育休もらい逃げの企業対策は、定着手当(復職後6ヶ月以上勤務で支給するインセンティブ)の導入と職場環境の整備を両輪で進めることが最も効果的です。給付金の返還請求や違約金設定などの懲罰的措置は法的に無効であり、かえって企業イメージを損なうリスクがあります。就業規則には「職場復帰支援手当」の規定を新設し、助成金を活用しながら、従業員が「辞めない理由」と「戻りたくなる職場」の両方を整えることが防止策の本質となります。
育休もらい逃げとは、育児休業給付金の受給や社会保険料免除といった経済的支援を最大限に活用した後、職場復帰の直前または直後に退職することを指します。企業にとっては代替要員の確保や業務調整に投資したにもかかわらず、その投資が回収できないまま人材を失う深刻な問題です。特に中小企業では、1名の離職が事業継続に与える影響は甚大であり、若手社員1名が早期離職した場合の損失額は、採用費や教育費、逸失利益を含めると数百万円から1,000万円近くに上るとも言われています。
本記事では、育休もらい逃げを防ぐために企業が講じるべき対策と防止策について、法的観点からの注意点、就業規則の具体的な整備方法、そして従業員の定着を促すマネジメント手法まで網羅的に解説します。

「育休もらい逃げ」という言葉の法的誤解と実態
育休もらい逃げという言葉には、法的な誤解が含まれていることを最初に理解する必要があります。一般に「育休手当」と呼ばれる育児休業給付金は、雇用保険制度から支給される公的給付であり、その原資は労使が負担した雇用保険料と国庫負担によって賄われています。会社を経由して申請が行われることが多いため「会社からのお金」と誤解されがちですが、実際には会社のお財布から支出されるものではありません。
受給資格を満たした従業員が、法の定める権利を行使して給付金を受給すること自体は正当な行為です。結果的に退職を選択したとしても、法的な意味での「不正受給」にはあたりません。不正受給となるのは、当初から復職する意思が全くないにもかかわらずそれを隠して育休を取得した場合や、育休中に他社で常態的に就労していた場合などに限られます。しかし、人の内心である復職意思の有無を事後的に証明することは極めて困難であり、復職直前の退職をもって不正受給と認定させることはほぼ不可能です。
企業にとっての実質的なダメージは、給付金そのものではなく、採用コスト、教育コスト、代替要員の派遣費用、そして現場の士気低下といった「埋没費用」として現れます。したがって、企業が講じるべき対策は、「辞めさせないための懲罰的な縛り」ではなく、「辞める理由を極小化するための環境整備」と「復帰したくなるインセンティブ設計」の二軸でなければなりません。
企業がやってはいけない育休もらい逃げ対策
育休もらい逃げ対策を検討する際、まず「何をやってはいけないか」という法的制約を明確に理解する必要があります。感情的な対応は、コンプライアンス違反のみならず、企業イメージの毀損や損害賠償請求というさらなるリスクを招きます。
育児休業給付金の返還請求は法的に不可能
企業が最も陥りやすい法的な落とし穴は、退職する従業員に対して「育休中に受け取った給付金を返せ」と迫ることです。育児休業給付金は、ハローワークから従業員個人へ直接支給される生活保障的な性格を持つ給付であるため、会社が従業員に対して返還を求める権利そのものが存在しません。また、雇用保険法上も、結果的に退職することになった場合でも、受給した給付金を国に返す必要はないと解釈されています。
唯一の例外として、育休開始時点で「すでに退職が決まっていた」場合や「雇用契約の更新がないことが確定していた」場合は、そもそも育児休業の取得要件を満たさないため、給付金の支給対象外となります。しかし、育休に入った後で「育児と仕事の両立が難しい」と判断して退職を決意した場合は、事情変更として扱われ、受給済みの給付金は返還不要です。
違約金設定や損害賠償請求も違法となる
