ANAドローン物流の事業化とは、全日本空輸(ANA)ホールディングスおよびパートナー企業群が、離島地域における医薬品などの配送課題を解決するために構築した、ドローンを活用した新しい物流インフラです。長崎県五島市を舞台に2022年5月から商用運航が開始され、日本で初めてレベル3およびレベル4での医薬品配送を実現しました。この取り組みは、高齢化が進む離島住民の医療アクセスを飛躍的に改善し、従来は定期船とバスを乗り継いで数時間かけていた通院や薬の受け取りを、わずか数十分のドローン配送で完結させる画期的なものとなっています。
五島市は大小140余りの島々からなる列島であり、特に福江島からさらに船で渡る必要がある「二次離島」では、医師が常駐していない島も多く存在します。週1回程度の巡回診療では対応しきれない緊急の処方薬ニーズや、慢性疾患を抱える高齢者への定期的な薬の供給が課題となっていました。ANAのドローン物流事業化は、こうした「人が運ぶには非効率だが、運ばなければならない物資」を、無人化・自動化技術によって低コストかつ迅速に届けることを可能にしています。この記事では、ANAドローン物流の事業化の背景から、医薬品配送の具体的な仕組み、使用される機体の技術、そして法規制対応と将来展望までを詳しく解説します。

ANAドローン物流事業化の背景と五島市が「課題先進地」と呼ばれる理由
ANAがドローン物流の事業化に踏み切った背景には、日本社会が直面する深刻な物流危機があります。「2024年問題」として知られるトラックドライバーの時間外労働規制強化は、国内物流のキャパシティを大きく低下させ、その影響は都市部よりもむしろ地方の過疎地域や離島地域において深刻な形で顕在化しました。
長崎県五島市は、有人国境離島地域として指定されており、急速な少子高齢化と人口減少が進行しています。既存の物流網は人口密度と輸送効率に依存しているため、五島市のような島嶼部ではフェリーや定期船、そして島内の陸送を組み合わせる必要があり、輸送コストが高止まりする一方で配送頻度は減少の一途をたどっていました。特に二次離島においては、日用品や医薬品という生命維持に直結する物資の供給網維持が限界を迎えていたのです。
五島市の二次離島における最大の課題は医療アクセスの確保にあります。例えば嵯峨島は人口約100名の島ですが、島内に医師は常駐しておらず、週に1回程度の巡回診療が行われるのみとなっています。急な体調不良が発生した場合や定期的な薬の処方が必要な場合、島民は定期船とバスを乗り継いで福江島の総合病院まで通院しなければなりません。椛島地区では高齢化率が76.06%に達しており、住民の4人に3人が高齢者という状況です。足腰の弱った高齢者にとって、船の時間を気にしながらの通院は肉体的・精神的に過酷な負担となっていました。
さらにへき地診療所においては、使用頻度の低い医薬品の在庫管理が経営上のリスクとなっており、緊急時に必要な薬が手元にないという事態も発生し得る状況でした。こうした背景から、ANAホールディングスは2016年からドローン事業化に向けた検討を開始し、単なる実証実験にとどまらず社会実装を見据えた長期的なプロジェクトを展開してきたのです。
ANAドローン物流を支えるパートナー企業と連携体制の仕組み
ANAドローン物流事業化の成功は、ANA単独ではなく各業界のリーディングカンパニーが結集したエコシステムによって支えられています。この連携体制は技術、資本、現場運用、医療監修の各レイヤーで最適なプレイヤーが配置されており、事業の持続可能性を担保しています。
本事業の物流実務を担うのは、豊田通商グループが設立した新会社「そらいいな株式会社」です。豊田通商は米国のドローンスタートアップであるZipline International Inc.に出資しており、日本市場における戦略的業務提携を締結しています。そらいいな株式会社は五島市福江島におけるドローンデポ(配送拠点)の建設・運営、Zipline製ドローンの輸入・運用、医薬品卸との契約締結を担当しています。特筆すべきは、実証実験ではなく医薬品卸会社から配送料を受け取るB2Bの物流事業として成立させている点です。
ANAホールディングスはドローン配送プロジェクト全体の統括を担い、運航管理システム(FMS)の提供、配送管理システム(ADOMS)の開発、自治体および航空局との調整、遠隔医療ソリューションとの連携を行っています。航空会社としてのコアコンピタンスである「安全文化」と「運航管理能力」を横展開し、複数のドローンが飛び交う空域における安全管理や配送状態の可視化技術を提供しています。
