ベトナムのバイク脱ガソリン政策とは、2050年のカーボンニュートラル達成に向けて、ガソリンバイクの走行を段階的に制限・禁止し、電動バイクへの移行を促進する国家戦略です。特に首都ハノイでは2026年7月1日から中心部でガソリンバイクの走行規制が開始される予定であり、2030年までに主要都市機能が集積するほぼ全域で走行禁止となるロードマップが策定されています。人口約1億人に対して7,000万台を超えるバイクが登録されている「バイク大国」ベトナムにおいて、この政策は市民生活や産業構造に甚大な影響を与えるものとして注目を集めています。
この記事では、ベトナム政府が進める脱ガソリン政策の全貌から、市場シェア80%超を誇るホンダへの影響、国産メーカーVinFastの急成長、そして電動化を阻むインフラ問題まで、詳しく解説していきます。

- ベトナムが脱ガソリン政策を推進する背景
- ハノイにおける2030年ガソリンバイク禁止ロードマップの詳細
- ホーチミン市における低排出ガス区域導入計画
- ホンダのベトナム市場における圧倒的シェアと構造的ジレンマ
- 日本政府と業界団体による異例のロビー活動
- ホンダの電動化戦略と競合他社との差
- VinFastの急成長とベトナム電動バイク市場の地殻変動
- VinFastのバッテリーサブスクリプションによる価格戦略
- V-Greenによる15万箇所の充電インフラ整備計画
- 電動化を阻む「ヘム」問題と自宅充電の困難さ
- アパートにおける電動バイク駐車禁止の動き
- バッテリー交換方式への収斂と業界の対応
- 低所得者層とセオム(バイクタクシー)への経済的打撃
- 電動バイクのリセールバリューに対する消費者の不安
- 2030年のベトナムバイク市場はどう変わるか
ベトナムが脱ガソリン政策を推進する背景
ベトナム社会主義共和国は、成人一人当たりほぼ1台という驚異的なバイク普及率を誇る世界有数の「バイク大国」です。ハノイやホーチミンといった大都市の朝夕のラッシュアワーは、内燃機関を搭載したバイクの波で埋め尽くされ、その光景はベトナム経済の活力の象徴となってきました。しかし同時に、これらのバイクから排出される排気ガスは深刻な大気汚染の主因ともなっており、特にハノイではPM2.5の濃度がWHOの推奨基準を頻繁に超過する事態が続いています。
このような状況を受けて、ベトナム政府は2021年のCOP26においてファム・ミン・チン首相が2050年までのネットゼロ排出を宣言し、運輸部門における脱炭素化を国家戦略として位置づけました。この国際公約を具体化するために策定されたのが、2022年7月に承認された「グリーンエネルギー転換および運輸部門における炭素・メタン排出削減に関する行動計画」、通称「決定第876号」です。この決定はベトナムの運輸部門における脱炭素化の基本方針を定めた文書であり、段階的なタイムラインを規定しています。
決定第876号では、まず公共交通機関の転換が先行して進められることになっています。2025年までに新規導入および交換されるバスの100%を電気またはグリーンエネルギー車にすることが義務付けられ、2030年までには電気およびグリーンエネルギーを使用する車両の割合を少なくとも50%に引き上げる目標が設定されています。タクシーについては2030年までに100%の電動化を目指しています。
そして産業界に最も大きな衝撃を与えたのが、2040年までに化石燃料を使用する自動車およびオートバイの製造、組立、輸入を段階的に停止するという方針です。最終的に2050年には道路輸送を含むすべての輸送手段が電気またはグリーンエネルギーに移行し、温室効果ガス排出量実質ゼロを達成するというビジョンが描かれています。
ハノイにおける2030年ガソリンバイク禁止ロードマップの詳細
首都ハノイでは、大気汚染対策として「2030年までの大気質管理計画」が策定され、ガソリンバイクの走行を段階的に制限・禁止する具体的な方針が打ち出されています。この計画は東南アジア諸国の中でも際立って急進的であり、トップダウン型の強力な政治的意思決定に基づいています。
規制は2026年7月1日から試験的に開始される予定です。最初の対象となるのは、ハノイ中心部の歴史的地区やビジネス街を含む「第1環状道路」の内側エリアで、ここには低排出ガス区域(LEZ)が設定されます。対象となるのはホアンキエム区やバーディン区といった政治・経済の中枢エリアであり、ガソリンバイクの進入や走行が時間帯によって、あるいは全面的に制限されることになります。