「復帰後1年以内に辞めたら違約金を払う」「育休中の社会保険料会社負担分を返せ」といった念書を書かせたり、就業規則に規定したりすることは、労働基準法第16条の「賠償予定の禁止」に明確に違反します。労働基準法第16条は、「使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない」と定めており、これは労働者が不当に足止めされることを防ぐための強力な規定です。
理論上、従業員の急な退職や引き継ぎ放棄によって会社に具体的かつ多大な損害が発生した場合、民法上の不法行為や債務不履行に基づく損害賠償請求を検討する余地はゼロではありません。しかし、日本の法律では「退職の自由」が強く保障されており、単に「引き継ぎが不十分だった」「代替要員コストがかかった」程度の理由で損害賠償が認められる可能性は極めて低いです。むしろ、会社側が「辞めるなら金を払え」と脅したという事実が広まれば、ブラック企業として社会的制裁を受け、今後の採用活動に致命的な影響を及ぼすでしょう。
復職拒否や不利益取扱いも厳禁
逆に、会社側が感情的になり「もう戻る席はない」「パートになれ」と言って退職を促すことも極めて危険です。育児・介護休業法は、育休取得を理由とした解雇や不利益取扱いを厳しく禁じています。厚生労働省の指針では、育休後の復帰先は「原職または原職相当職」とされており、本人の同意なく正社員から契約社員やパートへの転換を強要したり、通勤困難な遠隔地へ転勤させたりすることは「不利益取扱い」として違法となります。
従業員が復帰直後に退職する理由を理解する
効果的な防止策を講じるには、まず原因を深く理解する必要があります。企業側から見れば「もらい逃げ」と映る行動の裏には、従業員なりの切実な事情や、企業側が見落としている組織的な構造欠陥が存在します。
保育園問題という物理的な壁
最も物理的かつ不可避な理由は、認可保育園に入れない「待機児童」問題です。特に0歳児、1歳児クラスの入園競争は都市部を中心に依然として激戦であり、復職したくても預け先がない場合、育休を延長するか退職せざるを得ません。また、運良く入園できたとしても、保育園の送迎時間に間に合わせるための時短勤務が認められない、あるいは子供の発熱時の呼び出しに対応できるサポート体制がないといった物理的な制約が、復職の壁となります。さらに、子供が小学生になった際の「小1の壁」も見据え、長期的な就労継続が困難と判断するケースもあります。
マミートラックによるキャリアへの絶望
意欲ある社員ほど陥りやすいのが、復帰後のキャリアパスが見えなくなることへの絶望です。「時短勤務だから」という理由だけで、一律に責任ある仕事から外され、補助的な業務や単純作業ばかりを割り振られる状況は少なくありません。企業側はこれを「配慮」と呼ぶかもしれませんが、受け取る側にとっては「マミートラック」であり、「会社に期待されていない」「ここにいても成長できない」という強烈なメッセージとなります。結果として、「やりがいを求めて転職する」あるいは「この程度の仕事なら、無理して働かずに家庭に入る」という選択につながります。
職場環境とハラスメントの影響
上司や同僚の何気ない一言が、退職の決定的な引き金になります。「また子供が熱出したの?」「早く帰れていいね」「男のくせに育休なんて」といった言葉は、育児中の従業員に深い傷と罪悪感を植え付けます。特に、男性育休取得者に対するパタニティ・ハラスメントや、時短勤務者への風当たりの強さは、復職意欲を急速に冷却させます。「迷惑をかけている」と感じ続ける職場に、長く留まりたいと思う人間はいません。職場復帰後の退職理由ランキングでも、「職場の理解不足」や「人間関係」は常に上位を占めています。
価値観の変容というライフシフト