国産ドローンメーカーであるACSL(自律制御システム研究所)は、レベル4対応機体であるPF2-CAT3や小型空撮機SOTENを提供しています。日本の電波法やセキュリティ要件に適合した機体により、住宅地上空を飛行するリスクの高いミッションを支えています。
通信インフラの面ではNTTドコモおよびNTTコミュニケーションズが上空におけるLTE通信網の提供と風況データのリアルタイム解析を担当しています。長崎大学は遠隔医療システムの構築と医学的観点からの実証監修、住民への説明と合意形成に貢献しています。五島市は実証フィールドの提供と規制緩和に向けた国への働きかけ、スマートアイランド推進の実務を担っています。
離島医薬品配送の仕組みと発注から受け取りまでの流れ
2022年5月にそらいいな株式会社が五島市福江島に開設したドローン配送拠点では、オンデマンド型の物流ネットワークが運用されています。医薬品配送の仕組みは、発注から受け取りまで明確なステップで構成されています。
配送の起点となるのは離島の診療所や調剤薬局からの発注です。医師や薬剤師は必要な医薬品を提携する医薬品卸会社(3社)に発注します。通常の発注システムや電話が使用され、従来の医薬品流通の仕組みを踏襲しています。医薬品卸会社は定期船の時間が合わない場合や緊急性が高い場合に、専用の配送依頼システムを通じてそらいいなへ配送を指示します。
福江島のデポでは頻用医薬品が在庫されている場合や、卸から持ち込まれた医薬品が搬入されます。スタッフはこれらを専用の配送ボックスに梱包し、温度管理が必要な薬剤には専用の保冷剤を同梱してセキュリティ施錠を行います。オペレーターは気象条件を確認し、事前に設定された飛行ルートを選択します。ANAの運航管理システムが空域の安全を確認し、フライトが承認されます。
Zipline機の場合、機体はカタパルトにセットされ急加速で空中に射出されます。その後、時速100km以上の速度で目的地まで自律飛行します。目的地の上空に到達すると、ドローンは旋回しながら高度を下げ、パラシュート付きの配送ボックスを空中で切り離します。機体は着陸せずにそのまま上昇してデポへ帰還します。地上に軟着陸したボックスを現地の看護師や職員が回収し、SMSで通知された解錠コードを入力してボックスを開け、薬剤を確認して受領完了となります。
医薬品ドローン配送における品質管理と安全性確保の技術
医薬品配送において最も重要なのは「届けること」以上に「品質を維持すること」です。温度逸脱や振動による変質は患者の生命に関わる重大な事故につながるため、厳格な品質管理体制が構築されています。
温度管理においては、医薬品には常温(15〜25℃)、冷所(2〜8℃)、冷凍など厳格な保管条件があります。上空は地上よりも気温が低くなる一方、直射日光による筐体の加熱リスクもあります。ANAとパートナー企業は株式会社スギヤマゲンと共同でドローン配送専用の定温輸送容器を開発しました。真空断熱材や特殊な断熱フォームを使用した軽量かつ高断熱の構造となっており、配送品目に合わせた蓄熱剤をセットすることで外気温に左右されず設定温度を長時間維持します。沖縄県での血液製剤輸送実験においては、気温30℃超の環境下でもボックス内は2〜6℃の適正範囲に保たれることが実証されています。温度ロガーを同梱することで輸送中の温度変化を記録・追跡するトレーサビリティも確保しています。
振動と衝撃の影響についても医学的検証が行われています。ドローンの高周波振動やパラシュート着地時の衝撃がインスリン製剤や血液製剤などの繊細な医薬品に与える影響が懸念されました。Zipline社と医療機関による研究では、全血製剤をドローンで配送しパラシュート投下させた検体と配送しなかった検体を比較分析しました。その結果、ヘモグロビン値、酸素分圧、乳酸値、溶血率において両群に統計的な有意差は認められませんでした。カタパルト発射の重力加速度やパラシュート着地の衝撃は、血液製剤の品質を劣化させるレベルではないことが医学的に証明されています。
セキュリティとトレーサビリティの面では、処方薬や麻薬・向精神薬が含まれる可能性がある配送において盗難や紛失のリスク管理が法的に求められます。配送ボックスには鍵がかかっており受取権限を持つ医療従事者しか開けられません。ANAの配送管理システム「ADOMS」は機体の位置情報だけでなく、ボックスの状態(温度、衝撃、開閉)を一元管理し、異常があれば即座にアラートを発する仕組みとなっています。