その後、規制は急速に拡大していきます。2028年には規制エリアが「第2環状道路」まで拡大され、さらに多くの住宅地が含まれるようになります。そして2030年には「第3環状道路」の内側、すなわちハノイの主要な都市機能が集積するほぼ全域において、ガソリンバイクの走行が禁止または厳しく制限される計画です。第3環状道路の内側にはカウザイ区、タインスアン区、ホアンマイ区、ロンビエン区など人口密度の高い主要な区が含まれており、実質的に市民生活の大部分が影響を受けることになります。
このロードマップには車両の年式に応じた排出ガス検査の義務化もセットで組み込まれています。2027年1月1日以降、ハノイおよびホーチミン市のすべてのオートバイは定期的な排出ガス検査を受ける必要があり、基準を満たさない車両は走行が認められなくなります。2008年以前に製造された車両から順次規制対象となり、2026年以降に製造される車両には地域で最も厳しい「レベル4」の排出基準が適用される見込みです。これにより、古いガソリンバイクは物理的に道路から排除される運命にあります。
ホーチミン市における低排出ガス区域導入計画
南部の経済中心地であるホーチミン市でも、ハノイと同様の動きが加速しています。同市建設局および交通運輸局は、2026年から市内中心部およびカンゾー地区において低排出ガス区域(LEZ)を試験導入する計画を提案しています。
ホーチミン市の計画では、2026年から排出基準を満たさないトラックやバス、配送用バイクの進入がまず制限されます。特に注目すべきは、第1区、第3区、第5区、第10区といった中心商業地区が対象エリアとして検討されている点です。2027年から2030年にかけてはすべてのオートバイに対する排出ガス検査が実施され、基準外の車両は市内中心部への乗り入れができなくなります。最終的には2030年以降、第1環状道路の内側全域がLEZとなり、ガソリン車の走行が事実上排除される方向で調整が進んでいます。
ホーチミン市は公共交通機関の電動化も先行させており、2030年までにバスの100%を電気またはクリーンエネルギー車に転換する計画です。これには推定で約7兆5,770億ドン(約3億ドル)の予算が見積もられています。さらにGrabやGojekなどのアプリベースの配車サービスに対しても、2030年までに使用車両を100%電動化するという目標が課されており、ギグワーカーと呼ばれる多くの労働者の生計に直結する大きな変化を強いることになります。
ホンダのベトナム市場における圧倒的シェアと構造的ジレンマ
ベトナムにおいて「ホンダ」という言葉は、しばしば「バイク」そのものを指す普通名詞として使われるほど深く浸透しています。「バイクで行く」ことを「Di Honda(ホンダで行く)」と言うほど、そのブランドは生活の一部となっています。2024年時点でのホンダ・ベトナムの市場シェアは約80.9%に達し、圧倒的な支配力を維持しています。
ホンダ・ベトナムはハノイ近郊のヴィンフック省とハナム省に3つの二輪車工場を持ち、年間250万台以上の生産能力を有しています。2024年の販売台数は214万台を超え、前年比で成長を記録しました。しかしこの巨大な成功こそが、電動化への転換における最大の足枷となっています。
ホンダのビジネスモデルは長年にわたって構築された内燃機関バイクのサプライチェーンと、全国に広がる強固な販売・サービス網に支えられています。エンジン、トランスミッション、マフラー、燃料タンクなど内燃機関特有の部品を製造するサプライヤーは数多く存在し、ホンダ・ベトナムだけで約140社の部品サプライヤーと取引があります。その多くは日系の中小企業や現地のパートナー企業であり、ホンダの生産拠点があるヴィンフック省の経済は事実上ホンダの生産活動に依存しています。
電動バイクはガソリン車に比べて部品点数が約3分の1から半分程度に減少すると言われており、特にエンジン関連の複雑な部品が不要になります。電動化への急激なシフトはこれら内燃機関関連部品の需要を一気に消滅させ、長年築き上げてきたサプライチェーンを崩壊させるリスクを孕んでいます。ホンダにとってEVへの転換は単なる製品ラインナップの変更ではなく、自らを支える産業生態系の破壊と再生を意味するのです。
日本政府と業界団体による異例のロビー活動
ホンダが直面する危機感は、日本政府や業界団体を巻き込んだ異例のロビー活動へと発展しました。2025年後半、在ベトナム日本大使館はベトナム当局に対し書簡を送付し、ハノイ市でのガソリンバイク禁止措置が急激に実施された場合、部品サプライヤーや販売店などの裾野産業に甚大な影響を与え、大量の雇用喪失につながる可能性があると警告しました。
