学校の雑学-PTAは本当に必要ですか?

生活

滋賀県大津市の志賀小学校の保護者会は、過度な負担を避けるためにPTAを廃止し、「はなぞの会」という保護者会を設立しました。自主性を重視し、参加は強制されず、子供たちのために楽しく活動できるような仕組みがあることが特徴です。

PTAってホントに必要? 活動内容に疑問持ちPTA廃止した保護者らの取り組み 「活動への参加強要しない」時代に合った形とは(ABCニュース) - Yahoo!ニュース
学校行事などを円滑にサポートする「PTA」。その組織を廃止した学校が滋賀県大津市にあります。なぜ廃止したのか?そこには時代に合った運用がありました。  3年前に「PTA」を廃止したのは滋賀県大津

一年間、ベルマークの整理と景品との交換手続きを行いました。定時で帰宅してしまうと、集合時間に間に合わないため、早退して番号別に分けられたベルマークを台紙に一枚一枚貼り付ける作業を行いました。自宅に持ち帰ってスキマ時間に作業することもできましたが、それはお金のようなものであったため、紛失しないように厳重に扱いました。

2時間頑張っても、台紙には何百点分しか貼れませんでした。仕事を早退してまでこの作業を行う必要があるのかと思うと、1000円払って免除して欲しいと思ってしまいました。時給換算分を寄付したら、ベルマークで景品をもらうよりも、もっと良いものが買えそうだとずっと感じていました。

PTAは本来、教師と保護者(両親)が共通理解し、学校の運営を円滑に行うための組織であるが、肥大化しすぎて、それぞれの学校で必要のない業務まで行わざるにを得なくなった。いわば、保護者にとってのブラック部活、教頭にとってのブラック部活顧問のような状況だ。勿論、生徒の非行を防ぐ活動や学校行事での協力などは必要かもしれないが、PTAの全国大会での発表やPTA新聞の作成、家庭教育学級(これが一番無意味なものが多い)など、直接的なPTA活動とは関係のないものに全員が強制動員されたりして、大変な負担になる。昨今、一人親や共働きの保護者がほとんどで、仕事を休んでまでとなったり、特に執行部役員になったりもすれば負担は非常に大きい。役員が決まらず何時間も話し合うことも珍しくない。教頭はPTA活動の成功が評価になるので、力を入れざるにはいられない。肥大化を放置した文科省と都道府県区市町村教育委員会の無責無能ぶりが元凶だ。

不要な役を増やして、わざわざ一人一役にするのは無駄です。 私は4年間もコーラスという意義のない役をさせられていました。 不参加だとペナルティを課せられます。 発表会のドレスコードは、自費で白ブラウスと黒のロングスカートを購入し、日曜日に子供を預けて参加する必要があります。練習は平日夜間19時からで、子供を夜間に留守番させて参加します。帰宅は21時近くになります。その時間を取られることに疑問を感じました。休日や夜間は、子供のために時間を使いたいと思っているのに、なぜ私たちの時間を取られなければならないのでしょうか。今現在でも、私がコーラスという役を引き続き担当しているのかどうか不明です。

PTAという組織は必要ありません。 保護者は仕事で忙しく、学校に参加する余裕がありません。教師も不足しており、余力がありません。子供たちが学校に来て、授業を受けることが最優先です。 人手不足が問題で、昔のようにはできません。 必要に応じて、ボランティアを募集する方法に切り替えるべきです。保護者や教師でなくても、気持ちのある人の力を借りることができます。管理職が対応すればよいです。 すべてにおいて、スリム化が必要です。

ネガティブなPTAの場合は、組織しない方が良いでしょう。しかし、ポジティブなPTAの場合は、頑張る人に補助として会費くらい納めてあげると良いでしょう。受益者が自分たちの子供になるのであれば、さらに良いでしょう。

根本的に、地域自治会や消防団など、やりたくないことをやっている人がいます。好きでやっている人だけでは大変な側面もあります。また、やらなければならないことから逃げる人もいます。例えば、川や溝の掃除、草刈りなどは、税金でやれば良いというくせに、増税には反対する人もいます。自宅に雨水を流していることに気づいていない人もいます。意見が永遠にすれ違うこともあります。

なんかもう全部壊れて再構築しないと、無理なところに来ているような気がします。 共助の場面がリアルにやってくるまで気づかない人は多いんだろうな。

言いたいことはわかりますし、問題があることもわかります。 ただ、保護者が希望することが学校(私立で言えば経営者、公立で言えば行政)が全て解決できるかというと、できないというのが答えです。 自治会にしても同じで、住民がしてほしいことが行政が全て解決してくれるかというと、限界があるというのが正解で、それ以上のことを求めるなら、PTA(住民)が費用や労力を負担するべきです。 ただ、今の風潮では、会に入るのは自由だから、会員のおかげで非会員も利益を受けるという不公平が生じます。(いや私はそんな要求していないと言っても、災害や問題が生じた時には、一番に苦情を訴えるというのが現実です) 役に生きがいを感じている人間はまだいるが、殆どはやりたくもないのに誰もしないから役を受ける。誰もいないなら、こんな会は無くしてしまおうと言えば、「いやいや必要だから」と反論するが誰も受けない。・・と愚痴 ただ一つだけ・・ PTAは保護者だけではないということです。

私が昔通っていた小学校は、PTAが自由参加制でした。つまり、入会しなくても問題ありませんでしたが、その代わり、バザーや運動会のプログラムなど、PTAが関わったものはもらえなかったのです。ベルマークなんてやっていなかったため、今思えば革新的な学校だったのかもしれませんね。

金さえあれば、PTA事業は改善できます。しかし、親として果たすべきことをPTA活動で代替するのは適切ではありません。学校の行事は平日に開催されても構いません。例えば、運動会、音楽会、発表会などがあります。PTA活動に参加している保護者がいるため、その他の保護者も参観することができます。

現在、教育委員会が地域や保護者、学校を支配することができなくなったため、PTAの存在意義が失われています。最小限の組織でリセットし、活動することをお勧めします。学校は学校として、親は親としての責任を果たす活動を行い、教育委員会は学校の活動を支援する資金を補填することが望ましいでしょう。

PTAに参加することを強要するような活動は廃止すべきです。

私はPTA活動をしています。効率を優先して進めた結果、雰囲気が悪くなりました。おそらく、「〇〇の購入は私ができます」と手を上げてくれた人がいたのですが、「私がまとめて買うので大丈夫です」と断ったことが原因だと思います。

3人や4人でできることを1人で進める必要がある場面が多々あります。でも、みんながいるなら私が行かなくてもいいよな、と思っても言い出せないことが以前あったのです。だから、最低限の人数で動くことにしようと思ったのですが、それが違うということがわかりました。みんなでやることには意味があって、効率なんてどうでもいい。無駄で非効率でいいのです。私はPTAがそういう集まりだと解釈しました。

私自身、子供が3人いたため、毎年、妻と一緒に役員を引き受けていました。毎年、前年よりも肥大化していることは事実ですが、それは熱意の表れです。自治会でも、PTAと同じような状況があります。地域清掃や行事などに参加しない人がいたり、ゴミの収集日に自分のゴミを出すだけで済ます人がいたり、何か変な世の中です。今や、教育や自治体行政も、それを職業としている人に丸投げしているようです。何かあれば、批判の的は教育機関や自治体に向かいますが、それはおかしいと思いませんか?

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