ANAドローン物流で使用される3種類の機体と技術的特徴
五島市のプロジェクトでは配送距離、積載量、着陸環境に応じて主に3種類の異なるタイプのドローン技術が導入されています。それぞれの機体には明確な役割分担があり、配送ニーズに応じて最適な機体が選択される仕組みとなっています。
| 特性 | Zipline (Platform 1) | ACSL (PF2-CAT3) | Wingcopter 198 |
|---|---|---|---|
| タイプ | 固定翼(投下式) | 回転翼/VTOL | ティルトローターVTOL |
| 主な用途 | 拠点間輸送、定期配送 | ラストワンマイル(戸別配送) | 長距離・精密着陸 |
| 離着陸 | カタパルト / ワイヤー回収 | 垂直離着陸 | 垂直離着陸 |
| 速度 | 100km/h超 | 30-50km/h | 90km/h |
| 航続距離 | 160km以上 | 10-20km | 75km以上 |
| 耐風性能 | 強風に強い | 中程度 | 比較的強い |
| 荷渡し方式 | パラシュート投下 | 着陸 / 吊り下げ | 着陸 |
そらいいなが商用運航の主力として採用しているZipline社製固定翼機は、全長約2m、翼幅約3mの飛行機型ドローンです。巡航速度は100km/h以上で最大128km/h程度に達し、往復160km以上の航続距離を持っています。風速10〜15m/s程度の強風や雨天でも飛行可能であり、台風以外の天候であればほぼ運航できる高い稼働率を誇ります。離陸時は専用の電動カタパルトで0.5秒以内に時速100kmまで加速し、帰還時はデポ上空にある2本の塔の間に張られたワイヤーに機体尾部のフックを引っ掛けて空中でキャッチされます。投下方式のため受取場所にドローンポートを整備する必要がなく、福江島から五島列島全域をカバーできることが大きな利点です。
ACSL社製PF2-CAT3はANAが主導するレベル4実証実験で採用されている国産機体です。第一種型式認証を取得しており、最大1.5kg〜2.75kg程度のペイロードを約20〜30分の飛行時間で運ぶことができます。ホバリングが可能であるため、Zipline機のようにパラシュート投下できる広場がない場所でもピンポイントで着陸して荷物を渡すことができます。日本国内での開発・製造であり、経済安全保障推進法に準拠したセキュリティ対策が施されています。
Wingcopter社製198はANAが沖縄や五島の初期実験で使用したドイツ製の機体です。ティルトローター式VTOLであり、離着陸時はプロペラを上に向けてヘリコプターのように飛び、上空ではプロペラを前に向けて飛行機として飛びます。巡航速度は90km/h前後で航続距離は75km〜100kmです。固定翼の航続距離と回転翼の場所を選ばない離着陸性能を両立しており、血液検体のように振動を極力避けたい物資や長距離移動後に精密な着陸が求められるミッションに適しています。
航空法改正とレベル3からレベル4への進化
ドローン物流の実現における最大の障壁は技術よりも法規制でした。航空法ではリスクに応じて飛行形態を4つのレベルに分類しており、レベル1は目視内・手動操縦、レベル2は目視内・自動操縦、レベル3は無人地帯での目視外飛行、レベル4は有人地帯での目視外飛行となっています。
2022年5月のそらいいな事業開始当初はレベル3での運航でした。これは飛行ルート下に第三者がいないことを担保する必要があるため、海や山の上空を迂回して飛び、受取場所も集落から離れた港やグラウンドに限られていました。患者はドローンが荷物を落とした場所まで薬を取りに行く必要があったのです。
2022年12月に改正航空法が施行され、ついにレベル4飛行が解禁されました。レベル4飛行には3つの要素が必須となります。第一に機体認証(第一種)であり、国土交通省が機体の安全性を検査・認証する制度で万が一の墜落時にも人に危害を加えない安全設計が求められます。第二に操縦者技能証明(一等)であり、国家資格としての一等無人航空機操縦士ライセンスが必要です。第三に厳格なリスク評価と運航マニュアルの作成を含む運航管理のルールです。