出産・育児を経て、人生の優先順位が劇的に変わることは自然なことです。「仕事よりも子供との時間を優先したい」という気持ちの変化、あるいは「もっと柔軟に働ける場所に行きたい」という欲求の変化は、個人の権利として尊重されるべきものです。また、復職して働いてみたものの、「職場にも子供にも中途半端で申し訳ない」という罪悪感に押しつぶされ、精神的な限界を迎えて退職を選ぶケースも少なくありません。
育休もらい逃げ防止策:育休前の対策
法的強制力が使えない以上、企業がとれる対策は「エンゲージメントの向上」と「制度によるインセンティブ設計」に集約されます。まずは育休に入る前の段階での対策を解説します。
復職支援プランの策定と面談の実施
厚生労働省が推奨する「育休復帰支援プラン」を活用し、必ず面談を行います。ここで重要なのは、事務的な手続きの説明に終始せず、「会社はあなたに戻ってきてほしい」「あなたのキャリアをこう考えている」というメッセージを明確に伝えることです。
面談では、復職の意思確認として「育休取得は復職が前提の制度ですが、現時点で復職に対する不安や懸念点はありますか?」と質問し、建前ではなく本音の不安を早期にキャッチします。キャリアの展望については「復職後は、将来的には〇〇のプロジェクトに関わってもらいたいと考えています。そのために休業中はこのスキルを維持しておいてほしいです」と伝え、マミートラックへの不安を払拭し、会社からの期待値を示します。保育園情報についても「お住まいの地域の保育園事情はどうですか?激戦区であれば早めの見学や情報収集が必要かもしれません」と確認し、復職できないリスクを共有して早めの行動を促します。
連絡手段についても、休業中に会社から連絡しても良い頻度や手段を決めておくことが重要です。「月1回程度、社内報を送ります」などの合意形成を行うことで、休業中の疎外感を軽減できます。
育休もらい逃げ防止策:育休中の対策
休業中は「会社から切り離された」という疎外感を抱きやすい時期です。適度な距離感でのコミュニケーション、いわゆる「ルース・タイズ(ゆるやかな絆)」が定着のカギとなります。
定期的な情報発信と状況確認
社内報の送付や、チームの近況報告メールなどを月に1回程度送ることで、「忘れられていない」という安心感を与えます。ただし、返信を強要しない配慮が不可欠です。「返信不要」と明記し、育児の負担にならないようにします。また、復職の3ヶ月前、1ヶ月前など節目には必ず連絡を取り、保育園の入園可否や復帰日の調整を行います。
オンライン研修への招待
希望者には、オンラインでの社内研修やランチ会への参加を認めます。これにより、業務感覚の維持と、復職時の「浦島太郎状態」を防ぐことができます。育休中にeラーニング等でスキルアップ支援を行う企業も増えています。
育休もらい逃げ防止策:復職直前・直後の対策
復職というタイミングでのケアが、早期離職を防ぐ最後の砦です。
慣らし勤務の導入
保育園に「慣らし保育」があるように、職場にも「慣らし勤務」が必要です。復職直後からフルタイムや全力疾走を求めるのではなく、最初の1ヶ月は短時間勤務や週3日勤務、残業免除など、徐々に心身と生活リズムを仕事モードに戻す期間を設けます。これにより、体調不良や育児疲れによる早期離脱を防ぎます。
役割の再定義と評価制度の適正化
「時短だから成果が出せない」ではなく、「限られた時間でどのような成果を期待するか」を明確に握ります。時間当たりの生産性を評価軸に置き、短時間でも成果を出せば正当に評価・昇給する仕組みに変えることで、モチベーションを維持します。また、突発的な休みが発生しても業務が回るよう、業務の属人化を排除し、チーム内での多能工化を進めることが、周囲の負担軽減と不満解消につながります。
両立支援制度のフル活用
フレックスタイム制は、始業・終業時刻を自分でコントロールできる制度であり、保育園の送迎や急な通院に対応するために不可欠です。リモートワーク(在宅勤務)は、通勤時間を削減し、家事・育児時間を確保する最強のツールとなります。中抜けを認めることで、通院や行事参加にも対応できます。子の看護休暇については、法定の日数である年5日に加え、有給扱いにする、あるいは日数を上乗せする、時間単位で取得可能にすることで、突発的な事態に対応しやすくなります。
