角的な視点から詳しく解説します。万博のレガシーとして活用されるはずだった車両が「産業廃棄物」と化した経緯を理解することで、今後の公共調達や大型プロジェクトにおける教訓を得ることができます。

万博EVバス150台が「塩漬け」となった経緯とは
2025年に開催された大阪・関西万博では、「いのち輝く未来社会のデザイン」をテーマに掲げ、カーボンニュートラルと次世代モビリティの社会実装を世界に示す実験場として位置づけられていました。その中核事業の一つが、会場内外の輸送を担うEVバスの大規模導入プロジェクトでした。大阪メトロが主体となり、合計150台のEVバスを調達し、会期中の輸送手段として活用した後、閉幕後には大阪府内の路線バス等として再利用するという「レガシー継承」計画が策定されていました。
しかし、この計画は完全に崩壊しました。調達された車両において、安全性の根幹を揺るがす重大な不具合が頻発したためです。当初予定されていた閉幕後の他事業者への譲渡計画は事実上頓挫し、150台もの大型車両が行き場を失う「塩漬け」状態となりました。万博会場内・外周輸送バスとして約100台の大型EVバス、主要駅シャトルバスとして約50台、オンデマンドバスとして約40台が導入されていましたが、そのほとんどが転用の見通しが立たない状況に陥っています。
安全性への疑義が浮上した具体的な不具合の内容
万博用EVバスに発生した不具合は、単なる初期不良の域を超え、設計思想や品質管理体制の根本的な欠如を示す深刻なものでした。その中でも最も衝撃的だったのが、自動ブレーキ用センサーの取り付け不備です。
両面テープによるセンサー固定問題の実態
万博会場や桜島駅周辺で運行される自動運転対応バスにおいて、車両前方の障害物を検知するLiDARやカメラ等の重要保安部品が、ボルトやブラケットではなく「両面テープ」のみで車体に固定されていた事実が発覚しました。バスの走行振動や夏の高温、雨風により両面テープの粘着力が低下し、センサーが脱落・剥離する事態が発生しました。その結果、検知方向がずれたり、完全に機能を喪失したりする状態となり、自動ブレーキが作動しない、あるいは誤作動を起こすリスクが顕在化しました。
数トンの質量を持つ大型バスの制御センサーを、文房具レベルの手法で固定していたという事実は、製造元のエンジニアリング能力の低さと、それを受け入れた大阪メトロの受入検査の杜撰さを露呈するものでした。安全に関わる重要部品の固定方法として、両面テープが採用されていたこと自体が、品質管理体制の欠如を如実に示しています。
舞洲駐車場で発生した無人暴走事故
2025年4月28日、万博の駐車場である舞洲にて、さらに深刻な事故が発生しました。EVバスが運転士が降車した後に無人の状態で動き出し、コンクリート擁壁に衝突したのです。この時、車両は自動運転モードではなく手動運転モードでの待機中であり、運転士は車両の警告表示を確認するために一時離席していました。駐車ブレーキの掛け忘れ、あるいは運転席を離れると自動的にブレーキがかかるインターロック機能の不備・不作動が原因として考えられています。
この事故の重大性は、もしこれが観客で混雑するバス停で起きていれば、多数の死傷者を出す大惨事となっていた可能性があるという点にあります。EV特有のクリープ現象とヒューマンエラーを防ぐフェイルセーフ設計の欠如が重なった複合的要因による事故と推測されています。
基本性能の欠落が露呈した各地での不具合事例
万博用バスと同系統のシステムを用いた車両では、福岡県筑後市のスクールバスでも深刻な問題が報告されています。ブレーキの効きが極端に悪く、床まで踏み込んでようやく急停車する状態や、時速50km走行時にブレーキを軽く踏んだ際に回生ブレーキが機能しない現象が発生しました。さらに、ハンドルを切るとクラクションが鳴り続けたり、交差点で突然システムダウンして立ち往生したりする事態も起きました。筑後市はこれらの不具合を「子供の命に関わる」と判断し、導入からわずか2週間で運行を停止し、契約解除に至りました。
