精神障害者保健福祉手帳の所持者数は、令和6年度(2024年度)に154万7,433人に達しました。この数字は前年度比で約11万人、率にして7.6%という急激な増加を示しており、5年連続で増加トレンドを更新しています。日本の総人口が減少局面にある中でこれほど精神手帳所持者が増え続けている背景には、2018年の精神障害者雇用義務化をはじめとする労働法制の大転換、発達障害の診断基準の変化、そして社会全体における精神障害への認識の変容といった複合的な要因が絡み合っています。この記事では、精神障害者保健福祉手帳所持者数154万人到達の意味を多角的に分析し、なぜこれほどまでに手帳取得者が増えているのか、その推移と増加要因、そして社会的背景について詳しく解説していきます。

精神障害者保健福祉手帳とは何か
精神障害者保健福祉手帳は、精神障害者の自立と社会参加の促進を目的として、1995年(平成7年)の精神保健福祉法改正により創設された制度です。身体障害者手帳が1949年、療育手帳(知的障害者向け)が1973年に制度化されたのに対し、精神手帳の歴史は比較的浅いものとなっています。しかし、税制上の優遇措置や生活保護の障害者加算、そして障害者雇用枠での就労資格証明としての機能を持つことから、その重要性は年々高まっています。
手帳の等級は1級から3級に区分されています。1級は「日常生活の用を弁ずることが不能」な程度、2級は「日常生活が著しい制限を受ける」程度、3級は「日常生活若しくは社会生活が制限を受ける」程度と定義されています。この等級ごとの内訳の変化が、近年の手帳所持者増加の質的な背景を読み解く重要な鍵となっています。
精神障害者保健福祉手帳所持者数の長期的推移
精神手帳所持者数がどのように推移してきたのかを、過去15年以上にわたるデータから振り返ります。数字の変遷を追うことで、増加がどの時点で加速したのかが明確に見えてきます。
2010年代前半の緩やかな増加期
2010年代の初頭、精神手帳の所持者数はまだ現在の半分以下の水準にありました。厚生労働省の衛生行政報告例によると、平成22年(2010年)度末時点での所持者数は59万4,504人でした。当時の社会状況としては、精神障害者雇用はまだ義務化されておらず、手帳取得のメリットが限定的であったことが背景にあります。
その後の増加ペースは着実なものでした。平成24年(2012年)度には69万5,699人となり、2年間で約10万人の増加を記録しています。さらに平成26年(2014年)度には80万3,653人に達し、前年度比で7.0%の増加を見せました。この時期、すでに年間5〜7%程度の増加率が定着し始めており、精神医療へのアクセス向上や、うつ病に関する啓発活動が影響し始めたと考えられます。
100万人を突破した2010年代後半
増加の第一の転換点となったのは、所持者が100万人を突破した2010年代後半です。平成27年(2015年)度には86万3,649人、平成28年(2016年)度には92万1,022人と推移し、平成29年(2017年)度には99万1,816人と100万人に肉薄しました。
そして平成30年(2018年)度、ついに所持者数は106万2,700人となり、100万人の大台を超えました。この2018年は、精神障害者の雇用義務化が施行された記念碑的な年であり、この前後の伸び率は明らかに制度改正の影響を受けています。
2020年代の急加速と154万人到達
2020年代に入ると、増加のペースはさらに加速しました。令和元年(2019年)度には113万5,450人、令和2年(2020年)度には118万269人、令和3年(2021年)度には126万3,460人へと急伸しました。
特筆すべきは直近の動向です。令和4年(2022年)度には134万5,468人で前年比6.5%増、令和5年(2023年)度には144万8,917人で前年比7.7%増と推移し、そして令和6年(2024年)度報告において、154万7,433人に達しました。この1年間での増加数10万9,340人という数字は、地方の中核市の人口規模に匹敵する人々が、新たに精神障害者としての公的認定を受けたことを意味しています。
人口10万人当たりの所持者数で見ても、平成27年度の679.5人から、令和元年度の900.0人、そして令和6年度には1,249.9人へと、約10年間で倍増に近い水準まで密度が高まりました。これは、精神障害がもはや「稀な疾患」ではなく、社会のあらゆる場所に存在する極めて一般的な事象となったことを統計的に証明しています。
等級別推移から見える「3級の急増」という特徴
所持者数の総量だけでなく、その等級別の内訳にも重要な特徴が表れています。
2級が最多を占める現状
令和6年度データにおいて、等級別の内訳を見ると、最も多いのは2級で89万7,292人です。これは所持者全体の約58%を占めており、精神手帳制度の中心的な層となっています。2級は「日常生活に著しい制限を受ける」状態とされ、就労に際しても一定の配慮や支援が必要な層です。2010年時点でも2級は36万8,041人で全体の約62%を占めており、比率としてはやや低下傾向にあるものの、依然として最大勢力であることに変わりはありません。