2024年から2025年にかけて、ANA、豊田通商、ACSLらはこの新制度に基づいたレベル4飛行の実証を行いました。レベル4飛行が可能になったことで、ドローンは海を越えた後に集落の上空を通過し、患者の家の庭先や診療所の入り口、あるいは巡回中のモバイルクリニックのすぐ側に着陸できるようになりました。2025年2月に行われた実証ではACSL製のレベル4対応機を使用し、久賀診療所から奈留島のモバイルクリニックへ処方薬を直接配送するシナリオが検証されました。これにより真の意味での「Door to Door」の即時配送が実現し、患者の移動負担がゼロになる未来が示されています。
運航管理システムと空域の安全確保の仕組み
レベル4環境下では複数のドローンやドクターヘリなどが空域を共有する可能性があります。ANAが開発運用するFMS(Fleet Management System)は高度な安全確保機能を備えています。
デコンフリクション機能は複数の機体の飛行計画を事前に調整し、経路や時間の重複を防ぎます。動態管理機能は全ての機体の位置、高度、速度、バッテリー残量をリアルタイムで監視します。気象情報の統合機能はメトロウェザー等が提供するドップラー・ライダーのデータを統合し、突風や局地的な雨を予測してルート変更を指示します。有人機連携機能はドクターヘリの緊急出動情報が入った場合に即座にドローンを待避させる手順が組み込まれています。
2018年から2019年にかけて行われた五島市での実証実験では、1,000km以上離れた東京から五島列島のドローンを遠隔操作する実験に成功しており、これが現在の運航管理システム構築の基礎となっています。
ANAドローン物流のビジネスモデルと経済的持続可能性
ドローン配送の最大の課題は採算性です。現状では機体コスト、システム維持費、専門オペレーターの人件費を考慮すると配送単価は数千円から数万円レベルになり、通常の宅配便とは比較になりません。そらいいなのモデルでは経済合理性を確保するための工夫が施されています。
B2B契約を基本としており、個人から配送料を取るのではなく医薬品卸会社や医療機関との定期契約ベースで収益を得ています。卸会社にとっては緊急配送のために船をチャーターしたり社員がフェリーで往復する人件費と時間を削減できるメリットがあります。また医薬品は軽量であるため、食品や日用品の配送も同じプラットフォームで行い、機体の稼働率を上げることで固定費を分散させています。
現在のところ実証実験や初期の商用サービスにおいては患者個人への配送料負担は極力抑えられています。五島市の医薬品配送に関しては基本的に医療インフラ維持の観点から、卸業者や自治体の補助によって運営コストが賄われている側面が強いです。将来的に日用品配送が拡大すれば、ネットスーパーと同様に1回500円程度の配送料で利用できるモデルへの移行が想定されています。
空飛ぶクルマとの統合と将来の展望
ANAホールディングスの視線は無人機の物流だけにとどまりません。同社は米国のJoby Aviationと提携し、「空飛ぶクルマ(eVTOL)」の日本導入を進めています。Jobyの機体はパイロット1名と乗客4名を乗せ、最高時速320kmで飛行可能です。
五島市でのドローン物流網は、将来的にこの空飛ぶクルマが離島間の人の移動を担う際の、運航管理インフラや法規制、社会受容性の土台となります。2025年の大阪・関西万博ではANAとJobyによるデモフライトが実施され、五島市で培われたレベル4運航やデジタル空域管理の知見が活用されました。
将来的にはドローンが物を運び、空飛ぶクルマが医師や患者を運ぶ完全なエアモビリティ社会が離島地域の生活を劇的に変えることが期待されています。
五島モデルが示す離島医療の未来
五島市におけるANAおよびパートナー企業の取り組みは、ドローン物流が「未来の技術」から「現在のインフラ」へと転換する歴史的な事例となっています。Ziplineの高速固定翼機による島間動脈物流とACSLのレベル4対応機によるラストワンマイル精密配送の組み合わせは、地理的ハンディキャップを技術で克服する強力なソリューションです。
医学的な安全性検証、航空法改正への適応、そしてビジネスとしての持続可能性の追求は、日本の他の過疎地域のみならず世界中の医療アクセス課題に対する「五島モデル」という一つの解を提示しています。ドローンが空を飛ぶ音が離島の静寂を破る騒音ではなく、「命をつなぐ安心の音」として住民に受け入れられつつある事実こそが、この事業化の最大の成果といえるでしょう。


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