就業規則の整備による育休もらい逃げ防止策
ここからは、仕組みとしてどのように「復職・定着」を促せるか、就業規則や給与規定の具体的な設計手法を解説します。
復職手当から定着手当への転換
多くの企業が導入を検討するのが「復職祝い金」です。しかし、単に復職した時点で支給してしまうと、その直後に退職された場合に「もらい逃げ」のリスクが残ります。そこで推奨されるのが、復職してから一定期間(6ヶ月から1年)経過した時点で支給する「定着手当(リテンション・ボーナス)」という仕組みです。
制度設計においては、まず名称を「職場復帰支援手当」「キャリア継続奨励金」「定着祝い金」など、継続勤務を評価する名称にします。支給時期は復職直後ではなく、「復職後6ヶ月経過後の給与支給日」や「復職後最初の賞与支給時」に設定します。支給要件は「復職後、〇ヶ月以上継続して勤務し、かつ支給日において在籍しており、今後も勤務する意思がある者」と明確に規定します。
この設計であれば、復職直後に退職した場合には支給要件を満たさないため、支払う必要がありません。これは労働基準法で禁止される「違約金」ではなく、「条件付きのボーナス(恩恵的給付)」であるため、法的にも有効です。従業員にとっても「あと半年頑張ればボーナスが出る」という明確な目標になります。
賞与算定期間の戦略的見直し
育休期間中は働いていないため、その期間の賞与が減額・不支給となることは「ノーワーク・ノーペイの原則」により法的に問題ありません。しかし、復職後の定着を促すために、賞与算定において戦略的な配慮を行うことができます。
戦略的な規定例として、「育児休業から復職した社員については、復職後最初の賞与算定期間に限り、休業期間を勤務したものとみなして算定する、あるいは一定額を加算する。ただし、賞与支給日に在籍していることを要件とする」という形で、賞与にインセンティブ機能を持たせることができます。これにより「次のボーナスまでは頑張ろう」という短期的な目標設定を促し、その間に業務に慣れてもらい、離職の波を乗り越えさせる作戦となります。
退職申し出期間の延長規定
民法では「期間の定めのない雇用契約」の場合、退職の2週間前に申し出れば辞められるとされています。しかし、就業規則で「退職は1ヶ月前(あるいは2ヶ月前)までに申し出る」と規定することは一般的であり、合理的な範囲であれば有効と解釈されます。
特に育休明けの退職は、代替要員の契約終了や保育園の手続きなど調整事項が多いため、就業規則において「育児休業終了をもって退職する場合は、原則として〇ヶ月前までに申し出ること」といった努力義務規定を設けることは、円滑な業務引き継ぎのために有効です。これを理由に退職を拒否することはできませんが、この規定があること自体が心理的な抑止力として機能します。
就業規則の具体的な条文例
自社の就業規則や賃金規程に組み込む際の参考となる条文例を紹介します。
職場復帰支援手当の規定例
賃金規程の別則として「育児休業復職者への処遇に関する規定」を設け、その中に職場復帰支援手当の条項を設けます。
第〇条(職場復帰支援手当)として、会社は、育児休業から復職し、長期にわたり就業を継続する意思を持つ従業員に対し、従業員の生活安定とキャリア継続を支援するため、職場復帰支援手当を支給するという趣旨を定めます。
支給対象者は、就業規則に基づく育児休業を取得し原職または会社が指定した部署に復職した者であること、復職した日から起算して6ヶ月間継続して勤務した者であること(この期間中の出勤率が8割以上であること)、支給決定日において在籍しておりかつその後も継続して勤務する意思を有する者であることの3つの要件をすべて満たす従業員とします。