また、大阪メトロが運行するオンデマンドバスでも、2024年9月1日に「ハンドルが効かなくなり中央分離帯に乗り上げる」という事故が発生しています。パワーステアリングの失陥や操舵系統の機械的破損が疑われ、同型車40台が全車運行停止措置となりました。これらの事例は、万博導入車両も同様のリスクを抱えていることを強く示唆するものでした。
転用断念の理由とバス事業者が受け入れを拒否した背景
当初の計画では、万博で使用された150台のバスは、閉幕後に大阪メトロ、阪急バス、近鉄バス、京阪バスなどの路線バスとして再配備される予定でした。EVバスは導入コストが高いものの、万博予算で調達された車両を安価に譲り受けることができれば、バス事業者にとってもメリットがあると考えられていました。しかし、事故と不具合の連鎖を受け、関西のバス事業者たちは一斉に引き受けに難色を示し、事実上の拒否姿勢を強めました。
その理由は単なる感情的なものではなく、合理的な経営判断に基づくものです。公共交通機関にとって「安全」は商品そのものであり、ブレーキやステアリングに問題を抱えた車両を運行することは、企業の存続に関わるリスクとなります。また、頻繁に故障し部品供給も不安定な車両は稼働率が著しく低くなり、予備車を多く確保しなければならず、運行コストが跳ね上がります。
さらに、日本国内に部品在庫が乏しく、中国メーカーからの取り寄せに時間がかかることもメンテナンス面での大きな障壁となっています。整備マニュアルの不備や独自規格の部品使用により、自社の整備士が対応できないという問題も発生しています。加えて、現場の運転士が「怖くて乗れない」と乗務を拒否する事態も想定されており、人手不足が深刻なバス業界において運転士の離職を招く車両は導入できないという判断がなされました。
六価クロム問題がEVバス市場に与えた影響
今回の問題の根源を辿ると、2023年初頭に発生した「六価クロム」問題に行き着きます。これは日本のEVバス市場の勢力図を一変させ、万博バス調達における決定的な転換点となりました。
世界最大手メーカーBYDの排除経緯
当初、万博用EVバスの調達先として最有力視されていたのは、中国の比亜迪(BYD)でした。BYDは世界最大のEVメーカーであり、日本国内でも京都のプリンセスラインでの導入を皮切りに、低価格かつ安定した性能で地方自治体やバス会社への納入実績を積み重ねていました。当時の日本市場において、大型EVバスを量産規模で供給できるメーカーは事実上BYDしか存在しなかったといっても過言ではありませんでした。
2023年2月、日野自動車がBYDからOEM供給を受ける予定だった小型EVバスの発売凍結を発表しました。その理由は、防錆処理に「六価クロム」が使用されていたことでした。六価クロムは強い酸化作用を持ち、皮膚・粘膜への刺激やDNA損傷による発がん性があり、国際がん研究機関(IARC)のグループ1(ヒトに対する発がん性あり)に分類されています。日本国内での使用自体を禁止する法律はありませんが、労働安全衛生法や土壌汚染対策法等で厳しく管理されています。また、日本自動車工業会(JAMA)は欧州のELV指令(廃車指令)に準拠し、2008年から会員企業に対して自主規制で使用を禁止しています。
BYD側は「通常の使用状態において乗員や整備員への健康影響はない」とし、廃車時にも適切な無害化処理を行うと主張しました。科学的見地からは、メッキ処理された部品が安定状態にある限り、直ちに健康被害が生じるリスクは低いとされています。しかし、問題は「安全性」そのものよりも「コンプライアンス」と「信頼」にありました。JAMA加盟企業である日野自動車にとって、自主規制で禁止されている物質が含まれる車両を販売することは許されず、万博という国家プロジェクトにおいて発がん性物質の使用が取り沙汰される車両を採用することは政治的リスクがあまりにも大きかったのです。