3級の爆発的な増加が意味するもの
最も注目すべき変化は、3級所持者の急増です。令和6年度の3級所持者数は51万735人となり、前年度比で10.0%という驚異的な伸び率を記録しました。1級の増加率が1.9%、2級が7.2%であることと比較すると、3級の伸びは突出しています。
平成22年(2010年)度時点での3級所持者は13万2,555人に過ぎませんでした。つまり、この約14年間で3級所持者は約3.9倍に膨れ上がったことになります。これに対し、同期間の1級は約1.5倍、2級は約2.4倍の増加に留まっています。
この「3級の急増」は、従来であれば障害者手帳の取得に至らなかったような軽度の精神疾患や発達障害の人々が、就労支援や合理的配慮を求めて手帳を取得するようになったことを強く示唆しています。彼らは「働けない」わけではなく、「適切な環境があれば働ける」層であり、この層の労働市場への参入が、手帳取得者数の底上げを牽引しているのです。
精神障害者保健福祉手帳所持者数の増加要因:障害者雇用制度の大転換
精神手帳所持者が急増している背景には、個人の病状の変化以上に、社会制度、特に労働市場における「障害者雇用」の枠組みの変化が大きく影響しています。
2018年「精神障害者雇用義務化」という歴史的転換点
日本の障害者雇用政策において、2018年(平成30年)4月は歴史的な転換点でした。それまで、障害者雇用促進法に基づく法定雇用率の算定基礎に含まれていたのは、身体障害者と知的障害者のみでした。精神障害者の雇用については、企業に対する義務ではなく、あくまで努力義務や特例的な扱いに留まっていたのです。
しかし、2018年の改正法施行により、精神障害者が正式に法定雇用率の算定基礎に加えられ、企業には身体・知的と同様に精神障害者を雇用する法的義務が課されることになりました。この制度改正は、企業の採用行動を一変させました。企業は法定雇用率を達成するために、新たな採用ターゲットとして精神障害者に注目せざるを得なくなり、ハローワーク等の求人において精神障害者を対象とした求人が急増し、就職件数も飛躍的に伸びました。
当事者にとって、これは「手帳を取得する強力なインセンティブ」となりました。一般枠での就労に困難を感じていた人々が、障害者雇用枠での就職を目指すためには、精神手帳の所持が必須条件となるからです。これまで診断を受けつつも手帳申請をためらっていた人々が、就職活動のために手帳を取得する動きが、2018年前後から顕著になっています。
法定雇用率の段階的引き上げが企業の採用戦略を変えた
雇用義務化に加え、企業に課される法定雇用率の目標値自体が段階的に引き上げられてきたことも、手帳取得を後押ししています。法定雇用率は2013年に2.0%、2018年に2.2%(精神障害者の義務化開始)、2021年に2.3%、そして2024年4月には2.5%へと引き上げられました。さらに2026年7月には2.7%への引き上げが予定されています。
一方で、身体障害者の雇用市場は、新規の手帳取得者が減少傾向にあることや、既存の雇用者の高齢化により、人材不足(売り手市場)の状態にあります。企業が上昇し続ける法定雇用率を達成するためには、相対的に若年層が多く、就労意欲の高い精神障害者および発達障害者の採用に頼らざるを得ない構造があるのです。
2024年時点での雇用者数の対前年増加率を見ると、身体障害者がプラス2.4%、知的障害者がプラス4.0%であるのに対し、精神障害者はプラス15.7%と圧倒的な伸びを示しています。この労働需要の急増が、供給側である当事者の手帳取得を強力に牽引しています。
2024年施行「週10時間以上20時間未満」の算定特例がもたらす影響
2024年4月の制度改正が、精神手帳の取得に新たな拍車をかけています。それが「特定短時間労働者の雇用率算定特例」です。
これまで、週20時間未満の労働契約は、障害者雇用率のカウント対象外でした。しかし、精神障害や発達障害の特性として、長時間勤務による疲労やストレス耐性の問題から、フルタイム勤務が難しいケースが少なくありません。今回の改正により、週所定労働時間が10時間以上20時間未満であっても、精神障害者(および重度身体・重度知的障害者)については「0.5人分」として実雇用率に算定できることになりました。
この変更は、当事者と企業の双方に大きなメリットをもたらしています。当事者側にとっては、「週20時間の壁」により就労をあきらめていた層や、無理をして長時間働き体調を崩していた層が、「週数日の短時間勤務」という新しい働き方で社会参加できるようになりました。この働き方を選択するために、新たに手帳を取得する人が増えています。企業側にとっても、フルタイム勤務が難しい人材を雇用率算定の対象とできるため、採用のハードルが下がり、より柔軟な人材活用が可能になりました。