支給額は一律〇〇円、または復職時の基本給の〇ヶ月分と定め、勤続年数に応じた区分を設けることも可能です。支給時期は、要件を満たした日の属する月の翌月の給与支給日、または直近の賞与支給日とします。
返還および不支給については、本手当は将来の勤続を期待して支給するものであるが、支給決定後に虚偽の申告等が判明した場合は会社が支給を取り消し既に支給した手当の返還を求めることができる旨、また支給日前に退職願を提出した者には支給しない旨を明記します。
育児休業期間中の賞与に関する特例規定
賞与の支給対象期間の全期間において育児休業を取得していた者に対しては、原則として賞与を支給しないという基本原則を定めつつ、復職後の意欲向上と生活支援を目的として、一定の要件を満たす場合には「復帰奨励一時金」として賞与の一部を支給することがある旨を規定します。
支給要件は、賞与支給日に在籍しかつ復職しており、以降も継続して勤務する見込みがあることとします。支給額は、会社の業績および本人の休業前の貢献度を勘案し決定する、または一律〇万円とするという形で規定します。
退職手続きに関する規定
従業員が育児休業期間の終了をもって退職しようとする場合、または復職後すぐに退職しようとする場合は、業務の引き継ぎ、後任者の確保、および保育園等の手続き調整のため、可能な限り退職希望日の1ヶ月前(役職者は2ヶ月前)までに会社に申し出なければならないという規定を設けます。また、この申し出が遅れたことにより会社に損害が生じた場合、または業務の引き継ぎが完了しないまま退職した場合は、退職金の減額等の措置をとることがある旨を付記します。
両立支援等助成金の活用による防止策
中小企業にとって、手当の支給や制度整備はコスト負担となります。これを補うために、国の助成金を積極的に活用すべきです。
両立支援等助成金(育児休業等支援コース)の概要
この助成金が最も活用すべきものです。特に「育休取得時」と「業務代替支援」の区分では、育休プランを作成して従業員に育休を取らせた場合や、その社員の業務を周囲の社員でカバーした場合に支給されます。「業務代替支援加算」は、周囲の社員に手当を支払った場合に助成額が増える仕組みであり、現場の「私の仕事が増えたのに給料が変わらない」という不満を解消するための原資を確保できます。
「職場復帰時」の区分では、育休から復職し6ヶ月以上継続雇用された場合に支給されます。この「6ヶ月以上継続雇用」という要件は、前述した「定着手当」の支給要件と完全にリンクします。つまり、国の助成金が入るタイミングに合わせて従業員に手当を還元するサイクルを作れば、会社の持ち出しを最小限に抑えつつ、従業員の定着インセンティブを作ることができます。
助成金活用スキームの具体例
まず原資の確保として、両立支援等助成金(職場復帰時)を申請します。支給額は企業規模や制度により異なりますが、約30万円前後からとなります。次に還元の仕組みとして、助成金の一部または全額を原資として「職場復帰支援手当」を従業員に支給する規定を作ります。タイミングについては、助成金の受給要件である「6ヶ月定着」をクリアした時点で、従業員にも手当を支給します。
これにより、従業員は「半年頑張ればボーナスが出る」という動機を持ち、会社は「半年辞めなければ助成金が出るので、手当を払っても損はしない」というWin-Winの関係が構築できます。
中小企業における実践的な定着マネジメント
制度や手当はもちろん重要ですが、最終的に人が会社に残るかどうかを決めるのは「人間関係」と「居心地」です。特にリソースの限られる中小企業では、経営者や上司の振る舞いが決定的な要因となります。
お互い様文化の醸成とトップのコミットメント
「育休は迷惑」ではなく「お互い様」という空気を作るには、経営者がトップダウンでメッセージを発信し続けるしかありません。「今はAさんが育児で抜けるけれど、次はBさんが介護で抜けるかもしれない。その時に助け合える組織にしよう」という物語を語り続けることが、組織の心理的安全性を高めます。実際に、経営者自らが「イクボス宣言」をしたり、男性育休取得を推奨したりしている企業では、復職率が高い傾向にあります。