ホンダやヤマハ、スズキなどが加盟するベトナム二輪車製造業者協会(VAMM)もまた、政府に対して強い懸念を表明しています。VAMMは2026年からの規制開始は「あまりにも早すぎる」とし、サプライチェーンの断絶や企業の倒産、さらには数十万人の労働者への波及効果を警告しました。電動化への移行には十分な準備期間が必要であり、急進的な禁止措置ではなく段階的なロードマップの見直しを求めています。
この政策の不確実性はすでにホンダの販売実績に影を落としています。2025年8月、ハノイ市での規制強化が報じられた直後、ホンダのベトナムにおける販売台数は前月比で約22%も急落しました。消費者の間で「今ガソリン車を買っても数年後には乗れなくなるのではないか」という買い控えの心理が働いたことは明らかです。
ホンダの電動化戦略と競合他社との差
ホンダも手をこまねいているわけではありません。グローバルでは2030年までに電動二輪車の販売台数を400万台に引き上げる目標を掲げています。しかしベトナム市場においては、競合他社に比べて電動車の投入が遅れていることは否めません。
2024年末から2025年にかけて、ホンダ・ベトナムはようやく初の電動スクーター「ICON e:」と「CUV e:」を投入しました。ICON e:は学生向けのコンパクトモデルであり、CUV e:は交換式バッテリーを採用したモデルです。しかしこれらのモデルの販売はまだ始まったばかりであり、年間200万台を超えるガソリン車の販売規模と比較すれば微々たるものです。
バッテリー交換ステーションの整備においてもホンダは慎重な姿勢を見せています。競合のVinFastが公共の充電・交換ネットワークを急速に拡大しているのに対し、ホンダのバッテリー交換サービスは当初、ハノイ、ホーチミン、ダナンの主要都市にある一部の正規ディーラー19店舗での限定的な展開に留まっています。これは既存のディーラー網を活用できる強みである一方、ユーザーにとっては「ディーラーの営業時間内にしか交換できない」「場所が限定的である」という不便さにもつながっています。
VinFastの急成長とベトナム電動バイク市場の地殻変動
ホンダが守りの戦いを強いられる一方で、ベトナムの国産メーカーVinFast(ビンファスト)は、政府の脱ガソリン政策を最大の好機と捉え、攻撃的な拡大戦略を展開しています。VinFastは単なる二輪車メーカーではなく、ベトナムのグリーン革命を牽引するナショナル・チャンピオンとしての地位を確立しつつあります。
VinFastの電動バイク販売は爆発的な成長を遂げています。2025年の第3四半期だけで12万台以上の電動二輪車を納入し、前年同期比で489%増という驚異的な成長を記録しました。2025年上半期の時点でVinFastはベトナムの電動二輪車市場において圧倒的なシェアを占めており、ガソリン車を含めた市場全体でもホンダ、ヤマハに次ぐ第3位のポジションを固めつつあります。電動二輪車市場におけるVinFastのシェアは43%を超え、2位のPega(16%)、3位のYadea(9%)を大きく引き離しています。
この成長を支えているのは政府の方針に呼応した巧みなマーケティングと、実用性を重視した製品ラインナップです。VinFastは「Klara」「Feliz」「Evo 200」「Vento」「Theon」といったエントリーモデルからハイエンドまで多様なモデルを展開し、学生から会社員、主婦層まで幅広いターゲットをカバーしています。
VinFastのバッテリーサブスクリプションによる価格戦略
VinFastが市場を席巻する最大の武器は、独自の「バッテリーサブスクリプション(レンタル)」モデルです。電気自動車と同様に、電動バイクにおいても車両本体価格から高価なバッテリー価格を切り離し、バッテリーを月額制で貸し出す方式を採用しています。これにより車両の初期購入費用を大幅に引き下げることに成功しました。
VinFastの人気モデル「Evo 200」はバッテリーサブスクリプションを利用することで、車両価格を約2,200万ドン(約13万円)に抑えています。これに対し競合するホンダのガソリンスクーター「Vision」の実勢価格は3,000万ドンを超えることもあり、初期費用でVinFastが優位に立っています。