この制度変更は、特に体力や精神力に不安を持つ潜在的な精神障害者の掘り起こしにつながっており、今後の3級所持者数のさらなる増加要因になると予測されます。
精神障害者保健福祉手帳所持者数の増加要因:医療・診断基準の変化と「大人の発達障害」
雇用という「出口」の変化に加え、医療という「入り口」における変化も、手帳取得者増加の大きな要因です。
DSM-5の導入がもたらした診断の変化
2013年、アメリカ精神医学会が診断基準「DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)」を発表し、日本でもこの基準に基づく診断が一般化しました。DSM-5の最大の特徴は、自閉症などを明確に区分されたカテゴリーとしてではなく、連続体としての「自閉スペクトラム症(ASD)」として捉える概念を導入したことです。また、ADHD(注意欠如・多動症)の診断に関しても、成人期の発症や診断をより考慮した基準へと見直されました。
これにより、従来であれば「個性的」「少し変わった性格」として診断の対象外となっていた軽度のケースや、知的障害を伴わない発達障害の人々に対し、医学的な診断が下りやすくなりました。診断がつくことは、すなわち精神手帳の取得申請が可能になることを意味します。医師の間でも、早期の支援や就労配慮につなげるために、診断と同時に手帳取得を推奨するケースが増えています。
「大人の発達障害」への認識の広がり
2010年代以降、テレビ、書籍、インターネット、SNSなどのメディアを通じて「大人の発達障害」に関する情報が爆発的に普及しました。「片付けができない」「ケアレスミスが多い」「場の空気が読めない」といった具体的な特性がチェックリストとして共有されることで、職場や家庭での生きづらさを抱えていた多くの成人が、「自分の苦しみの原因はこれだったのか」と気づく契機となりました。
かつては、幼少期に診断されなかった発達障害者は、社会に出た後に適応障害やうつ病などの「二次障害」を発症し、その治療過程で初めて発達障害が発覚するケースが主でした。しかし現在では、自ら発達障害外来を受診し、確定診断を求める動きが活発化しています。
企業に雇用されている発達障害者のうち、精神手帳を所持してその事実を確認されている割合は81.7%に達しており、前回調査の68.9%から大幅に上昇しています。これは、発達障害と診断された人々が、手帳を「自分の特性を守るためのツール」として積極的に取得・活用している実態を表しています。
産業構造の変化が発達障害の顕在化を促した
なぜ今、これほどまでに発達障害の診断が増えているのでしょうか。その背景には、産業構造の変化と職場環境の高度化があります。製造業中心の定型的な業務から、サービス業やIT産業など、高度なコミュニケーション能力や臨機応変な対応、マルチタスク処理が求められる業務へと産業構造がシフトしました。
かつては「職人気質」として許容されていたこだわりや対人スキルの低さが、現代の効率性重視・チームワーク重視の職場環境では「不適応」として顕在化しやすくなっています。職場での不適応がストレスとなり、メンタルヘルスの不調を訴えて受診し、結果として発達障害の診断と手帳取得に至るというサイクルが、現代社会において確立してしまっているのです。
精神障害者保健福祉手帳を取得するメリット
精神手帳の所持者数増加は、手帳を持つことのメリットがデメリット(偏見やスティグマ)を上回りつつあることの証左でもあります。具体的なメリットの実態を見ていきましょう。
税制上の優遇措置による経済的負担の軽減
手帳を取得する最大の動機の一つは、経済的な負担軽減です。所得税において、本人または扶養者が障害者である場合、障害者控除として27万円(特別障害者は40万円)が受けられます。住民税においても同様の控除(26万円など)があり、年収によっては数万円から十数万円単位の手取り増につながります。
また、相続税の障害者控除や、贈与税の非課税枠の特例(6,000万円または3,000万円まで)など、資産継承に関するメリットも大きく、親が子の将来を案じて手帳取得を促すケースもあります。自動車税や自動車取得税の減免措置も自治体や等級によって設けられており、地方部において自動車が生活必需品である家庭にとっては大きな助けとなっています。
日常生活におけるさまざまなコスト削減
生活費に直結する割引制度も充実しています。NHK受信料については、世帯主が契約者で、かつ世帯構成員に手帳所持者がおり、世帯全員が市町村民税非課税の場合など、条件を満たせば全額または半額免除となります。携帯電話料金についても、大手キャリア各社は障害者手帳所持者向けの割引プランを提供しており、基本料金や通話料の割引が受けられます。
公共施設やレジャー施設においても、美術館、博物館、動物園、映画館などの入場料が本人および介助者1名まで割引または無料になるケースが多く、外出の機会を促すインセンティブとなっています。