アンコンシャス・バイアスの排除
管理職研修などを通じて、無意識の偏見を払拭する必要があります。「小さな子供がいる女性は、重要な仕事は無理だ」という過小評価バイアス、「夫が稼いでいるから、妻は無理に働かなくていいはずだ」という性別役割分業バイアス、「短時間勤務者は、フルタイム勤務者より貢献度が低い」という時間偏重バイアスなど、これらの偏見に基づいた発言や態度は、即座に離職理由に直結するだけでなく、SNSでの拡散などによる企業イメージの毀損リスクも孕んでいます。逆に、短時間でも成果を上げている社員を公正に評価し、表彰するなどの取り組みが有効です。
アルムナイ制度の導入
どうしても退職が避けられない場合、「裏切り者」として喧嘩別れするのではなく、「いつでも戻ってきていいよ」と送り出す「アルムナイ(卒業生)制度」を導入しましょう。子育てが落ち着いた数年後に即戦力として戻ってくるケースや、他社で経験を積んで戻ってくる「出戻り社員」は、採用コストゼロで自社の文化を理解した信頼できる人材を確保できるため、企業にとって大きな資産となります。退職時に「カムバックパス」を発行するような運用や、退職後も社内イベントに招待するなどの関係維持が効果的です。
育休もらい逃げ対策の比較
各対策の効果と法的リスクを整理すると、以下のようになります。
| 対策 | 効果 | 法的リスク | 推奨度 |
|---|---|---|---|
| 給付金返還請求 | なし | 高(違法) | × |
| 違約金設定 | なし | 高(労基法違反) | × |
| 復職拒否・不利益取扱い | なし | 高(育介法違反) | × |
| 定着手当(復職後6ヶ月で支給) | 高 | なし | ◎ |
| 賞与の戦略的設計 | 中~高 | なし | ◎ |
| 退職申出期間の延長 | 低~中 | 低 | ○ |
| 復職支援プラン策定 | 中 | なし | ◎ |
| 休業中の情報発信 | 中 | なし | ◎ |
| 慣らし勤務の導入 | 中~高 | なし | ◎ |
| 両立支援制度の充実 | 高 | なし | ◎ |
| アルムナイ制度 | 中(長期的) | なし | ○ |
育休もらい逃げ防止策のまとめ
育休もらい逃げを防ぎたいという企業の動機は、裏を返せば「投資した人材に長く活躍してほしい」という切実な願いです。その願いを実現するために、感情的な反発や違法なペナルティに頼ることは、百害あって一利なしです。
唯一の解は、「法的リスクのない定着インセンティブの設計」と「戻りたくなる職場環境の整備」を両輪で進めることです。
推奨されるアクションプランとして、まず就業規則の改定を行い、「職場復帰支援手当(定着手当)」を新設して支給時期を復職後6ヶ月から1年に設定します。これにより「辞めない理由」を作ります。次に助成金の活用として、両立支援等助成金を申請し、手当の原資を確保してコスト負担を軽減します。コミュニケーション改革として、妊娠判明時から復職後まで切れ目のない対話を行い、「見捨てられていない」という安心感を作ります。意識改革として、「時短=戦力外」ではなく「時間当たり生産性の高い人材」として評価制度を見直し、「働きがい」を作ります。
「逃げられないように高い柵を作る」のではなく、「ここにいたいと思える豊かな牧草地を整える」という発想の転換こそが、労働人口減少時代における企業の生存戦略となります。育休復帰者は、時間制約という厳しい条件の中で業務効率化を推進する、最強の変革リーダーになり得るポテンシャルを秘めています。その可能性を信じ、長期的な視点で投資を行う企業こそが、持続的な成長を実現できるでしょう。


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