ランニングコストの比較においてもVinFastは強力なアピールを行っています。VinFastの試算によればバッテリーの月額サブスクリプション費用(走行距離に応じ約20万〜35万ドン)と電気代を合わせても、同クラスのガソリン車が消費するガソリン代よりも安価になるとしています。月間走行距離によってはガソリン代の半額程度で済むケースもあり、燃料価格が高騰する中で消費者にとって強力なインセンティブとなっています。
このサブスクリプションモデルはユーザーが抱える「バッテリーの劣化」や「交換コスト」への不安を解消する効果もあります。バッテリーの性能が規定(例えば70%)以下に低下した場合、メーカーが無料で交換するため、ユーザーは常に良好な状態のバッテリーを使用できるという安心感があります。
V-Greenによる15万箇所の充電インフラ整備計画
インフラ面でもVinFastは他社を圧倒しています。VinFastの親会社であるビングループは、充電インフラ開発専門の新会社「V-Green」を設立し、今後数年間で約140億ドルを投じて全国に充電ネットワークを整備する計画を推進しています。
V-Greenは全国に15万箇所の充電ポートおよびバッテリー交換ステーションを設置する計画を進行中です。特に注目すべきは2025年後半から開始されたバッテリー交換ステーションの急速な展開です。VinFastは新型のバッテリー交換対応モデルの投入に合わせて、全国のFPTショップ(大手家電量販店)やガソリンスタンド、コンビニエンスストアなどと提携し、交換キャビネットの設置を進めています。
このネットワークによりユーザーは充電時間を待つことなく、わずか数分で満充電のバッテリーに交換することが可能になります。充電インフラが未整備なベトナムにおいて、この「待たない」利便性は電動バイク普及の決定的な鍵となると見られています。
電動化を阻む「ヘム」問題と自宅充電の困難さ
政府の野心的な目標とメーカーの競争にもかかわらず、現場レベルでは電動化への移行を阻む物理的・社会的な障壁が依然として高くそびえ立っています。その中心にあるのがベトナム特有の都市構造とインフラの未熟さです。
ハノイやホーチミン市の住宅事情は電動化にとって極めて不利な構造をしています。多くの市民は「ヘム(Hem)」と呼ばれる、車が入れないほど狭く入り組んだ路地の奥にある細長い多層住宅に住んでいます。これらの住宅には専用のガレージがないことが多く、バイクは1階の居間や狭い玄関スペースに詰め込まれるのが一般的です。
このような環境では自宅で安全にバイクを充電することは極めて困難です。延長コードを路上まで引いたり、重いバッテリーを取り外して階段を持って上がり室内で充電したりする必要がありますが、これは火災リスクを劇的に高める要因となります。特に消防車が進入できない幅2〜3メートルの狭い路地での電気火災は、一度発生すれば周囲の住宅を巻き込む大惨事につながる危険性が高く、市民の間にはリチウムイオンバッテリーに対する根強い恐怖感が存在します。
アパートにおける電動バイク駐車禁止の動き
火災リスクへの懸念から、ハノイ市内の多くのアパートやマンション(特に「ミニ・アパート」と呼ばれる個人経営の集合住宅)では、地下駐車場への電動バイクの駐車や充電を一律に禁止する動きが広がっています。2023年にハノイで発生した悲惨なアパート火災以降、管理組合の対応は過敏になっています。
ハノイのHHリンダム団地などでは管理組合が電動バイクの地下駐車を禁止し、住民との間で深刻な対立が生じています。EV所有者は「屋外に駐車すれば雨ざらしになり、盗難のリスクもある」と反発していますが、ガソリン車所有者は「地下の閉鎖空間でのバッテリー発火は建物全体を危険に晒す」として譲りません。このような草の根レベルでの「EV排除」の動きは政府の普及政策と真っ向から対立するものであり、集合住宅に住む中間層が電動バイクの購入を躊躇する最大の要因の一つとなっています。
バッテリー交換方式への収斂と業界の対応
「充電場所がない」「火災が怖い」という問題を解決する唯一の現実的な解として注目されているのがバッテリー交換(バッテリー・スワッピング)方式です。ユーザーは自宅で充電するリスクを負わず、街中のステーションで安全に管理されたバッテリーを受け取るだけで済みます。
この分野ではVinFastだけでなく、スタートアップのSelex Motors(セレックス・モーターズ)も存在感を示しています。SelexはGrabやLazadaなどの配送ドライバー向けに特化したB2Bのバッテリー交換ネットワークを構築しています。彼らのシステムは「バッテリーATM」と呼ばれ、2分以内で交換が可能であり、すでにハノイ、ホーチミン、ダナンで100箇所以上のステーションを稼働させています。