供給能力の空白を埋めた新興企業の台頭
この報道を受け、BYD製の採用を予定していた西武バスや京阪バスなどが一時導入を見合わせるなど、市場はパニックに陥りました。大阪万博の調達プロセスにおいても、この「六価クロムショック」が決定打となり、BYDは実質的に排除されることとなりました。ここで生じた最大の問題は、BYDを排除した後に誰が150台ものバスを供給できるのかという供給能力の空白でした。国内大手メーカーはEVバスの開発で出遅れており、即座に量産車を供給できる体制になかったのです。
この巨大な需給ギャップに飛び込んだのが、株式会社EVモーターズ・ジャパン(EVMJ)でした。EVMJは2019年に福岡県北九州市で設立されたスタートアップ企業であり、バッテリー制御技術を強みとし、低消費電力と長寿命をアピールポイントとしていました。資本金は2023年3月に約47億円、2024年12月には約68億円、2025年時点では約82億円と急速に増資を行い、万博受注を背景に成長を遂げました。しかし、財務諸表を見ると売上原価や販管費が嵩み、営業損失や経常損失を計上している時期もあり、急速な事業拡大に収益性が追いついていない歪な構造が見え隠れしていました。
EVMJの「国産」ビジネスモデルの実態
EVMJは「国産EVバス」というイメージを前面に押し出していましたが、そのビジネスモデルは自社工場で一から製造するのではなく、中国の提携メーカーに製造を委託し、輸入後に日本国内で最終的な架装や点検を行う「ファブレス(工場を持たない)」に近い形態でした。
万博用バスの実質的な製造元は、中国の3社であると特定されています。万博会場内・外周輸送用の大型バスと駅シャトルバスを担当したのは福建威馳騰汽車(Wisdom Motor)であり、新興メーカーでBYDほどの実績はありませんでした。小型バスを担当した南京恒天嶺鋭汽車は、筑後市などで重大な不具合を起こした車両の製造元でもあります。オンデマンドバスを担当した愛中和汽車(Vamo)は、中国鉄道最大手「中国中車(CRRC)」の子会社です。
関係者の証言によれば、100億円をかけて建設された北九州工場で行われているのは、組み立てではなく、運賃箱や降車ボタンの取り付けといった最終架装のみであるといいます。つまり、車両の基本性能である「走る・曲がる・止まる」を決定づけるシャシー、モーター、ブレーキシステム等の品質は、これら中国メーカーの技術力と品質管理に100%依存しているのです。
ここで皮肉な現実が浮かび上がります。六価クロムを使用した世界的大手のBYDを排除した結果、品質管理能力が未知数の中国新興メーカー製バスを「日本ブランド」として高値で導入することになったのです。BYDは垂直統合型の生産体制を持ち、バッテリーから車体まで自社で一貫製造することで高い品質管理能力を持っていました。対してEVMJの提携先は、部品の寄せ集めで製造する傾向が強く、システム統合の面で脆弱性を抱えていた可能性が高いです。このメーカー選定の失敗こそが、後の事故多発の伏線となりました。
150台が「産業廃棄物」と化す経済的損失の構造
転用先を失った150台のバスがどうなるのかという問題は、深刻な経済的損失を伴います。引き取り手がいない以上、発注元である大阪メトロが保有し続けるしかありませんが、路線バスとして使うにはリスクが高すぎるため、車庫の奥で眠らせる「塩漬け」状態となります。
転売しようにも、悪評が広まったEVMJ製の中古バスを買う事業者は国内には皆無に近く、海外へ二束三文で売却するかスクラップにするしかありません。また、走らなくても巨大なリチウムイオンバッテリーの管理や駐車スペースの確保にコストがかかり続けます。これは数十億円規模の資産価値の毀損であり、実質的な経済損失となっています。
補助金行政の問題点と公金の使途
