日本の街中が汚くなってきている?原因は何なのか

生活

フランスでは、年金制度改革に対するストライキが勃発し、パリの街が回収されないゴミであふれ返ったと聞きました。これにより、東京在住のブラジル人から以前に「日本の街はゴミが落ちていなくてキレイね!」と褒められたことを思い出しました。日本に住んでいると、清潔な風景は当然のことと思われがちですが、海外に出かけると、そのありがたみを再認識します。

しかし、3年ぶりに帰国した2022年に日本の都市部で目にしたものは、ゴミ、ゴミ、ゴミでした。住宅街はこぎれいな地区が多かったものの、繁華街には壊れた傘や空き缶、小さなゴミが点々と転がっており、その荒れ具合に「日本、どうしちゃったの!?」と衝撃を受けました。

清潔さと民度の高さは日本の売りだと言われていますが、なぜ最近街中が汚くなってしまったのでしょうか。2022年秋まで外国人観光客の入国はまだ解禁されていなかったため、彼らが原因というわけではありません。では、各自治体の施策が迷走しているのでしょうか。それとも、コロナ禍に関連する何らかの後遺症か、日本人のゴミ捨てマナーの問題なのでしょうか?

アメリカに20年住んでいました。 日本に比べると、街中にゴミがないことは当然です。それは、日本人が家や車にゴミを持ち帰るか、コンビニのゴミ箱に捨てるからです。 ただ、言いたいことは、日本の街の公共のゴミ箱が少ないことです。実は昔はこうではありませんでした。中高年の人なら覚えているでしょう。街中にはゴミ箱が置かれていました。しかし、地下鉄サリン事件が原因で、街中のゴミ箱は撤去され始めたと聞いています。アメリカや欧州では、街にゴミ箱が当然のようにありますが、日本の無さには本当に驚きます。(そして、前述したように、その負担はコンビニが多く支えています)。 これは良いことなのか悪いことなのか。。。個人的には、せめて繁華街には公共のゴミ箱を増やすべきだと思います。税金の使い道の1つとして、そうするべきではないでしょうか?それでも、ここまで街にゴミ箱がないのに、日本が綺麗なのは不思議です。

一番驚くのは、道路の中央分離帯の植栽の中にレジ袋に入った弁当などの容器やタバコの吸い殻が投げ捨てられていることです。原因を辿っていけば、ゴミの分別に行き着きます。昔は分別などせずに捨てることができたし、有料のゴミ袋もなかった。今の世の中では、分別が必要ですが、それを面倒くさがる人がポイ捨てするのだと思います。

東京は汚くなってきています。公衆衛生の指導が必要で、ゴミ箱の設置や回収などをきちんと行ってほしいです。守らない人も増えたのかもしれませんが、新宿ではたばこのポイ捨てがとても多いです。新しいビルが建っている一方で、ほこりっぽく汚い場所がたくさんあります。都は月に1回でもいいので洗浄車を回すべきです。経済優先ばかりで清潔度をおろそかにしている印象があります。公衆トイレもひどいです。一昔前の日本では考えられないほどです。日本は痰壺まであったくらいですからね。アメ横でも食べ物が多いですが、家と家のすきまにゴミがたくさん投棄されています。行政の指導をお願いしたいです。現場をよく知る区長などに交代していただきたいですね。国として恥ずかしい状態になりつつあるのは本当に残念です。

信濃川が近所を流れているのですが、川岸にゴミが増える一方です。プラスチックごみは軽いので、風で飛ばされてしまいます。ゴミ箱にちゃんと捨ててほしいのですが、ゴミ箱の数も減っています。また、駅は20年前に比べて、売店が閉鎖され、Suicaの導入により駅員が常駐しなくなりました。残念ながら人口減少により、監視する人が減ってしまったのです。

個人的にも、ゴミ箱の少なさには辟易しています。 インバウンドに関しては、日本人が自宅までゴミを持ち帰って処分していると解釈されていますが、現実には空き地や自動販売機周辺にポイ捨てが横行し、モラルが問われています。各都道府県の行政機関は、このような問題を真剣に考慮し、ゴミ問題を解決するために対策を講じる必要があると思われます。

ゴミ箱が撤去されたのは、テロ対策などでコストカットのために撤去したままだと思います。

また、規制に抗議するためとして、社会正義のように一部で誇らしげに語られた街飲みによるものでしょう。ゴミ袋で持ち帰るなどは減ったようですが、難しい問題ですね。また、歩きながら食べることを推奨しているにもかかわらず、ゴミ箱がないという問題もあります。歩きながら食べる場合は、ゴミ袋を持参し、常識的に歩ける範囲の駅やコンビニ、その他の場所にゴミ箱を設置して、清掃員を雇用することが適切だと思います。

私は、百均などでビニール袋を購入して、外出するときにそれを持参し、ゴミを入れて持ち帰るようにしています。荷物が増えて見た目はダサいかもしれませんが、子どもたちにポイ捨てすることの悪影響を見せつけることができます。

以前は誰かが片付けてくれていたのですが、今はゴミ袋が余っておらず、誰かの唾液や飛沫がべったりついたゴミを片付けるのもリスクがあるため、自分で処理することにしました。

観光地では正直インバウンドが減少した後、格段に綺麗になったと思います。しかし、ゴミ箱がないため、トイレの個室やベンチの側などにごみを捨てる人が多くいました。それ以外の都会では、常に汚い場所があるため関係ありません。繁華街周辺には、大量のタバコの吸い殻や吐瀉物の跡などがあります。

現在、他人の目を気にしない状況が悪い意味で増えています。

マスコミが個人が楽しく生きることが絶対的な正義であるという刷り込みを行うにつれ、他者の悪い行いに苦言を呈することが古く、間違っているという風潮が醸成されてきています。

一方で、マスコミによる街中の迷惑系YouTuberと見間違えるような、違法行動の注意撮影が問題となっています。それによって形と責任だけが一人歩きしている感じがしてならない。

少なくとも、マスコミの過剰な干渉によって、マナーや良識に関する社会のバランスが崩れているような気がしてならないのです。

政府が国民にゴミの分別や衛生意識を促進することは、政府のプロパガンダに思われる場合があります。政府は、責任を取りたくないため、マスク着用と同様に、国民に任せたいと考えているかもしれません。しかし、消費税率や社会保険料増額などを課して、国民負担率を47.7%にまで引き上げているにもかかわらず、そのお金がどこに使われているのか疑問に思います。国民負担率が低かった時代は、景気が良く、街中にはゴミ箱や多くの交番があったことを思い出します。

社会生活においては、多様なサービスを提供する環境が整っていますが、形だけのサービスであったり、不親切であったり、申請手続きが複雑であったりすることがあります。政府は、外郭団体を作り、政治家や上級公務員の天下り先を作っているようにも感じられます。国民負担率が高まれば、将来に対する不安感が軽減されるはずですが、なぜか不安感が増しているように感じます。

現代では親と子供とは友達のような関係になっているため、親は子供を叱ったり躾けたりすることができません。また、親自身が若い頃、ジベタリアンと呼ばれた世代で、地面や電車の中で座ることが普通であり、ゴミをその場に捨ててしまうことが常識でした。このような親に育てられた結果、経済が悪化すれば日本の国民性が劣化し、治安も悪化してスラムのような状況になる可能性があります。また、収入格差があるように、美意識や道徳感にも格差が生じ、マナーや常識が欠如した人が増え、それが新しい常識になってしまうかもしれません。

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