一方、日本のホンダ、ヤマハ、欧州のピアッジオ、KTMの大手4社も「交換式バッテリーコンソーシアム(SBMC)」を結成しており、将来的にはメーカーの枠を超えた共通バッテリーの普及を目指しています。しかし現時点ではベトナム市場において各社の規格は統一されておらず、VinFastが独自の規格でインフラを先行して押さえているため、市場におけるデファクトスタンダード(事実上の標準)争いの様相も呈しています。
また電力網への負荷も無視できない問題です。世界銀行の試算によればEV化の目標を達成するためには、2045年から2050年の間に送電網の容量を大幅に増強する必要があります。特に夕方の帰宅時間帯に数百万台のバイクが一斉に充電を開始した場合、局所的な停電が発生するリスクがあります。ベトナム北部は夏季に電力不足に陥ることがあり、安定した電力供給がEV普及の前提条件となります。
低所得者層とセオム(バイクタクシー)への経済的打撃
2030年に向けた脱ガソリンの道のりは、単なる技術的な移行にとどまらずベトナム社会全体に痛みと変革をもたらします。最も懸念されるのは低所得者層やギグワーカーへの影響です。
ハノイやホーチミン市では数百万人がバイクを使った配車サービス(セオム)や配送業務で生計を立てています。彼らにとってバイクは単なる移動手段ではなく「商売道具」です。政府や自治体は電動バイクへの買い替え補助金を検討しており、ホーチミン市では電動バイクへの乗り換えに対し1台あたり数万円相当の補助金を出す案が浮上しています。
しかし新品の電動バイクを購入することは、月収数百ドルの労働者にとって極めて重い負担です。現在彼らが使用している古いガソリンバイクは規制によって中古市場での価値が暴落する恐れがあり、下取りに出して資金を作ることも難しくなります。これにより多くの労働者が都市部での生計手段を失う、あるいは「違法車両」で営業を続けざるを得なくなるリスクが指摘されています。
電動バイクのリセールバリューに対する消費者の不安
消費者の間では電動バイクの「リセールバリュー(再販価値)」に対する不安も広がっています。ベトナムではホンダの「Vision」や「Air Blade」、「SH」といった人気モデルは資産としての価値が高く、数年乗っても購入価格に近い値段で売れることが珍しくありませんでした。これは「ホンダなら壊れない、高く売れる」という神話に支えられてきました。
しかし電動バイクはバッテリーの劣化により数年で価値が激減するという認識が一般的です。VinFastの中古車価格は新車価格に比べて下落率が高いケースが報告されており、これが消費者の購買意欲を削ぐ要因となっています。VinFastはこれに対抗するため一定期間後の「買い取り保証」プログラムを導入するなどして不安の払拭に努めていますが、消費者の「所有」に対する意識を変えるには時間がかかると予想されます。
2030年のベトナムバイク市場はどう変わるか
2030年までにハノイやホーチミン市の中心部からガソリンバイクが完全に消えるかどうかは現時点では不透明です。インフラの整備状況や電力供給の安定性、そして市民の経済状況を考慮すれば、規制の完全実施は延期されたり適用範囲が緩和されたりする可能性も十分にあります。ハノイ市当局も完全な禁止ではなく、時間帯による制限や十分な公共交通機関がある地域に限定した規制を示唆するなど、現実的な落としどころを探っています。
しかし流れは不可逆的です。ホンダのシェアがかつての90%超から徐々に低下し、VinFastやYadeaなどのEVメーカーが20〜30%のシェアを握る「多極化」した市場構造へと移行することは確実でしょう。調査によるとハノイとホーチミン市の消費者の54%が「次は電動バイクを買いたい」と回答しており、消費者の意識変容はすでに始まっています。
ホンダにとっては既存のサプライチェーンと雇用を守りながら、いかにスピーディーに電動化へ舵を切れるかが今後10年の生存をかけた最大の試練となります。もし対応が遅れれば、かつて携帯電話市場でノキアがスマートフォンへの移行に失敗したように、二輪車王国の王座から転落するシナリオも現実味を帯びてきます。
ベトナムの脱ガソリン革命は単なる一国の政策変更にとどまらず、新興国におけるモビリティの未来を占う巨大な実験場となっています。2026年7月から始まる規制の実施状況と各メーカーの戦略から目が離せません。


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