交通費割引の拡大と歴史的経緯
交通費の割引に関しては、身体障害者手帳や療育手帳と比較して精神手帳は長らく「冷遇」されてきた歴史があります。JR各社は長年、精神障害者への運賃割引を導入していませんでした。しかし、2025年4月から精神障害者保健福祉手帳所持者(第1種および第2種)を対象とした運賃割引制度が導入されました。
これに先立ち、多くの私鉄や公営交通(例:東京都営地下鉄、バス)では独自に割引を実施してきましたが、地域によって対応はまちまちでした。総じて交通機関の割引適用範囲は拡大傾向にあり、これが社会参加のコストを下げる要因となっています。
合理的配慮を求める際の根拠資料として
2024年4月の障害者差別解消法改正により、民間事業者による「合理的配慮の提供」が義務化されました。職場や店舗などで、障害特性に応じた配慮(例:筆談での対応、休憩時間の調整、座席位置の配慮など)を求める際、手帳はその必要性を客観的に証明する強力なツールとなります。
「甘え」や「わがまま」と誤解されがちな精神障害や発達障害の特性について、手帳を提示することで「配慮が必要な障害である」という共通認識をスムーズに形成できる点は、心理的な安心感につながっています。
精神障害者保健福祉手帳所持者数増加の社会的背景
精神手帳所持者が154万人に達した背景には、制度面の変化だけでなく、社会全体の意識変容も大きく関係しています。
スティグマからの脱却と意識の変化
かつて精神障害は「隠すべきもの」であり、手帳を持つことはスティグマ(烙印)と捉えられがちでした。しかし、雇用義務化による就労チャンスの拡大や、著名人による発達障害の公表などを通じて、その意識は劇的に変化しつつあります。手帳は「負のレッテル」ではなく、「自分らしく生きるための権利証」としての性格を強めています。
「隠す」から「公表して生きる」時代へ
精神障害や発達障害を公表することで、むしろ周囲の理解や配慮を得やすくなるという認識が広がっています。特に職場においては、手帳を所持していることを開示した上で障害者雇用枠で働くことにより、業務内容や勤務時間の調整といった合理的配慮を受けやすくなります。この「オープン就労」を選択する人が増えていることが、手帳取得者数の増加に直結しています。
今後の展望:154万人の先に見えるもの
手帳所持者数は今後も増加し続けるのでしょうか。そして、拡大する精神障害者層を社会はどう支えていくべきなのでしょうか。
さらなる増加の可能性
現在の154万人という数字は巨大ですが、推計される精神障害者総数(約420万人〜600万人超とも言われる)と比較すると、手帳所持率は依然として20%〜30%程度に留まっています。特に、高齢化に伴う認知症患者の増加や、いまだ受診に至っていない潜在的な発達障害者の存在を考慮すると、手帳所持者数が200万人、300万人へと増加していく可能性は十分にあります。
支援制度の持続可能性という課題
手帳所持者の急増は、当然ながら税収の減少(控除による)や福祉予算の増大を意味します。また、企業の法定雇用率達成が難化する中で、形式的な数合わせの採用や、職場定着の課題も浮き彫りになってくるでしょう。「手帳を持っているから支援する」という従来の枠組みだけでなく、手帳の有無にかかわらず、生きづらさを抱える人が必要なサポートを受けられる社会システムの構築が、次のフェーズの課題となります。
まとめ:精神障害者保健福祉手帳所持者154万人が映し出す社会の変化
精神障害者保健福祉手帳所持者数が154万人に達したというニュースは、単なる「患者増」の報告ではありません。これは「働き方の多様化」「診断技術の進化」「権利意識の向上」という3つのベクトルが交差した結果としての社会現象です。
3級所持者の急増は、「重い病気の人」だけでなく、「働きながらサポートを必要とする人々」が増えていることを示しています。彼らは一般就労に困難を感じながらも、適切な環境と配慮があれば能力を発揮できる層です。2018年の雇用義務化、法定雇用率の段階的引き上げ、2024年の短時間労働者算定特例といった制度改正が、この層の可視化と社会参加を後押ししています。
また、「大人の発達障害」の認知拡大は、これまで診断を受けずに生きづらさを抱えていた人々に、自己理解と適切な支援へのアクセスをもたらしました。産業構造の変化により、コミュニケーション能力やマルチタスク処理が求められる現代社会において、発達障害の特性が顕在化しやすくなっていることも、診断および手帳取得の増加につながっています。
この154万人という数字は、日本社会が多様な精神のあり方を受け入れ、包摂しようともがきながら前進している過程の表れと言えるでしょう。今後も所持者数の増加が予測される中、手帳取得のメリットを正しく理解し、必要とする人が適切に制度を活用できる社会の実現が求められています。

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