EVバス導入には、国(環境省、経産省)、大阪府、大阪市から多層的な補助金が投入されています。大阪府・市の「万博を契機としたバス事業者の脱炭素化促進事業」では、電気バス1台あたり上限1,800万円(充電設備費含む)の補助上限が設定されており、補助率は国の補助金と合わせて車両価格の3分の2から2分の1程度となっています。
仮に150台すべてに満額の補助が出たとすれば、単純計算で27億円以上の公金が動いていることになります。これに国からの補助金を加えれば、総額はさらに膨れ上がります。補助金の交付要件には通常、導入から5年間は処分(売却・廃棄)を制限する条件や、主たる運行地域を大阪府内とするといった条件が付されています。もし万博終了後に「使い物にならない」として早期に廃車したり、運行を停止したりすれば、補助金適正化法に基づき補助金の返還を求められる可能性があります。
しかし、行政側も万博の推進主体であるため、「不具合によるやむを得ない事情」として返還を免除するのか、あるいは責任の押し付け合いになるのか、予断を許さない状況です。EVMJが多額の補助金を受け、万博の独占契約を勝ち取れた背景には、「国産メーカー」という看板が行政側の審査において有利に働いた側面は否めません。しかし、実態が中国製部品のノックダウン生産に近いことを知りながら、十分な品質監査を行わずに巨額の公金を付けた行政側のチェック機能不全も問われるべきです。
万博EVバス問題から得られる教訓と今後の課題
大阪・関西万博におけるEVバス問題は、偶発的な事故ではなく、複数の構造的要因が複合して起きた事態であると言えます。
まず、過剰なコンプライアンス反応の問題があります。科学的リスクの低い六価クロムを理由に、実績あるBYDを排除した政治判断が適切だったのかどうかは検証が必要です。次に、市場の空白と力量不足の問題があります。BYDの穴を埋めるために、製造能力と品質管理体制が未熟な新興企業に過大な発注を行ったリスク管理の欠如がありました。さらに、品質監査の形骸化の問題もあります。両面テープ固定などの初歩的な欠陥を見逃した、メーカーおよび発注者の検査体制の甘さが露呈しました。そして、転用計画の甘い見通しの問題があります。バス会社なら喜んで貰ってくれるだろうという希望的観測に基づき、現場の安全性要求を軽視した計画策定が行われていました。
結果として、万博の理念である「持続可能性」とは真逆の、大量の産業廃棄物予備軍を生み出す結果となりました。今後、とりうる選択肢は限られていますが、被害を最小限に抑えるためにはいくつかの対応が求められます。メーカー任せにせず独立した技術機関による全車両の総点検を実施し、ハードウェアの改修を行うこと、安全性が確認できない車両は運用から外し不足分は既存の車両で代走させる決断を行うこと、EVMJに対し契約不適合責任に基づく損害賠償請求や改修費用の負担を求めること、不具合の内容・頻度・改修状況について包み隠さず公表することなどが必要です。
今後の公共調達に向けた提言
今回の事態は、日本のものづくり、公共調達、そして危機管理のあり方に重い教訓を残しました。「いのち輝く未来社会」というテーマを掲げた万博において、移動手段が「いのちを脅かす」存在となってしまったことは、大きな皮肉です。
公共調達においては、「国産」というラベルだけでなく、実質的な製造体制や品質管理能力を精査する仕組みが必要です。また、新規技術の大規模導入においては、段階的な検証プロセスを設けることが重要です。さらに、不具合発生時の責任分担や損害賠償のルールを契約段階で明確化しておくことも求められます。
EVバスの普及は脱炭素社会の実現に向けて不可欠な取り組みですが、安全性を犠牲にしては本末転倒です。今回の150台の「塩漬け」問題を教訓として、今後の公共交通における電動化政策がより慎重かつ実効性のあるものとなることが期待されます。


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